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portable(ポータブル)/ version ~「もっと聴きたい」に応えてくれたアルバム

奇妙でミステリアスなテクノ アーティスト名は portable(ポータブル・本名 Alan Abrahams)、アルバム名は「version」。まったくありふれた一般名詞です。音楽のスタイルは四つ打ちベースの典型的なミニマル・テクノ。しかし、その中身は一聴して他のテクノとは区別されるサウンドです。何よりも、独特の音色と響きが際立ちます。 1曲目「Ebb and Flow」は、弦楽器のゆったりとしたコード弾きの繰り返しから始まります。エレクトリックではなくアコースティック。バロック以前の古典的な楽器を連想させるような音色と響きです。 続いて、多数の打楽器音が入ります。よく耳にするようなパーカッションの音に加えて、古い機械のような音の短いループ音も重なります。民俗楽器の笛のような音も加わります。 バスドラムは四つ打ちを繰り返しますが、他の低い打音の影響もあって、単調には感じられません。テクノとしてはテンポはゆったりとしていますが、さまざまな音が緻密に組み合わされることにより、躍動的なリズムパターンが創造されています。 サンプリングとともにシンセサイザーも使用していると思われますが、ストリングス系の音や、クリアで鋭いエレクトリック音はほとんどありません。アコーステックで、少しザラザラとした質感です。 民族楽器のような音も目立ちます。ポータブル自身、南アフリカ出身のアーティストです。ただし、トライバルな音楽といった感じではありません。それよりも、奇妙でミステリアスに聴こえるサウンドです。 魅力を醸すボーカル・サンプル 2曲目以降も、そうした特徴は共通しています。 2曲目「Notions of Slow and Fast are Set at Nought」では、硬く重いバスドラがリズムをリードします。パーカッション、小さく鳴り続ける虫の音、断片的に挟み込まれるオルガンのような音、女性ボーカル、といったループが重なります。1曲目よりもさらに奇妙な感覚です。 3曲目「All Eject」では、どう表現したらよいかわからない不思議な音が交錯します。アコースティックな弦楽器の音を歪ませたようなノイジーな音、レコードのスクラッチ音をテンポを下げて変調させたような音――こうしたサウンドが、木質の打楽器音、マリンバをくぐもらせたような音、小さく鳴る男声ボーカルと融合しています。 4曲目「

Rubén Blades y Seis del Solar / BUSCANDO AMÉRICA 〜あえてひたすら心地よく聴く

サルサのニューウェーブ? Rubén Blades(ルーベン・ブラデス――フル・ネームは Rubén Blades Bellido de Luna)は、サルサのアーティストです。歌手であり、作詞家であり、作曲家です。中米のパナマ出身で、アメリカで活躍しています。彼と彼のバンド Seis del Solar による1984年のアルバム「BUSCANDO AMÉRICA」は、サルサのニューウェーブといった趣きの作品です。 ブラスが無いサルサ 1曲目、「DECISIONES」の冒頭は、ファルセットボイスとドゥワップのコーラスです。続いて多数のパーカッションとピアノ、ビブラフォンをバックに、いかにもサルサといった軽快な唄とコーラスが展開します。ですが、何かが足りません。サルサの大きな特徴のひとつ、ブラスが鳴っていないのです。 しかし、物足りない感じはしません。むしろ、ブラスの持つ時として過剰な熱さがない分、爽快さとクールさが増しています。なお、このアルバムの全ての曲にブラスは一切入っていません。 2曲目「“GDBD”」は、ボーカルだけで構成される曲です。リズミカルなパターンを繰り返すつぶやきのようなボーカルをバックに、ルーベン・ブラデスが繰り返しの少ない複雑なメロディを早口で唄います。ちなみに、このアルバムでは全ての曲で彼がメインボーカルを務めています。 3曲目「DESAPARICIONES」には、ブラスはもちろん、パーカッションも入りません。ゆったりと打たれるスネア・ドラムとバス・ドラムが、サウンドの中心にデンと構えています。ベースとカッティング・ギターはレゲエ的なラインを奏でます。ボーカルとコーラスのメロディは、どこか物悲しく響きます。歌詞は、行方の知れない親しい人を探す人々を歌うものとなっています。 5曲目「CAMINOS VERDES」は、明るいメロディがゆったりとしたリズムに乗る曲です。パーカッションも活躍しますが、どこかしらロック的です。サルサ的な響きは希薄です。 なお、まとめると2、3、5曲目以外の4つの曲は、十分にサルサ的です。といってもスタンダードなものではなく、独特な魅力を持つサルサ的サウンドです。 流麗な極楽サウンド 2曲目、3曲目以外では、パーカッションのほか、アコースティックピアノやビブラフォンといった鍵盤打楽器が躍動します。シンセサイザーも効果的

