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Sheila E. / ROMANCE 1600 ~Action Sheila !

「Romance 1600」は、Sheila E.(シーラ・E)のセカンド・アルバムです。発売と同時に、僕は買いに走りました。1985年の作品です。 Sheila E. が演奏する姿を初めて観たのは、TVで放映されたライブ映像でのことです。彼女がメインのライブではなく、Prince のライブでした。その映像はオフィシャル動画として、いまも YouTubeで観ることができます(下記)。 「 I Would Die 4 U 」 「 Baby I'm a Star 」 この中で、Sheila E. は、スレンダーな身体をシルバーのドレスと毛皮のショールで包み、リズミカルにステップを踏んでいます。右腕に派手なアーム・カバーをまとわせながら、ティンパレスやボンゴを叩いています。 “Action Sheila ! ”という Prince の呼びかけに応じて、軽やかな手さばきでソロをとる様子は「元気でカッコイイお姉さん」と、いった感じです。 「Romance 1600」を手に、家へ戻ったそのあと、早速レコード盤をプレーヤーにのせ、針を落としました。すると、いきなり冒頭から高速・複雑なユニゾンでの始まりです。1曲目「Sister Fate」です。 テープを早回しするなどしてこしらえたものなのでしょうが、衝撃的でした。「間違って(LPを)45回転でかけたかな?」と、思ったくらいでした。 続けて、バス・ドラムの連打が始まります。当時のヒップ・ホップで多用されたリズム・マシーンによるものです。サックスの軽快な前奏が続き、唄に入ります。 スキャットやシャウトを交えたヴォーカルも、サウンドも、まさに「元気でカッコいい」イメージです。さきほどのライブ映像そのものです。 2曲目「Dear Michaelangelo」は、静かなシンセサイザーにヴォーカルが乗り、ドラムがフェード・インする展開です。サブ・メロディー的に入るサックスが心地よく絡んできます。 3曲目「A Love Bizarre」は、唐突にリズムが変わって始まります。クレジット上、この曲のみが Prince との共作となっています。 なので、「A Love Bizarre」では、いかにも Prince といった感じのリズム・パターンやメロディーが進行します。アルバム全体の中で

George Duke / A Brazilian Love Affair ~まるっと楽しい、おススメのアルバム

「セールスなど気にせず、好きで作った作品」 「個人的にも気に入っている作品」 George Duke 自身が、このアルバムのことをそう語っているそうです。 1曲目のタイトルは「Brazilian Love Affair」です。訳すと「ブラジルの情事」でしょうか。なお、アルバム名の方には「a」が付いていて、「A Brazilian Love Affair」となっています。イントロがとてもカッコよく、買った当初はこればかり何度も聴いていた曲です。 幕開けは、軽快なサンバのリズムを奏でるパーカッションです。鳥の声を真似たシンセサイザーが直後にこれを追いかけます。跳ね上がるようなチョッパー・ベース、リズム・ギター、ドラムもそこに加わり、ファンキーな展開を見せていきます。ハスキーなファルセット・ヴォイスによるヴォーカルが、続いてそこに乗ってきます。 2曲目「Summer Breezin’」は、ボサノバ風のギターから始まります。ブラスも加わったアコースティックな展開のサウンドです。シンセの音色は、ビブラホーンやギターなど、生楽器を連想させるものになっています。この曲にもファルセットのヴォーカルが入ります。 なお、これらのヴォーカル、George Duke 自身によるものです。僕はそのことに初め気づいていませんでした。LPでこのアルバムを聴き、数年後にCDを買い、クレジットを見て知りました。驚きました。 George Duke は、人懐っこそうな笑顔で、とても楽しそうに演奏するピアニストです。このアルバムを聴く以前、僕はこの人についてはTVに映った姿しか知りませんでした。'81年の Live Under The Sky(屋外ライブ・田園コロシアム)での映像です。 George Duke は、この時、テナー・サックスの巨人 Sonny Rollins のバックでアコースティック・ピアノを弾いていました。曲は純然たるジャズでした。突き刺さすような角度で鍵盤を叩きながら、音数こそ少ないながら、よくスウィングするフレーズを奏でていました。 このときの印象から、僕には彼がヴォーカルをこなすイメージはありませんでした。ましてやファルセットなど…。 3曲目は「Cravo E Canela」です。Milton Nascimento の作曲で、彼

PIZZICATO FIVE / BOSSA NOVA 2001 ~第二印象抜群!

1993年のある日のこと。CDショップの店内を歩いていると、1枚のアルバムのジャケットが、不意に目に飛び込んできました。 「BOSSA NOVA 2001」です。 PIZZICATO FIVE(ピチカート・ファイヴ~'87までは「PIZZICATO V」)の作品です。 当時、化粧品メーカーの夏のイメージ・ソングに、彼らの曲が採用されていました。 思わず興味が湧き、レジに持ち込んでみました。 1曲目、タイトルは「ロックン・ロール」です。現代(当時)版ボサ・ノヴァという感じの曲です。 ラジオから流れてきそうな男声の英語アナウンスと、ファンファーレのサンプリングに続いて、曲が始まります。明るく軽快なメロディに、恋人と暮らしていたアパートを飛び出していく女性を唄った歌詞が乗せられています。 ちなみに、アルバムタイトルの「BOSSA NOVA 2001」は、この曲に付いていた方が、僕としてはフィットする感じです。 2曲目「スウィート・ソウル・レヴュー」が、'93カネボウ化粧品夏のイメージ・ソングだった曲です。先にシングルで発売されていますが、このアルバムにはオープニングとエンディングがやや異なるものが収録されています。 続く3曲目、「マジック・カーペット・ライド」では、タンバリンとインド楽器風のエスニックなサウンドの上に、ゆったりしたメロディが乗っています。後半、プログレ風のストリングス・サウンドが加わります。幻想的な1曲です。 4曲目「我が名はグルーヴィー」と、5曲目「ソフィスティケイテッド・キャッチー」の2曲は、ノンストップでつながっています。快速&Groovy な、クラブ系のサウンドです。購入当初、僕は何度も続けてこの2曲ばかりを聴いていました。 8曲目の「スリーパー」では、Sly & The Familiy Stone のサウンドのような音が、サンプリングされています。60年代後半〜70年代に活躍したファンク・ロックバンドです。これをバックに、Sly~とはイメージの異なる軽快なメロディーが流れる構成となっています。 さらに、11曲目「ゴー・ゴー・ダンサー」にも、James Brown のヴォーカルを変調させたと思われる音や、Quincy Jones の曲から拾ったブラスの音が入っています。

SAMUL-NORI / DRUMS AND VOICES OF KOREA ~思い出のお寺でのライブ

サムルノリが来日することを知ったのは、1984年の10月初め、一般雑誌の記事からでした。近く、芝の増上寺で公演を行うというのです。 それ以外の情報で得られたのは、彼らが韓国の伝統的農楽に使う4種類の楽器を駆使する4人グループで、欧米で絶賛されていること、坂本龍一も強い関心を持っていることくらいです。 前年の1983年以来、ナイジェリアの King Sunny Adé( Synchro System の記事参照 )の音楽や、Fela Kuti、インド系イギリス人 Sheila Chandra のヴォーカル( Third Eye の記事参照 )に魅了されていました。 1984年の夏の Live Under the Sky では、Herbie Hancock のバンドに、西アフリカ・ガンビアの伝統楽器奏者の Foday Musa Suso が参加、さらにジャマイカのレゲエ・グループ Black Uhuru が出演しています。 このように「世界は素晴らしい音楽で満ちている」というワクワク感があった時期、お隣の国の「ワールド・ミュージック」を聴かないという手はなく、基礎知識もほとんどないままにサムルノリのライブを聴きに行くことにしました。(以下のサムルノリに関する知識や用語は、のちに雑誌やCDの解説書で得たものです) 公演は1984年10月の晩、野外で行われました。 増上寺の本堂と東京タワーを背景に、ステージがしつらえられています。香が焚かれ、虫の音が聴こえる中、伝統的な衣装を身にまとった四人の男たちが静かに現れ、あぐらをかいて楽器を構えます。 アレッ? 4種類と聞いていたのに、皆同じ楽器です。日本の鼓を大きくしたような形で、腹の前で抱え、細いバチで鋭く叩きます。 このチャンゴ(枝鼓)という楽器が4台、同じリズムを叩いたり、それぞれ別のリズムを打ち出しながら、連続して曲を演奏していきます。強くて、鋭く、張りつめた音が耳に突き刺さります。 このあとのパートで、4種類の楽器が出揃います。 チャンゴのほかに、プク(鼓)という、スネア・ドラムくらいの大きさの両面を叩くタイコがあります。固く重たい低音です。 他の2つは金属の楽器です。ひとつはチン(鉦)という、スキヤキ鍋のような形、大きさのドラです。木の枠からヒモで吊るし、先を糸でぐる