CODONA3 ~3つの「コドナ」のうち、僕が思う1番の傑作

背伸びしたくて選んだ1枚 「CODONA3」を買い、聴いたのは1983年の終わり頃でした。当時、まだ若く、知っている音楽も少なかった僕は、ふと背伸びをしてみたくなったのです。芸術的かつ前衛的で、難解そうな音楽にあえて挑戦してみたい――、そこで選んだのがこの1枚でした。 アーティスト3人による作品です。タイトルは彼らの名前に由来します。 CO = Collin Walcott(コリン・ウォルコット) DO = Don Cherry(ドン・チェリー) NA = Nana Vasconcelos(ナナ・ヴァスコンセロス) まずは Collin Walcott(コリン・ウォルコット)です。アメリカ出身ですが、インドの弦楽器シタールや、同じく打楽器タブラを操ることで知られています。 Don Cherry(ドン・チェリー)は、トランペッターです。フリー・ジャズの先駆者 Ornette Coleman(オーネット・コールマン)や、パンクなジャズバンド、Rip Rig + Panic(リップ・リグ&パニック)との共演など、先鋭的な活躍で知られていた人です。 Nana Vasconcelos(ナナ・ヴァスコンセロス)は、ブラジルでの表記は Naná となっていますが、ここでは日本盤LPの記載に合わせて Nana としておきます。パーカッショニストです。多くのバンドでサウンドを彩る一方、アコースティックギターとのデュオによる室内楽的でアーティスティックなアルバムも発表するなどしています。 拍子抜けするくらい聴きやすい なお、CODONA3 は、ドイツ・ ECM からリリースされたアルバムでした。ジャズを中心に、高度な音作りと芸術性に定評をもつレーベルです。こうした情報を僕は音楽雑誌で当時知り、「これこそチャレンジすべき作品」と感じ、LPを購入したわけです。 ところが、実際の音といえば、拍子抜けするくらいに聴きやすいものでした。 難解なところは特になく、自然に、柔らかく耳に入り込んでくる心地よいサウンドです。実験的に聴こえたり、エキサイティングであったりといった部分も多少はあるものの、基調としては「アンビエント」ともいえそうな雰囲気です。 変な日本語? からスタート 1曲目は「Goshakabuchi」です。日本盤LPではカタカナ表記が「ゴシャカブキ」となっています。あきらかに日本語っぽ

秋本奈緒美 / Rolling 80’s ~清水靖晃による過激な「パンク・ジャズ」

発売35年目に初めて聴く 「Rolling 80’s」は、ジャズ・シンガー秋本奈緒美のデビューアルバムです。全曲、ジャズの定番というべきスタンダードナンバーで、清水靖晃のアレンジによるものです。 1982年に発売されたこのアルバムを僕は2017年になって初めて聴きました。奇抜で斬新なそのサウンドにまさに衝撃を受けました。そして、深く後悔させられました。 「35年経ったいま聴いてもこれだけ衝撃的なアルバムなのだ。発売された当時に聴いていたらどれだけ驚いたことだろう…」 ちなみに、発売時のレコードの帯には、「ティーン・エイジ・ロマンティック・ジャズ」「ジャズってスポーツみたいに軽くスイングするものよ」と、キャッチが綴られています。 ですが、中身はこれらの言葉から連想されるような、おしゃれで軽いものではまったくありません。清水靖晃が繰り出すサウンドは、例えるならパンク・ジャズともいえる過激なものです。 パンクを感じる理由 清水靖晃は、軽快なフュージョンでデビューしたサクソフォニストです。それがこの頃には、ニューウェーブ、プログレッシブ・ロック、ダブなどを主体とした革新的な作品を数多く発表していました。 1曲目は「イントロダクション」です。ライブの歓声に続く英語の男声アナウンスで始まります。その後は、2曲目以降の断片によるコラージュとなる構成です。 2曲目「バイ・バイ・ブラックバード」では、細かく素早い打ち込みのようなシンセサイザーのフレーズと、シンプルかつセカセカしたドラムが特徴的です。さらに、そこに乗るブラスは、スウィング・ジャズ的古めかしさと、せわしないエキセントリックさが同居したような音になっています。 3曲目「霧の日」では、1拍ごとに鳴るギターの和音が、古いレコードを聴いているような雰囲気を醸し出します。そこに、シンプルかつ不自然なほど目立つバス・ドラムと、スネア・ドラムが奇妙な効果を加えています。 4曲目「雨に唄えば」は、サルサなどラテン音楽っぽいブラスの鳴り交わしに、細かく乾いたギターのアルペジオが重なる曲です。4拍ごとに鳴るバス・ドラムが、3曲目同様、不自然なほど目立ちます。反面、シンバルや他のパーカッションは背後でわずかに鳴るだけです。 なお、この3、4曲目に現れるような音のアンバランスな面こそが、僕がこのアルバムに「パンク」を感じる主な理由でしょう。です

Blood, Sweat & Tears / Blood, Sweat & Tears ~エリック・サティに意表を突かれる

1968年に発売された古いアルバムです。ブラス・ロック、ジャズ・ロックを代表するグループ、Blood, Sweat & Tears(ブラッド・スウェット&ティアーズ)の2ndアルバム「Blood, Sweat & Tears」です。僕がこれを最初に聴いたのは、かなり遅れて'87~'88年頃のことでした。 ただし、それまでの2~3年間、僕はFMラジオから録音したこのアルバムの中の何曲かを繰り返し聴いてはいました。そのうち「Smiling Phases」に、僕は強く惹かれていました。 この曲は、ブラスとオルガンの華やかな前奏で始まります。David Clayton-Thomas(ディヴィッド・クレイトン・トーマス)のボーカルがこれに続きます。ブラスの迫力に負けないくらい、パワフルでノリのよいボーカルです。 歌の2コーラス目の背後では、ブラス同士でのコール・アンド・レスポンス(掛け合い)が演じられます。この部分に僕はとりわけ興奮させられました。 Bobby Colomby(ボビー・コロンビー)のドラムスも、細かく軽快にリズムを刻みます。ロックというよりも、ソウルあるいはリズム&ブルースといった方がいいような、しなやかなビートの作品です。 さらに、Dick Halligan(ディック・ハリガン)の即興的なソロ・ピアノのパートも加わります。リズム・パターンが次々と切り替わっていくところがとてもスリリングです。 なお、録音した曲はこのほか3つでした。どの曲も素晴しく、これらを聴いているだけで「もう満足」といった感じでした。そのため、なかなかアルバム自体の購入には至りませんでした。 しかし、いよいよ買ってみると(CDです)、冒頭から意表を突かれました。1曲目は、1888年に Erik Satie(エリック・サティ)が作曲したクラシックのピアノ独奏曲「Gymnopédies」(ジムノペディ)のリメイクです。 極端に音数が少なく、スローで静かな曲調のため「環境音楽のはしり」とも評されるこの作品です。それを前半はアコースティック・ギターとフルート、後半は荘重なブラスとドラムスでの演奏に変えています。 そして、2曲目がさきほど触れた「Smiling Phases」です。 続く3曲目「Sometimes in Winter」は、一転してしっとりとした長調のバ