THE JAMES BROWN STORY / Ain't That a Groove 1966-1969 ~これがマイ・ベストJBです

Miles Davis の「In A Silent Way( 記事はこちら )」以降の作品を聴きはじめた頃から、James Brown(ジェームス・ブラウン、以下 JB)を聴いてみようと思っていました。 この時期の Miles が、JB の音楽から大きな影響を受けていることを知ったためです。ライブが始まる前のバンド・メンバーに、Miles は、JB のレコードを延々と聴かせていたそうです。 同じ頃よく聴いていた初期ヒップ・ホップ、エレクトロ・ファンクの Afrika Bambaataa( Planet Rock の記事参照 )も、JB をリスペクトしていて、84年には共演作が出ています。 さらに、音楽雑誌でも JB の記事は頻繁に目にしていました。ブラスとギターの短いリフで構成されたバック・サウンド、シャウトや掛け声のようなヴォーカル、「マント・ショー」など独特のライブ・パフォーマンス…、実際の音も映像も体験しないまま、知識や情報だけがやたらと多い状態でした。 この頃、初めてテレビで Prince のライブ映像を視たとき( PARADE の記事参照 )、「このパフォーマンスは JB の影響を受けている!」と、勝手に決めつけてしまったくらいです。 知識先行になってしまったのには、理由がありました。 JBには、ファンク・ナンバーの「Cold Sweat」「Out of Sight」「Sex Machine」、バラードの「Please Please Please」「It's a Man's, Man's World」など、有名曲がたくさんあります。ですが、これらはそれぞれ別のアルバムに分散していて、特定のものに集中していません。しかも JB は多作で、アルバムがたくさん出ているのです。 そのため、「1枚のアルバムを聴いただけではとても満足できそうにない。でも、有名曲を網羅しようと思えばお金が足りない…」 そう考えると、購入には踏み切れませんでした。また、当時僕はラジオの番組表を念入りにチェックする方ではなかったので、多分見逃していたのでしょう。FMラジオの「JB特集」などを見つけ、録音する機会も掴めませんでした。 それでも、「いつまでも JB を聴かない訳にはいかない…」と思い、焦燥感、義務感すら感じてい

AUNTIE FLO / RADIO HIGHLIFE ~さりげない多様性

はじめて聴いたときの印象が新鮮、かつ強烈で、最初は毎日何度も聴いていたのに、やがてパッタリと聴かなくなってしまった…。 僕にはそういう作品がいくつもあります。 逆に、最初に聴いたときは印象に残らなかったけれど、その後は長い間聴き続けている。そんな作品もあります。 AUNTIE FLO の「RADIO HIGHLIFE」は、後者の典型です。 毎日ではないけれど、昨年10月に購入して以来、丸1年ずっと聴き続けています。 エレピやパーカッション、短く断片的なメロディーのヴォーカルなど、冒頭の短いイントロから、生の音が印象的です。 多くの曲が、軽快なリズムの心地よい、トロピカルなフュージョンといった雰囲気です。 '80年頃からよく聴いているような音だな、という印象もあります。 トランペットが入るパートなど、50~60年代のアフロ・キューバン・ジャズを連想させます。 一方で、アフリカ的な感じのする短めの曲もあります。 トーキング・ドラムの音にシンセと木琴のようなシークエンス音が重なる「WESTERN PRINCES」。 エフェクトを掛けたコーラスとパーカッションがミステリアスな「INGA'S CHOIR」。 民族楽器的パーカッションの上に、男性ヴォーカルの語りが重なる「ONE GUITAR」。 ウガンダの民族弦楽器をフィーチャーした「KAMPALA」。 ドラム・マシーンの音の上に呪術的なヴォーカルが乗っかる「MAGIC STONES SKIT」です。 ただし、これらの曲もどことなく環境音楽的にソフトに仕上げられています。「トロピカルなフュージョン」に溶け込むように、アクセント的に配されているといったかたちです。 なので、レコード・ショプのサイトなどには、この作品について、 「アフロ・ハウス」 「アフロ・トライバル」 と、いったキャッチコピーも見られますが、実際に聴いてみると、アフロ的な要素は僕はあまり感じません。 ハウスという言葉から連想するような、強烈な低音、激しいビートも見当たりません。 全体を通して、すーっと心地よく耳に入ってくる、軽快な、BGM的とも言える作品です。 それでも、何か引っかかる魅力をもつ音ともいえます。気楽に聴き流せる感じではありません。 昔

KEITH JARRETT / MY SONG ~息苦しさからの解放

学生の頃、居酒屋で飲んでいて終電を乗り過ごし、友人の下宿に転がりこんだ時のことです。 大柄でがっちりした体格のその友人は、ベース・ギターをつま弾きながら、朴訥な口調で唐突に「キース・ジャネット、いいんだよね」とつぶやきました。ベーシストか、と思ったらそうではなく、「ピアニストだよ。ピアノだけでコンサートするんだ」と、手でピアノを弾くふりをするのです。 カセット・テープで、その一部を聴かされました。ポロン、ポロンという感じの静かな音のつながりでした。クラシックか、ロックか、ジャズかも判らず、強い印象は持ちませんでした。 翌日、兄に聞いてみると、「ジャネットじゃなくて、ジャレットだよ。おまえ知らないの?」。どうやら相当に有名な人のようです。 その後、ジャズ系の雑誌でキース・ジャレット=Keith Jarrett の記事をよくみかけるようになりました。ほとんどがソロ・コンサートに関する、絶賛に近いものでした。彼の手のひらの写真とともに、「ピアノの弾きすぎで、親指は変形している」と書かれた記事もありました。 でも、その頃は Miles Davis や Herbie Hancock、Stevie Wonder などに熱中していて、あえて Keith Jarrett を聴く気にはなりませんでした。 何年か経ったある時、Miles のレコードを聴きながら、ふとクレジットに目をやると、Keith Jarrett の名前がありました。Miles の1970年くらいのライブやスタジオ・セッションに、Keith が頻繁に参加していたのです。 Miles のアルバムを Keith の演奏に集中して聴き直しました。 ライブ・アルバムの「Live-Evil」、とくに「What I Say」での凄まじいプレイ。ものすごいスピードで両手で全く同じフレーズを叩き出す、強烈でファンキーなエレピ、オルガン。友人の下宿で聴いたソロ・ピアノとはまったく印象が異なりました。 そこで、Keith Jarrett の「SOLO-CONCERTS」というCD2枚組のアルバムを聴いてみました。 ポロン、ポロンという静かな音だけでなく、メロディアスな部分や、急速で激しい部分もあり変幻自在。絶賛記事が多いのもうなづけます。でも、僕はノレませんでした。 何か密室的で息苦し

SANTANA / CARAVANSERAI ~SANTANAはこれで最後?

SANTANA のアルバム「Caravanserai」は、いきなり虫の音で始まります。 ノイズが目立たないので、野外で虫の声を録音した感じにも聴こえない。でもアルバム発売の1972年当時の電子機器では、こんな音は出ないはず。楽器の音をエフェクトで変調させているのかな?などと考えているうちに、静かにSAXが入ってきます。 CDの解説には「サンタナは『前世は日本人』と発言していて、SAXも尺八のようだ」とありますが、たしかにそんな雰囲気です。 「尺八サックス」に続き、アコースティック・ベース、エレピ、ドラムが加わり、ギターがゆったりとコードを弾きはじめます。 1曲目がフェード・アウトすると同時に2曲目がフェードイン。ゆっくりとしたややルーズなリズムの上で、パーカッションと、SANTANA 独特の太い音色で長く尾を引くリード・ギターが自由に跳ねまわります。 3曲目は一転してくっきりとしたリズム。SANTANAのギターだけでなく、ファンク的なリズム・ギターやオルガン、多数のパーカッションの躍動が目立ちます。 4曲目に入ってはじめて歌が入りますが、アクセント的に配置された感じで短め。インスト演奏のほうが耳に残ります。 やや静かな5曲目に続く6曲目。前奏に引き続き、高音の男性コーラスとともに、カスタネットの音が入ってきます。この音がとりわけ印象的です。 そして、ファルセットを交えた男性ヴォーカルも、オルガンのソロも、パーカッションをはじめとした楽器演奏も、もちろん SANTANA のリード・ギターも、高揚感にあふれて情熱的。A面の最後まで怒涛のように一気になだれこみます。 B面は、テープの逆回転によるエレピやマリンバの音ではじまり、ブラス・オーケストラの加わった9分におよぶ壮大な曲で終わります。 SANTANAの音楽をはじめて聴いたのは、1981年の「LIVE UNDER THE SKY」のテレビ中継でした。Herbie Hancock との共演で、SANTANAの「Europe」と Herbie の「Saturday Night」が放送されました。 録画してよく視聴していましたが、当時の僕はロック系のギターが好きではなく( Stevie Wonder / Talking Book の項参照 )、Herbie や、SANTAN

JEFF MILLS Presents MIX-UP Vol.2 LIMITED EDITION VINKL ~強靭でファンキー、しなやか

Jeff Mills の音楽との初めての出会いは、田中フミヤのMIX-CDでした。( MiX-UP vol.4の項参照 ) 全34曲のうちの8曲が、Jeff Mills の曲や彼がリミックスした曲。クライマックス部分に集中的に配置され、田中フミヤの素晴らしいテクニックとあいまって、34曲の中でも特に魅力的に響いていました。 その後、ライブで Jeff Mills を体験する機会がありました。1998年の夏、彼が来日してテクノ系のイベントに出演したのです。 「90秒ごとにレコードをかけ替える」といわれる超絶的DJテクニックだけでなく、音楽に対するストイックな姿勢、哲学的な発言などから、この当時、彼はすでに半ば伝説化された存在でした。そのDJプレイを一度は生で見てみようと思ったのです。 もちろん、彼はこのイベントのトリです。最後の2時間弱、たっぷり堪能しました。広大な会場のあちこちに設置されたTVモニターで見たのですが、音がなくても、その動きだけで楽しめるほどの驚愕の映像でした。 レコードを取り出してターンテーブルの上に置く、ピッチ・コントローラーを操作してテンポを合わせる、レコードをこすって「頭出し」する、イコライザーやエフェクターを操作して音質やバランスを変える… そのすべての動きが、とにかく速い。「90秒ごとに1枚」よりも速く感じました。 一旦ターンテーブルに置いてテンポなどを調整したレコードを「コレ、やめとこう」といった感じでレコード・ボックスに戻し、他のレコードに替えることもたびたびありました。その場で即興的にレコードを変更しているようです。まるでジャズの即興演奏のようでした。 音とパフォーマンスに圧倒され、ここちよく踊らされる。まさに「Jeff Mills 体験」というべきものでした。 でも、この体験のあとになっても、Jeff Mills の音楽を自室で好んで聴くようになったわけではありません。 Jeff Mills が主に作っていた曲は「ミニマル・テクノ」と呼ばれるものの典型です。音色やリズム自体は大変魅力的ですが、メロディーは断片的で、目立った展開の少ない曲です。 MIX-CDやクラブで「体験」するのには適していますが、一つ一つの曲を単独で聴くと、単調な印象が目立ち、魅力が半減するように思ったのです。

細野晴臣 / S-F-X ~圧倒されっぱなし

細野晴臣の1984年末の作品「S-F-X」ほど、発売が待ち遠しく、期待していたアルバムはありませんでした。そして実際に聴いてみると、期待を裏切らないどころか、それをはるかに超える音楽でした。 ヴォーカルのサンプリングとドラムの音でフェード・イン。ディスコ系の“4つ打ち”と、当時のヒップ・ホップの“バスドラ連打”を組み合わせたようなリズムのドラム。太く、シンプルで、跳ねるようなベースライン。 強烈なリズムの上に、パーカッションやシンセ、スクラッチ・ノイズ、サンプリングされたヴォイスなどが、次々に重なっていきます。 細野のリード・ヴォーカルは独特な音処理がされ、電気的な響きのする音に仕上げられています。背後には、ラップとも語りともつかぬ、男声ヴォーカルが入ります。 曲の最後は、これら全ての音をミックスした、混沌とした感じで終わります。 この1曲目「BODY SNATCHERS」から、圧倒されっぱなしでした。 僕だけではありません。かのAfrika Bambaataa( Planet Rock の項参照)はこの曲を聴いて「Crazy!」と絶賛し、オーストラリアのある学生は「Over the Top!」(やり過ぎだ!)と、その印象を表現したそうです。 2曲目の「ANDROGENA」も、予想外の不思議なサウンドです。 打ち込みの打楽器とアコースティック・ピアノが、トラックの基本。ベース・ラインもピアノで奏でられます。 時々、ブラスのようなシンセの音も入り、どこかスウィング・ジャズを思わせるサウンド。それにのっかる宙に浮いたようなメロディ。歌詞にある「月」のイメージにピッタリな印象です。 B面1曲目「STRANGE LOVE」は、ひしゃげた感じの変わったリズム。後に見たアルバム評では「ファンクとアフリカのリズムの融合」ということのようですが、確かにそんな感じがします。 アルバムの最後は、背景に流れるシンセの音の上でピアノがゆっくりと静かに奏でられる、アンビエント作品で終わります。 僕が細野晴臣の音楽を聴いたのは、YMOが最初です。 聴き始めた当初、「東風」や「TECHNOPOLIS」など、坂本龍一の曲が好きでしたが、やがて「SIMOON」や「ABSOLUTE EGO DANCE」「ラップ現象」など、細野晴臣の曲に魅力を

Shakti with John McLaughlin / A Handful of Beauty ~フリー・ジャズよりも自由な音楽

こういう音楽を聴いていると、音楽をジャンル別けすることの無意味さを感じます。 ロック系のスタジオ・ミュージシャンとしてロンドンで活動を始め、1969年以降に渡米して Miles Davis の歴史的傑作「In A Silent Way」などに参加し、Santana との共演作もある John McLaughlin がリーダー。 インドの伝統楽器シタール奏者で世界的に有名な Ravi Shankar の一族で、ヴァイオリン奏者の L. Shankar。他に2人が、タブラなどのインドの打楽器で参加。 こう書くと、「西洋音楽とインドの民族音楽との高度な融合」などという説明が浮かんできそうです。でも、実際はそんな図式的な表現では言い表せない、想像を超えた音楽でした。 1曲目の冒頭。「ダバデゥブダバデゥン、ダバデゥブダバデゥン…」というヴォイスで始まり、それにシンクロするリズムでタブラなど打楽器が重なり、ヴァイオリンとアコースティック・ギターが乗っていきます。 インドの音階を使っているのでしょうが、そのあたりに疎い僕の耳には、全く“インド”が聴こえてきません。 圧倒されるのは、まずそのスピードです。聴いた印象でも「メチャクチャ速い」と感じますが、CDプレイヤーのカウンターを見ると、BPMが145~155。クラブ系音楽でも相当に速い部類に入ります。 そして音色。タブラの高音、脳天に響くような金属的な音。ギターやヴァイオリンも、電気は一切使っていないのになぜかメタリックな響きがします。 2曲目、3曲目では頻繁にテンポが変化し、早い部分では、BPM160くらいになります。4人が息を合わせて自在にテンポを変えている感じが非西洋的です。ただし、民族音楽を感じるのはこのテンポの変化くらいです。 僕がこのアルバムを聴いてみようと思ったのは、雑誌の記事で「昇天モノの音」と紹介されていたためです。 実際に聴くと、まさにそのとおり。金属的な高音の繰返しは脳に作用して、催眠的・麻薬的効果があると聞いたことがありますが、その典型です。つまり、聴きすぎるとヤバイ音楽です。 このように、斬新で前衛的、ドラッギーな音楽は、John が、当時「クロス・オーバー」と呼ばれたジャズ系音楽のアーティストだったからこそ、生まれたのではないかと思います。 Wea