Airto Moreira / Free ~約40年遅れで感動

パーカッショニスト Airto Moreira(アイアート・モレイラ)の3rdアルバム「Free」は、1972年にリリースされた古い作品です。僕は約40年遅れて、2010年頃にCDで購入しています。「Airto が参加した、他のアーティストが主導するセッションを集めたオムニバス」と、いった趣きの作品です。 1曲目「Return to Forever」が、まさにその典型です。ノン・ビートの静かなパートと、軽快なスキャットとともにリズムが躍動するパートが交互に繰り返される、ラテン・フレーバーの名曲です。 この曲は「Free」以前に、作曲者 Chick Corea(チック・コリア)自身による、その名も「Return to Forever」というアルバムで録音されています。これに Airto も参加しています。「Free」でのバージョンは、このセッションと曲想やアレンジだけでなくメンバーまでほとんど一緒です。Chick もエレクトリックピアノで参加しています。 両方の違いといえば、「Free」の方では終盤にブラス・パートが入ることなどでしょうか。ブラスのアレンジは Airto によるものではありません。また、彼のパーカッションも叩き過ぎず、存在は控え目です。そのうえで、Chick のアルバムでのセッションとは異なるトライバルなテイストが感じられる作品です。 Airto のこのような演奏スタイルは、Miles Davis(マイルス・デイヴィス)のライブアルバム「Live-Evil」でも観察できます。このセッション(同じ晩に収録のライブ4曲・86分)のドラマーは Jack Dejohnette(ジャック・ディジョネット)ですが、彼はとても手数が多く、空間を埋め尽くすタイプです。ですが、そのような相手であっても Airto は巧みに隙間を見つけては音を流し込みます。乱暴に叩き込むわけでなく、あくまで最小限のワザでサウンド全体を彩っています。 なお、このセッションには Keith Jarrett(キース・ジャレット)もエレピとオルガンで参加しています。Airto との絡みも印象的ですが、その Keith がピアノで加わっているのが「Free」の2曲目「Flora’s Song」(作曲:Flora Purim)です。 この曲は、壮大なブラスが入るのとともに、テンポもゆったりとしたスケ

Nosaj Thing / Home ~ノサッジ・シングの特異な? 名作

メランコリックで抒情的なサウンド。どこか冷たく、霧がかかったような不明瞭な質感。繊細で悲しげなメロディー… Nosaj Thing(ノサッジ・シング=Jason Chung=ジェイソン・チャンのアーティストネーム)による2012年のセカンドアルバム「Home」は、そんな特徴をもったビート・ミュージック作品です。 僕がそれまでに聴いて来たクラブ系のアルバムに、似たテイストの作品は皆無でした。「Home」の各曲には、はっきりとしたビートは存在しますが、とてもダンスフロア向けの音楽には聴こえません。そのため、当初は驚きとともに戸惑いすら感じました。ですが、やがてその魅力に引き込まれていきました。 このアルバムに興味が湧いたきっかけは、「LAビート」「韓国系アメリカ人」という Nosaj Thing がもつ2つの属性でした。なお、同じ言葉が当てはまるアーティストに TOKiMONSTA がいます。彼女のアルバム 「Midnight Menu」 ('10)を僕はこの時すでに聴いていましたが、こちらはメロディアスで柔らかなサウンドの作品です。 そこで「Home」にも、僕は当初似たサウンドを期待していました。しかし、それはよい意味で裏切られました。実際、聴いてみると「Home」は「Midnight Menu」とはまたひと味違った作品でした。 1曲目「Home」は、かすかな音量の男声ボーカルのような音で始まります。例えるならば「静かな咆哮」といった感じでしょうか。さらに、ゆっくりとしたビートとストリングス系の低音のシンセサイザー、シークエンスがそれに続きます。 この曲で強い印象を受けたのは、音のエフェクトです。冒頭に記したとおり、不明瞭な響きで、深いエコーがかかっています。ややひんやりとしたものを感じます。こうした響きは、この曲だけでなく、アルバム全てに共通しています。 2曲目「Eclipse/Blue」は、鐘の音のような連打に導かれて、ビートとシンセのリフ、女声の唄が始まる展開となっています。ニューヨークのアートロックバンド・Blonde Redhead のリード・ボーカル Kazu Makino によるボーカルです。そのメロディーと声の響きが、僕の心に強い衝撃を残しました。陳腐な表現ですが、胸が締めつけられるような「切なさ」を感じたのです。それは、僕がその当時までに聴い