Absolute Beginners ~Miles の参謀が監督したサントラ

このアルバムは同じ名前の映画のサントラで、多数のアーティストが参加しています。 1曲目は David Bowie によるテーマ・ソングです。ロック・ギターの音から始まる、ソウル・ミュージックの影響の強い80年代の Bowieサウンドです。8分近い曲の終盤で、オーケストラをバックにソロをとるサックスが印象的です。彼の曲は他に2曲入っています。 Sade による、クラシックな4ビート・ジャズの雰囲気の2曲目に続き、3曲目はThe Style Council の「Have You Ever Had It Blue」。カリプソ風ジャズという感じのゴージャスでクールな曲です。このアルバムの中で、僕が一番好きな曲です。 素朴な印象の4曲目に続いて、5曲目は Gil Evans のブラス・オーケストラ。パーカッションのリズムと音色が軽快なサウンドを引き立てます。 日本語の解説には、「Gil Evans が実質的な音楽総監督」という、曖昧な記述があります。アーティストの選択は、映画の方の監督ジュリアン・テンプルによるものですが、当時74才の Gil は生ける伝説的な存在。積極的に「監督」せずとも、参加アーティストから助言や指導を求められたことは想像に難くありません。 全体的に、当時ロンドンを中心に一世を風靡した観のあった、踊れるジャズ=アシッド・ジャズ的なサウンドが中心で、統一感があります。これも Gil のアドバイスによるものかもしれません。 このあとも、ラテン音楽風のピアノが心地よいダンサブルな「Rodrigo Bay」(8曲目・B3)、Gil Evans 直系という感じのサウンドの長尺曲「Riot City」(10曲目・B5)、Miles Davis の「So What」のレゲエ・ダブ風リメイク(17曲目・D5)と、個性的な曲が続きます。 そして Gil 自身の曲(CDは4曲、LPでは6曲)は、短く控え目な感じで、これらの曲の間を埋めるように配置されています。自分よりはるかに若いアーティストに助言を与えつつ、一歩ひいたところから暖かく見守っているという雰囲気が、アルバムの構成からも感じられます。 周知のとおり、Gil Evans は Miles Davis の「Birth of the Cool」を始めとしたオーケストラ作品や、「So

Wayne Shorter / Native Dancer ~ウェイン本人の存在希薄な名作

Miles Davis の「Kind of Blue」や「Nefertiti」を聴いていると、その美しさにうたれると同時に、録音中のピリピリとした雰囲気までが伝わってくる気がします。 1枚のリーダー・アルバムを作り上げる、ということは、ほとんどのアーティストにとって精神的・肉体的に大変なストレスをかかえる作業なのでしょう。名作であればあるほど、このようなプレッシャーの下で生れるものかもしれません。 でも、それとは全く逆の印象を与える名作もあります。参加アーティストが、ノビノビと楽しげに演奏している様子が聴き手にまで伝わってくるような作品です。 サクソフォン・プレイヤー、Wayne Shorter の「Native Dancer」は、そんなアルバムです。 このアルバムは僕にとって、Milton Nascimento との出会いとなった作品で( Milton Nascimento / Minas の記事 参照)、9曲中5曲がMiltonの曲です。Herbie Hancock の曲も1曲あり、2人とも唄や演奏で参加しています。 Wayne の曲は3曲だけ。もちろん全曲でサックスを演奏していますが、リズム楽器ではないので、演奏するのは一部分だけ。アレンジやディレクションでも関与してはいるのでしょうが、彼のリーダー性が希薄であることに変わりはありません。 そのことを象徴するような曲が、Milton 作曲の1曲目「Ponta de Areia」です。 Milton のファルセット・ヴォイスと彼の相棒的存在の Wagner Tiso のエレピのユニゾンから始まります。そのあと、ベース、ドラムとともに、Herbie Hancock のアコースティック・ピアノが加わります。 最初のメロディが終わり、一瞬のブレイクのあとに、ようやくWayne のソプラノ・サックスのソロがはじまるのです。 アルバム・ジャケットにも「Featuring Milton Nascimento」とあり、「このアルバムの良さはMiltonの良さだ」などと評する向きもあるようです。 僕は、Milton も Herbie も大ファンで、「Native Dancer」に提供された6曲のうちの5曲を彼らのリーダー・アルバムでも聴いています。 しかし、この5曲とも「Nat

Jaco Pastorius / WORD of MOUTH ~夭折の天才が残した奇蹟の1枚

Jaco Pastoriusを僕が初めて聴き、見たのはTV中継。1982年の「Jaco Pastoruis Big Band」のLiveでした。 ブラスがずらりと並んでいるところは、確かにビッグ・バンドというにふさわしい。でもコアになるリズム・セクションは独特。 ベース、ドラム、パーカッションにトランペット、サックスという編成で、ピアノやギターなどの和音を弾く楽器がない。 さらに、大きな銀色の鉄鍋のような楽器が一台。その内側を叩いて、ペコ・ペコと金属的な音を出しています。あとで知ったことですが、スチール・ドラムというカリブ海の楽器だそうです。 ゲスト参加はハーモニカ。ジャズではほとんど使わない楽器です。 そしてJaco。ベース・プレイも凄いけれど、それ以上に行動の方に目がいきました。 ベースを弾きながら片足立ちでツイストのように踊ったり、何がおかしいのか、顔を上に向けて笑ったり、シャウトしたり、曲が続いているのに突然ベースをその場に置いていなくなったり… この当時、Jacoはすでにファンからも評論家からも高い評価を得ていました。「エレクトリック・ベースの革命児」というだけでなく、作曲・編曲やサウンド面でも何十年かに一度の天才扱い。その一方で、奇人としての評判も定着していました。 評判どおり、バンドの音は独特です。大別すればジャズには違いはないけれど、伝統的なビッグ・バンドでも、いわゆる“4ビート・ジャズ”でもフュージョンでもない。そして、そのすべての要素を含んでいるような感じもする。 リズム・アンド・ブルースやソウルっぽくもあり、カリプソっぽくもある。とてもひとつのジャンルに当てはまるような音楽ではありません。 中でも一番印象的だったのは「Liberty City」。ブラスの派手なイントロが終わると、リズム・セクションだけの演奏が始まります。明確な主役がなく、各楽器が各々同時にソロをとっています。デキシーランド・ジャズの1980年代版という感じの明るく楽しい演奏でした。 この曲が、前年のJacoの2ndアルバム「Word of Mouth」にも入っています。 編成も演奏の手法も、TVで視聴したビッグ・バンドのものとほぼ同じ。ピアノで Herbie Hancock が参加していますが、あくまでもソリストで、伴奏で

FLARE(Ken Ishii-ケン・イシイ)/ GRIP ~テクノって何? これか!と知った作品

僕がCDやレコードを買うとき、何らかの事前情報があるのが普通です。たとえば、音楽雑誌で情報を得ていたり、そのアーティストの以前の作品を聴いていたり。ラジオやテレビで実際に聴いた作品や、その際に録音していた作品を買う場合もあります。 しかし、この「GRIP」は、まったく何の情報もないまま“ジャケ買い”したものでした。そして聴いてみて、たちまちその音に惹き入れられてしまったのです。(このCDを買う具体的経緯を FUMIYA TANAKA MIX-UP Vol.4の記事 に書きました) 1曲目はどことなく民族音楽を感じさせる太鼓と、高音のパーカッションの音から始まります。さまざまな音色のシンセが短いメロディーを重ねていきます。ヒトの声を変質させたような音も加わり、それらの音が響きあって、7分以上続きます。 そして2曲目。この曲で完全にヤラれてしまいました。 幻想的な響きのするシンセの持続音から始まり、多種の打楽器音が次々と加わって徐々にテンポを速めていきます。そして3分あたり、こらえていたものを解放するように一気にリズムが炸裂します。 3曲目以降も、奇妙で魅力的な響きの短いフレーズで構成された曲が続きます。 「GRIP」は、僕がはじめて聴いたテクノ作品です。 テクノと聞いて、最初は70年代末以降のYMOやDEVOなどのテクノ・ポップを連想し、「そういう音楽がまだあるんだ…」と思ったのですが、のちに音楽雑誌などで得た情報では、それらと全く異なる流れの音楽のようです。初めて聴いたときは、ジャンルのことすらよく知らない状態だったのです。 聴いてみると、たしかにかつてのテクノ・ポップとはかなり趣の異なる独特で特殊な音楽です。唄も主旋律もなく、短いフレーズの繰り返しを要素として、その重なりで曲が構成されています。 作者のKen Ishii自身(“FLARE”はアーティスト・ネーム)、かつて、「テクノの本質はストレンジ・トーンとリピート」と発言していたと記憶しています。 基本的な構成要素は、さまざまな音色とリズム・パターンです。これら個々の要素とその構成が面白くなければ、まったく退屈なものになってしまうのです。 しかも、基本的にクラブでかけるダンス・ミュージックのため、1曲が長く、聴く分にはダレやすい。 でも「GRIP」の各曲は

AFRIKA BAMBAATAA & SOULSONIC FORCE / PLANET ROCK ~いかがわしい(?)名作

バイ・ビーポー バイ・ビーポー デヨゲフォゲ~ Afrika Bambaataa(アフリカ・バンバータ) & Soulsonic Force の「Planet Rock」は、僕の耳にはこんな風に聴こえるボーカルから始まります。 なお、この部分はのちに購入したオムニバスCDに入っていた歌詞の記載では、 Body people Body people They gonna get funky と、なっています。 もっとも、そのあとには「.......」と、聴き取れなかったと思われる記述もあるくらいなので、正確なものかは分かりません。 それにしても、なぜ「Africa」ではなく「Afrika」なのか。 「A」がたくさん並んでいる奇妙な名前には意味があるのか。(のちに調べたところ、アフリカのズールー族の首長の名前に倣ったものということです) 「魂の音波軍団」(Soulsonic Force)、「惑星ロック」(Planet Rock)… 「MUSIC BY PLANET PATROL」「POST-ROCK MANIFESTO」… 疑問とともに、何やらいかがわしさすら漂うジャケットだなと、当時は思ったものです。 A面「Planet Rock」は、上記のようなボーカルから始まり、打ち込みのドラムとパーカッションがそれに続きます。 オーケストラ・ヒット(サンプリングされたオーケストラの音を短く鳴らす手法)が加わり、ラップが始まります。 やがて、メインのメロディーが入ってきます。 ただしこのメロディー、発売当時から、テクノの元祖 Kraftwerk(クラフト・ワーク)による1977年のアルバム・タイトル曲「ヨーロッパ特急」のパクリと言われていて、実際、訴訟沙汰になりかけたとのこと。 あとで僕も「ヨーロッパ特急」を聴いてみましたが、メロディーやシンセの音色は、たしかにそう言われてもやむをえないほど似ていました。 しかも、「Planet Rock」は、リズム・パターンも同じクラフト・ワークの「ナンバーズ」をパクっています。 すごいことになっていますが、ともあれ、「ヨーロッパ特急」や「ナンバーズ」よりも、「Planet Rock」の方が、僕にははるかにノれる感じがします。 ほかに、この曲には「夕

King Sunny Adé and his African Beats / Synchro System ~クールでテクニカルなアフリカ音楽

1982年か83年のある日、音楽に詳しい友人からこんな話を聞きました。 「これからは、第三世界の音楽が来るよ」 当時、その名も「Third World」という名前のレゲエ・バンドがブレイクしていたので僕はそれをすぐに連想しました。が、その友人は「特にアフリカだね!」と続けたのです。 アフリカだって?そのときは半信半疑だったのですが、しばらくして「Jazz Life」や「ADLIB」など、当時よく立ち読みしていたフュージョン系の雑誌で、ナイジェリアのKing Sunny Adéの名前をたびたび目にするようになりました。 ニューヨークの巨大ディスコ「リッツ」で大編成のバンドで夜通し演奏したこと、とか、トーキング・ドラムという独特の楽器のこと、スライド・ギターの使われ方、などに関する記事です。 そのうちに、FMラジオで彼の新しいアルバム「Synchro System」のうちの何曲かが放送されることを知り、聴いてみました。 アルバムの1曲目、「Synchro Feelings」。 一体いくつ鳴っているか判らないほどの多数のパーカッションと、3つ4つは鳴っていそうなリズム・ギターが、それぞれに違ったパターンを延々繰り返し、シンクロする。ポリ・リズム、という形式です。 80年代初め、ドラム・マシーンを使って、複雑なパターンを繰り返すリズムが普通になっていたこともあり、とても時代にマッチした音に聴こえました。実際、この曲と他の何曲かで、Linn-Drumなどのドラム・マシーンが使われているようです。 その上に、ときおりあらわれるシンセの音。スライド・ギターの不思議な音色のソロ。 でもこのあたりは、事前情報である程度想像していたことでした。 雑誌などの文字情報で知識はあったものの、聴いてみるまで分からなった「音」がありました。 一つはトーキング・ドラム。日本の鼓を長くしたような形をしていて、先の曲がったスティックで叩き、脇に挟んで、締め付ける力を調整することで音程を変える――これが事前の情報。 実際のアルバムでは、低音に使われています。モコモコしているのにクリアに聴きとれる、という不思議な音。音程が変わるので、まるでベースラインのようにバンドをリードしています。 そして、サイケデリックと言ってもいいような印象を与える、独特な響きです。 前

Monsoon / Third Eye ~インド風ニューウェイブ

1980年代、「ワールド・ミュージック」が流行していた頃に、インドのポップ・ミュージック=「バングラ・ビート」というジャンルがありました。 このアルバム、Monsoonの「Third Eye」も、インド系イギリス人二世Sheila Chandraがボーカルで、タブラやシタールなど伝統的なインドの楽器と、インドの音階を使った音楽です。 でも、僕は「バングラ・ビート」でも「ワールド・ミュージック」でもなく、「インド風のニュー・ウェイブ」というべき音楽だと思っています。 アルバムのハイライトは何といっても、B面1曲目(CDは6曲目)「Ever So Lonely」でしょう。 音合わせのように奏ではじめるシタールと、インド音階の単音のアコースティック・ピアノ、Sheila Chandraのボーカルが、静かに入って来るイントロ。そこから、音楽が華やかに展開しはじめます。 タブラを初めとした多種類の打楽器。音処理が施されたスネアドラム。シタールやピアノの鋭い響き。 中盤からは、延々同じパターンが続き、多数の音が織り込まれるダブ的な展開。 タタン・タン・タタンとインド風リズムを繰り返す高音のゴング、ベースラインのように繰り返す、口琴による(?)男声の低音も加わります。そして、ボーカルは「Ever so lonely」というフレーズを繰り返してゆき、フェード・アウトで終わります。 ほかも、魅力的な曲が揃っています。 アルバムの幕開け「Wings Of The Dawn」の、ボーカルと高音の金属パーカション、 ガムラン音楽で使う鉄琴のような音と、アコースティック・ギターの響きが心地よい「Eyes」、 打ち込みと思われるハンド・クラップ音がリードする軽快な「Shakti」、 フルートによる抒情的なインスト曲「Kashmir」… メロディーも歌詞も、繰返しが多いため、ボーカルも「音」として楽しめる感じがあります。 エコーはかなり強いのですが、一つ一つの音がクリアに聴き分けられ、どこか乾いて爽快な感じがします。 多種の楽器と音が重ねられていても、うるさい感じがなく、打ち消しあうこともなく響きあいます。 コンピューターによる打ち込みは、ほとんど目立ちませんが、これらの効果的な音のエフェクトとミックスや編集のテクニックが「ニューウェイブ」を感じさ