CAMEO / WORD UP! ~ヤバすぎるインパクトにやられ、速攻でレコード店に

1986年のある日、テレビで見た Cameo(キャメオ)の「Word Up」のミュージック・ビデオはまさに強烈でした。 Cameo は Larry Blackmon(ラリー・ブラックモン)を中心とする3人(当時)のグループです。その Larry が、唄い、踊り、バイクに跨り、ディスコに繰り出し、そこへ警官が踏むこむ…といった内容の映像ですが、ダンスなどのパフォーマンス以上にインパクトを感じたのは、彼のファッションです。 四角く整えられた独特の髪型、左右が垂れ下がった太い口髭、そんな顔の印象も強烈なのですが、それだけではありません。黒の革ジャン、筋肉質の体には黒いレオタード、股間には真っ赤なファウルカップをハメている――かなりヤバいスタイルです。 しかも、その音楽といえば、当時の僕にとっては映像を上回るほどのインパクトでした。何よりも印象的だったのは、ドラムとベースによる独特のサウンドです。ゆったりとしたテンポで、音数は最小限といえるくらいのものですが、音量があり、アタックも強く、太く重たく圧してきます。ハード・ロック的ともいえそうですが、どこかしなやかなリズムも創り出しています。 このドラムとベースに、笛のような音のシンセサイザーが入ったあと、Larry Blackmon のボーカルが始まります。この声も独特です。湿った粘っこいダミ声で、抑揚の少ないメロディーに載る歌詞を淡々と唄い上げます。ソウルやファンクのような抜けのよいボーカルでもなければ、ロック的な絞り出すようなシャウトでもありません。それまでに僕が聴いたことのない、魅惑的な声でした。 さらに、ギターが加わったあと、終盤ではブラスが鳴り響きますが、曲の骨格はベースとドラム、ボーカルでシンプルに構成されています。そのためか重く強烈なビートにも関わらず「すき間」が多い印象です。 ともあれ、ファンクともソウルともロックとも違う、過去に僕が聴いたことのない音楽、というのが、この映像を観ての感想でした。 そこで、翌日には早速この曲の入ったアルバム「Word Up!」のCDを買いに走りました。もっとも、不安もありました。「Word Up」のインパクトが強すぎたため、「気に入るのはこの曲だけかも」と、嫌な予感もしたのです。 ですが、それは杞憂でした。この日、僕は買ってきたこのアルバムの曲すべてに魅せられ、全曲を何度も繰り返

SKRILLEX / BANGARANG ~苦手な音に挑戦。新鮮な魅力を感じた作品

耳をつんざき、脳天を揺さぶる、太く強烈な音―――。 Skrillex(スクリレックス=Sonny John Moore =ソニー・ジョン・ムーアのアーティストネーム)のアルバム「Bangarang」のサウンドを短く表現すれば、さしずめこんなところでしょうか? あるいは、デジタルヘビーメタルとでも呼べるかもしれません。 ロック的な音ですが、デジタルロックとも形容された The Chemical Brothers(ケミカル・ブラザーズ) のサウンドとも違います。彼らの音はロック系のサンプルのループを緻密に重ね、作られていますが、Skrillex の方は主に打ち込みや手弾きで構成されています。メタリックなエレクトリックサウンドによる力押し(!)といった感じです。 1曲目「Right in」から、こうした音が全開となります。バスドラムの三連打にメタリックな和音がシンクロし、そこに、エフェクトを加え高音に加工されたボイスが続きます。冒頭、この一連のループが勢いよく繰り返されます。その後も、これらの音とヘビーなドラムが騒々しく鳴り交わされます。 はっきりとしたベースラインは感じ取れませんが、音数のとても少ない重低音がバスドラムに匹敵する存在感で鳴り響きます。曲のテンポはゆったりですが、このようなサウンドのためか、強烈な疾走感も伴います。 実は、僕はこのようなロック的かつメタリックでハードな音が苦手で、過去には意図的に避けてきていました。 '90年代後半になると、主にテクノ系の音楽を聴くようになりましたが、テクノでは、ビートは強くドライブするものの、サウンド自体はしなやかで柔らかです。アンビエントといえる響きのものも珍しくありません。 ですが、そんな様子のまま十数年経つと、いささか飽きが出始めました。多少は違った音楽も聴いてみようかと思い始めた頃、日本でも話題になっていたのが Skrillex でした。 話題の中心は、彼が2012年のグラミー賞3部門で受賞(受賞作は「Bangarang」以前の作品)したことや、同年11月に初来日することなどでした。そこで、当時の彼の最新作「Bangarang」を僕は聴くことにしたのです。同年末頃のことでした(アルバムの発売は前年の12月)。 なお、その際ネットで色々な記事を探してみると、このアルバムのサウンドはやはり僕が避けてきたハード・