Milton Nascimento / Minas ~幸せな気持ちになる音と難解な歌詞の意味

爽快、牧歌的、華麗、優美、幽玄、力強い、意表を突く、前衛的、開放的、突き抜けるような、透き通るような… これら全ての言葉が当てはまりそうで、また、ぴったりする言葉がない。 あえて一言でいうならば「幸せな気持ち」(いわゆる「ハイ」な気分とは違います)になる一枚、とでも表現するしかありません。 そういう作品が、Milton Nascimentoの「Minas」です。 子供たちのコーラス、Miltonのファルセット・ヴォイスとギターから、アルバムは始まります。 バス・ドラムとタンバリン、リズム楽器のように奏でるサックスが印象的な2曲目、 Miltonが野太い低音を響かせる3曲目、 後にブラジルの伝説的歌手、故Elis Reginaがカバーした独特な5拍子のリズムの4曲目と続き、 A面最後は、力強いオーケストラ・サウンド。この曲の最後には“鳥肌もの”の“仕掛け”があります。 B面も前衛的な曲、ロックとクラシックが融合したような曲など、様々な音が続きます。 B面1曲目「Ponta de Areia」は、Elis Reginaが、そして The Boomが日本語でカバー している有名曲。 5曲目「Paula e Bebeto」は、Milton同様にブラジル音楽界の巨人的存在、Caetano Velosoとの共作の軽快な曲。 CaetanoやRonaldo Bastosら共作者、Fernando Brantによる歌詞、Wagner Tisoのアレンジ。 多くの仲間たちと作り上げた音楽が、「ブラジルの声」とも讃えられるMiltonの唄声を、さらに美しく響かせています。 Milton Nascimentoの名前を始めて知ったのは、1983年の雑誌「Jazz Life」の別冊の記事でした。 「ブラジル音楽界では、Miles Davis(Stevie Wonderだったかもしれません)とQuincy Jonesを合わせたような存在」 「アルバムなら『Milton』か『Minas』、Wayne Shorterの『Native Dancer』がよい」 と書いてありました。でも、レコード屋のMilton Nascimentoのコーナーを見ても、「Minas」も「Milton」もない。そこで、Wayne Shorterの「Native Dance

LAUREL HALO / CHANCE OF RAIN ~宅録女子の躍進

エレピの音から入る短い1曲目に続き、2曲目はベースだけが固定されていて、ドラム、シンセ、パーカッションの断片的なフレーズが飛び交う、複雑でセカセカさせるくらいの曲調。 3曲目は一転して、ドッシリ、ユッタリしたビートが淡々と続く展開。 4曲目は再び速めのビートですが、様々なパターンが入れ替わり立ち替わり、あらわれては消えてゆく、典型的なテクノ的展開。 B面の1曲目はストリングスや管楽器が主体の短い曲。2曲目以降は再びテクノ的な曲続き、最後はピアノの短い曲で終わります。 1つ1つの曲は、テクノの基本となるミニマルな要素で構成され、ボーカルや楽器のソロもありません。 しかし、様々なパターンやフレーズを巧みに配置し組み合わせて構成されていて、曲ごとにリズムやサウンドも異なり、単調な感じはありません。 また、全体をとおして特徴的なのは、音の質感です。当時のEDM系などのクリアな音とは正反対に、少しくぐもっていてザラザラした感じで、新鮮に聴こえました。 ところで、この作品「CHANCE Of RAIN」は女性アーティスト Laurel Halo(ローレル・ヘイロー)が、クレジットをみる限り一人で創った作品です。 いつの頃からか、音楽サイトやCDのライナー・ノーツなどで「宅録女子」という言葉を目にするようになりました。 正式な定義(?)は目にしたことはありませんが、自宅で安価な汎用機材を使い、一人で曲をつくりあげる女性アーティストのことだと思われます。彼女はその典型の一人でしょう。 しかし、この作品から「女性らしさ」は全く感じられません。 同じHyper Dubというレーベルからは、Ikonikaという「宅録女子」の作品も出ていますが、そのサウンドも女性らしさを感じさせるものではありません。 そして、それぞれ、とても個性的なサウンドです。 Ikonikaの場合、CDやレコードに顔写真が載っていなかったので、長い間女性と分からずに聴いていて、時々出てくる本人のボーカルも「ゲスト・シンガーの声だろう」と思っていたくらいです。 メンバーを集めてバンドを作る必要がなく、スタジオという共用の空間に入る時間も少ない「宅録」というスタイルは、性別という社会的な属性をアーティスト自身が意識させられることから自由なため、個人がそのまま強く表に出る。 女

Miles Davis / In A Silent Way ~自由と制約の絶妙なバランス

Miles Davisを最初に聴いたのは、1969年の「In A Silent Way」の中古レコードでした。事前情報から想像していたのと違って、軽快な感じを受けた作品であった半面、ややインパクトが薄い印象でした。 二番目は「Agarta」。これは逆にヘビーな感じです。 その次が「On the Corner」。「全体がリズム・マシーンのような」と形容されたサウンド。ここらへんから、Milesの魅力にハマりはじめました。 以降は「Bitch's Brew」を初めとしたエレクトリック作品から、「Kind of Blue」「Sketches of Spain」「Birth of The Cool」なども聴いた上で、最初に聴いてから数年後、CDに買い替えたのを機に「In A Silent Way」をジックリ聴き直してみました。 改めて聴いてみて、気付いたことが二つあります。ファンの方には常識だと思いますが・・・ 一つは当時のJazz系の作品には珍しく、かなり編集が加えられていること。 B面の最初と最後は、同じ曲の同じ演奏です。 A面も、冒頭のJohn McLaughlinのソロ~Milesのソロまでの6分弱の部分が、同じ曲の約12分以降にコピーされ貼り付けられています。 さらにB面2曲目の最初の50秒弱も、同じ曲で後の方に出てくる部分と全く同じです。 全体で38分のアルバムですが、重複を除くとA面は約12分、B面は約15分。つまり「水増し」なのですが、それに気づいても「だまされた感」はありませんでした。 編集が巧みなためか、演奏が素晴らしいためか、それとも、この頃にはすっかりMilesの魔力の虜になっていたせいでしょうか? 二点目は、A面「Shhh / Peaceful」とB面の「It's About That Time」には、あらかじめ作曲されたメロディーが出てこないこと。つまりMilesのTrumpet、Wayne ShorterのSaxなど、メロディのように聴こえた部分は、全て即興演奏であること。 最近の研究によると、ちゃんとしたメロディーがある曲のセッションの、ソロの部分だけを編集したものらしいです。 そのためか、演奏全体が、とても自由な印象がします。 このアルバムに惹かれた理由は、別のところにもあります

Luciano / Yamoré Remix ~アナログレコードは面倒。だけど楽しい

僕がテクノなどのClub系音楽を聴き始めた1996年頃、それらの音楽の主流フォーマットは、アナログ・レコードでした。よく通っていたCISCOレコードのテクノ店もそうです。 でも当時CDのみを聴いていた僕は、店の一部に置かれてたCDを物色していたのです。( FUMIYA TANAKA:MIX-UP Vol.4 の項参照 ) 持っていたレコード・プレーヤーは既に回転を伝えるベルトが切れて動きませんでした。買い替えるとなると、ちゃんとしたものはCDプレーヤーより高そう。 レコード・プレーヤーは調整するのが大変。針もよく選ぶ必要がある。すぐに針にホコリがたまる。何回も同じレコードを聴いていると、やがてパチパチと静電気が出る。 レコードの片面は長くても30分弱。例えば50分~70分のアルバム(当時はそのぐらいの長さが普通でした)だと、レコードでは2枚か3枚組になり、表面・裏面に加え、レコードを交換することになり面倒・・・ というあたりが、レコードにしなかった理由です。 でも、テクノ系のMIX-CDを聴きながら、その中に入っている曲を聴いてみたいと思うようになりました。そういう曲のほとんどは、レコードでしか聴けません。 リリースされる作品の絶対数も、CDよりずっと多い。安いし(一枚1000円強)、音もいいらしい。 ある時思い切って、聴きたかったレコードを先に買ってしまいました。2000年の頃、CISCO・テクノ店で、田中フミヤとJeff Millsのレコードを一枚ずつだった、と思います。 そしてその足で、CISCOの向かい側にある「樽屋」というお店でレコード・プレーヤーを購入。「調整の仕方がよくわからない」と言ったら、お店の人(たぶん社長さんだと思います)が色々教えてくれた上で、ワープロ打ちの一枚のマニュアルを渡されました。 数日後、レコード・プレーヤーが届きました。手こずりながらもお店の人の助言とマニュアルに沿って調整します。 用意が終わり、ドキドキしながらレコードを置きました。 最初は比較のために、CDとレコードの両方を持っている作品(Kid-Creole & the CoconutsのLPだったと思います)を聴き比べてみました。 しろうとの耳にも、CDに比較して音が柔らかくて深いことが分かります。あえて、ハードなギターの音

FUMIYA TANAKA / MIX-UP Vol.4 ~渋谷シスコ・テクノ店の思い出

1996年のある週末、いつものように渋谷のタワーレコードかHMVでCDを買って帰りかけていた時、唐突に「高校の頃に友達と、ここらへんの感じのよいレコード屋に来たことがあったな」と思いだしました。 実はそのころ、同じアーティストの作品ばかり、それも決まった店で買うことが続いていて、退屈気味だったのです。たまには目先を変えてみよう、と思いその店を探してみることにしました。 不思議なことに20年近く前に一度行ったきりなのに、階段を上ったところにあるその店にすぐに辿りつきました。今はなき「シスコ・レコード」のテクノ店です。 もっとも、前に行った時は70年代ですから、当然「テクノ店」ではなかったのですが・・・ 中に入ると、真ん中のスペースと壁側のほとんどはアナログ・レコードで、CDが置いてあるスペースはごくわずかです。 当時、レコード・プレイヤーは壊れてしまっていて、また聴きたい作品のほぼ全てをCDに買い替えていたため、レコードは聴いていませんでした。 何か場違いな感じがしながらCDを物色して、何も分からないまま、ジャケットのセンスだけで一枚購入。 とても幸運なことに、それは当時「テクノ・ゴッド」とまで形容されていた日本人アーテイスト、Ken Ishiiの別名義Flareの「GRIP」というアルバムでした。 目が覚めるような鮮烈で不思議な響きの音とリズム。冒頭の音から一瞬で魅了されました。 この作品の発売日から、それは1996年の10月末頃のこと、ということになります。 それからは毎週末のように「シスコ」に通い、CDを2枚、3枚と買うことになります。 まずには「GRIP」と同じSublime Recordsレーベルの作品を中心に、他はジャケットやアーティストの顔から「エイヤ!!」で選びました。 当たりもハズレもあったけど、僕にとっての「新しいアーティスト」を探すことを、久しぶりに楽しんでいました。 そんな1996年の12月、FUMIYA TANAKA(田中フミヤ)のMix-CD、「MIX-UP Vol.4」に出会ったのです。 FUMIYA TANAKA / MIX-UP Vol.4 1:JAMM'IN(MXU EDIT) / FUMIYA TANAKA 2:INSISTENCE / FUMIYA TANAKA

YASUAKI SHIMIZU & SAXOPHONETTES / STARDUST ~退廃とデカダンスの意味を理解した

初めて清水靖晃のアルバムを買って聴いたのは、1983年の「北京の秋」。FM東京の「ジェット・ストリーム」で3曲がオンエアーされたのが、キッカケでした。 音楽雑誌で「今、日本のミュージシャンで最も“スゴい”と言われることが多いのが清水靖晃」と書かれていたことも影響しています。 その頃あまり深く音楽を聴いていなかった僕でも、オーケストラの生音とドラム・マシンを含めたエレクトロニクスが融合した「北京の秋」のサウンドが、どれほどスゴいかは、すぐに分かりました。 翌年のアルバムでTrevor Hornがサンプリングした( =GRACE JONESの項を参照 )のも、リスペクトの表れでしょう。 翌84年にかけて、彼の過去のアルバムも買い、聴きまくりました。83年のマライア名義の「うたかたの日々」、82年「案山子」、81年「IQ179」、79年「FAR EAST EXPRESS」などです。 その全てが斬新で意表をつきワクワクさせる内容で、一枚ごとに、違う人が創ったのではないかと思えるほどサウンドも異なっていました。 「日本のミュージシャンで最も“スゴい”と言われる」という評がウソでもおおげさでもない、と思ったものです。 そのため、次回はどんなアルバムを出してくれるのか、と心待ちにしていたのですが、待てどくらせどリリース情報がない。 ラテン音楽を素材にしたその名も「LATIN」というアルバムを録音した、との情報はありましたが、その発売情報もない(これは結局91年にリリースされました)。 禁断症状的な状況で過ごすうちに1984年も終わり、翌85年5月にようやく新作「STARDUST」が発売されたのですが… これがアルバムではなく、45回転の3曲入り12inch。約21分、90年代くらいの用語で言えばMaxi-Singleのボリュームでした。 しかも、そのサウンドがあまりにも奇妙で、当時の僕を戸惑わせ、むしろ「短くてよかった」と思えるくらい、聴いていて疲労感をおぼえるものでした。 A面は唄ものですが、とにかく変わっている。 シンバルもなく音数が極端に少ないドラムとベースがリードする12拍子のユッタリしたグルーブ。 奇妙に尾を引くピアノとサックスのエコーと音処理。モノラル録音。 「退廃的」「デカダン

GRACE JONES / SLAVE TO THE RHYTHM ~アマゾネス系歌手とやみつきになるサンプリング

男声の語りから始まり、――Ladies And Gentlemen, Miss Grace Jones, Jones――というセリフのあと、クラシック風コーラスとシンバル、シャウトとノイズが短く挟み込まれ、ベースとドラムの重たいリズムが始まる。 バンドとフル・オーケストラの音、コーラスが重なり、Grace Jonesのボーカルが朗々と歌いだします。 狂ったようなバス・ドラムの連打、声を合わせて肉体労働をする男たちのウッ、ハッ、ウッ、ハッ、という掛け声――様々な視覚的イメージを喚起する音が強力に迫ってきます。 Grace Jonesの“Slave to the Rhythm”1曲目です。 このアルバムのプロデューサー、Trevor Hornの名前を知ったキッカケは、Herbie Hancockの“Sound System”です。 このアルバムでは、楽器や楽器以外の様々な音をコンピューターに取り込み、音楽に挿入する手法が採用されています。オーケストラの音をキーボードでジャン!と鳴らす「オーケストラ・ヒット」が、その代表的なものです。 この「サンプリング」と呼ばれる手法の代表的使い手がTrevor Horn、彼が全面的にサンプリングを取り入れた作品が、84年の“(Who's Afraid of?)The Art of Noise”ということを知りました。 早速、このアルバムを聴いてみました。 人の声、足音、雷、重たい金属音、車のエンジンのような音――様々な音がサンプリングされています。そのなかには前年に発売されたばかりの、清水靖晃“北京の秋”の曲もありました。 当時も今も、とても評判が高い作品で、つい先日もTV番組のBGMで2曲目の“Beat Box”が流れていました。 でも、僕は“Sound System”ほどの強い印象は受けませんでした。Scratchなど、ヒップ・ホップの手法を導入したTrevorの他の作品も聴いてみましたが、同様でした。 翌85年に“Slave to the Rhythm”を買ったのもTrevor目当てではなく、モデル・歌手・俳優――007にも出演――など多彩な活動で話題になっていたGrace Jonesを聴きたかったからです。 でもGrace本人は曲を書いておらず、ボーカルがほとんど入らない曲もあり、

菊地雅章(Masabumi Kikuchi)/ SUSTO(ススト) ~圧倒されて涙ぐんだ

僕がレコードを買い始めた80年代初め頃、参考にしていたのは、まずはラジオやテレビ――小林克也氏のベストヒットUSAなど――でした。 でも、聴き流していただけで曲名をチェックし忘れたりもします。メジャーなジャンルではない、曲が長すぎる、など様々な理由でラジオ・テレビで流れないことも多い。 そのため、雑誌など活字情報も参考にしました。しかし、文字で音楽の魅力を伝えきることは不可能。 メロディー・ハーモニー・リズムを譜面という記号に変換して伝える方法もありますが、それも受け手に「解読」する能力がなければ意味がないし――もちろん僕にその能力はありません――、ボーカルや楽器の音色、質感については、記号化することもできない。 なので、それまで聴いたこともなくBig Nameでもないアーティストのレコードを、活字情報を鵜呑みにして買うのはリスキーです。シマッタ!と思うことも一度や二度ではなかったのです。 菊地雅章(きくちまさぶみ)の「SUSTO(ススト)」も、音楽誌の情報だけで買いました。当時は彼も「知る人ぞ知る」存在でした。 でもその中味は、競馬新聞だけを参考にして馬券を買って、万馬券を引きあてた時はこんな気分か――当時も今も買わないからよく分からない――、と思うくらい素晴らしいものでした。 以下、矛盾するようですが「SUSTO」の魅力を文字で伝えることにします。駄文となるのを覚悟の上で・・・。 金属的な音のシンセのユニゾンから音楽は始まります。 ベース・ドラム・リズムギターが、不思議なリズムパターン――7拍子なのにバスドラムは2拍子を打ち出す――を繰返し始めます。 長く複雑なメロディーの一部を切りだしたかのような断片的なメロディーを、ソプラノ・サックスやシンセが、エキセントリックに奏でます。 総勢15名のプレイヤーが様々な音色を重ねてゆく。ソロらしい長いソロはなく、即興的な短いフレーズが重なり、共鳴する。 その流れの中に突然割り込んでくる、何種類かの固定されたメロディーとリズムのパターン、超重低音。 この15分にも及ぶCircle / Lineは、とにかく圧倒的でした。曲の終盤で二回繰り返されるパターンを最初に聴いた時は、高揚して涙ぐみそうでした。本当です。 作者の菊地雅章は、Miles DavisとGil Evansに大きな影

Neil Diamond / Jonathan Livingston Seagull ~小説よし・映画よし・音楽もすべて良し

「朝だ。しずかな海に、みずみずしい太陽の光が金色にきらめきわたった」――「かもめのジョナサン」(Richard Bach 著 五木寛之 訳著)の書き出しです。 映画「かもめのジョナサン」のサントラ(作詞作曲:Neil Diamond オーケストレーション:Lee Holdridge)も、夜明けを想わせる荘重な響きから始まります。 ほかのカモメたちが、漁船から魚を集めるためにまかれる餌を横取りするのに躍起になるのを横目にみて、ジョナサンはただ一羽、ひたすら飛行の訓練にいそしむ。 急降下から水平高速飛行への移行、ペリカンのような低空飛行、空中の一点での停止・・・ 高度な飛行訓練の果てに、ついに海面に猛スピードで激突してしまう。 このあたりが2曲目“Be”――3曲目“Flight of The Gull”。 重たい翼で海に浮かびながら、なぜうまくゆかないのか考える。なぜ?――4曲目“Dear Father”。 やがて解決策がひらめく。そして試す。うまくいった! 翌朝、餌あさりに夢中になる群れの中を、見せびらかすように超高速で横切るジョナサン。――5曲目“Skybird”(インストルメンタル) しかし「生活のためにこそ飛ぶべきであり、それ以上の飛行の追求は不遜である」と考える保守的な群れの長老により、ジョナサンは群れから追放されてしまう。――A面最終曲“Lonely Looking Sky” B面も、物語の後半の展開に沿って曲が配置されています。5つの歌曲とフル・オーケストラ主体の器楽曲で構成されたアルバムです。 かもめのジョナサンの原作を読んだのは中一の夏。学校帰りに買って、その日の夕飯の前には読み終わっていたくらいのボリューム。風変わりな物語と多数のカモメの写真に夢中になり、何度も読み返しました。 その翌年の初めに映画が封切られ、初めて(家族ではなく)友人同士で映画を見ました。その中の音楽に惹きつけられました。 その年の誕生日プレゼントは、このサントラのレコード。僕が初めて「これがほしい」と思ったレコードでした。 原作に対しては「宗教書みたいだ」(修行を積んで高い次元にゆくと純白のカモメになる、という設定から)「白人優越主義だ」などの批評・批判があったと記憶しています。 サントラについて、五木寛之氏は「まるで古い映画の『

Stevie Wonder / Talking Book ~ビートとの出会い

洋楽を初めて聴いたのは小学5、6年、1972年か73年の頃だったと思います。 兄の部屋のラジカセから流れてくるのを聴いたり、友だちの部屋で聴いたりしていましたが、最初は好きになれませんでした。 当時の洋楽と言えば、Led Zeppelin、Jeff Beck、Deep Purple など、白人のロックが中心でした。そういう曲の中でかき鳴らされるエレキ・ギターの音と、叫ぶようなボーカルが嫌いでした。 母親は、「うるさい!」「騒音!」「消しなさい!」と、兄に口うるさく言っていました。 周りにダサイと思われるのがイヤなので口に出して言うことはなかったですが、当時の僕の本音は、母と全く同じでした。 そんなある日、兄の部屋からそれまで聴いたことのない音楽が流れてきました。 ロックとは少し違ったノリのドラムから始まり、そこに不思議な電子音のリズミカルなフレーズが重なっていきました。 ロックの叫ぶようなボーカルとはちがう、ヌケのよい声も。 はじめて洋楽を心地よく感じ、自然に身体が動き出すような感覚も覚え、ドキドキするくらいでした。 そして、中学に入ったばかりの頃、「セサミ・ストリート」の中で、黒人のミュージシャンがキーボードを弾きながら、同じ曲を唄うのを見ました。 ミュージシャンの名は Stevie Wonder。曲は、Superstition。 のちに彼のトレード・マークとなった、頭を振る動きや、鍵盤上を飛び跳ねるような指の動きが、目に焼き付いています。 この「セサミ・ストリート」への出演は、いまではファンの間では語り草になっています。 ネットもなく、ビデオも普及していない時代、偶然にもリアルタイムで見られたのは幸運でした。 エレキ・ギターのノイジーな音は苦手でも、Stevie の曲で使われるクラビネットや初期のシンセサイザーの電子音、エレピの音は、僕の耳に心地よく響きました。 高校に入る頃からは、ディスコ・ブームが始まりました。Bee Gees や Earth Wind & Fire など、ソウル系の音が自然と耳に入ってきます。 クラビネットやシンセサイザーだけでなく、コーラス、ブラス、パーカッション、リズム・ギター(同じギターでも、こっちの方は好きでした)の音色、そして、ついつい身体が動きだして

Herbie Hancock / Magic Windows ~90年代先取りのHerbie流テクノ

アルバムを持っているけれど聞くのは1曲か2曲だけ。音楽好きの人なら、そういうLPやCDが1枚や2枚はあると思います。 僕の場合は Herbie Hancock の「Magic Windows」がその1枚。ラストの「The Twilight Clone」がその1曲です。 最初にシンバルがリズムを打ち出し、それに続いてパーカッションとプツプツという感じのプログラムされたシークエンサーの音が絡む。 チョッパー・ベースが続き、二つ目のペキペキしたシークエンスとともに、ドラムマシーン=初期のHip-Hopでよく使われたLinn-Drumのユッタリ・シンプルなビート、手弾き(?)のシンセ・ベースが重なる。 そして、エレキギターとシンセのユッタリした展開しないメロディー。 途中にリズム・ギターが加わり、転調もあるけれど、延々同じビートとメロディーが約8分間続きます。 ベース:Louis Johnson、リード・ギター:Adrian Belew、パーカッション:Paulinho da Costa、という錚々たるプレーヤー逹が演奏しているだけに、こういう淡々とした曲調が一層際立ちます。 ちなみに、ドラマーはクレジットされていませんが、冒頭からずっと同じパターンを繰返し続けているシンバル、どう聞いてもLinn Drum=機材の音には聞こえません。参加メンバーの誰かが叩いたのを録音し、ループさせてダビングしたものではないか、と思うのですが。 こういう展開は90年代からのミニマル・テクノの曲でよく耳にしましたが、1981年にそれを先取りしていると言えなくもありません。 クラブ・シーンでリスペクトされている Herbie Hancock の作品なのだから、テクノの一流DJがREMIXしたのをB面にもってきて、12inchシングルでリ・イッシューしたらウケるのでは…などと想像してしまいます。 Herbieは、前年1980年の「Mr.Hands」でも、ドラム・マシーンを使用しすべて一人で演奏した「Textures」を発表しているし、プログラミングした音との共演、ということでは、1974年の「Dedication」で試みています。 こう見てくると、1983年の「Future Shock」も、Herbie のキャリアの中で、決して唐突な突出した作品