コシミハル(koshi miharu)/ BOY SOPRANO ~クラシック、テクノポップ、細野晴臣

コシミハル(越 美晴)の1985年のアルバム「BOY SOPRANO」を僕が購入したのは、クラシックとテクノポップの融合作品として、当時話題になっていたためです。 僕が子どもの頃から好きなクラシックの名曲に、ヴィヴァルディの「四季」があります。この組曲のリズムに、テクノポップと共通するものを僕はその頃感じていました。そのため、クラシックとテクノポップの融合というテーマは、僕にとってとても興味深いものでした。 ちなみに、コシミハルの名前は、かつては koshi miharu など、主にローマ字表記されていました。'89年から「コシミハル」と、カタカナに変えられたようです。 コシミハルといえば、細野晴臣の名前がたびたび一緒に出てきます。同氏との出会いにより、彼女の音楽性は大きく変わったといわれています。その細野晴臣と高橋幸宏が中心となって設立した¥EN(YEN)レーベルから、コシミハルは'83年に「Tutu(チュチュ)」、'84年に「Parallelisme(パラレリズム)」と、2枚のアルバムをリリースしています。さらにそのあと、細野晴臣主宰の Non-Standard レーベルから出したアルバムが「BOY SOPRANO」です。 1曲目「野ばら」は、オーストリアの作曲家フランツ・シューベルトが書いた歌曲です。パイプオルガンのようなシンセサイザーの音のみをバックに、コシミハルがアルバムタイトルどおりのボーイソプラノ的な声で原語(ドイツ語)と日本語の詞を交互に唄います。ここまでは融合というよりも「クラシックそのまま」といった感じですが、すぐに打ち込みのドラムが入ってきます。細かく刻まれたいかにもテクノポップといった感じのビートですが、音色のせいかゆったりとしたメロディーとの違和感はありません。その後は曲の進行に合わせてバックのシンセにもさまざまな音のフレーズが加わっていくという、華やかな展開です。 2曲目「夕べの祈り」も、歌詞やタイトルも含めて僕がイメージするクラシックそのものです。ですが、この曲の作曲は細野晴臣、作詞もポップス系の山上路夫です。最低限の音数による打ち込みのドラムが入った、シンプルで明朗な曲となっています。 3曲目「アヴェ・マリア」も、シューベルト作曲のクラシックです。伸びやかで深い響きのボーカルと、パーカッション的な打ち込みドラム

DJ Spooky That Subliminal Kid / Riddim Warfare ~チープなジャケットに騙されてはいけない

DJ Spooky(=DJ Spooky That Subliminal Kid 〜Paul Dennis Miller=ポール・デニス・ミラーのアーティストネーム)の「Riddim Warfare」のジャケットは、上の写真でご覧のとおりです。'70年代終盤のビデオゲーム画面のようなデザインです。 僕がこのCDを購入したのは1998年です。なので、すでに懐かしさがありました。ただし、レトロ・フューチャー的とか、ダサカッコイイといったポジティブな印象はなく、「チープな…」が正直なところでした。 反面、「中身はいいかも」と思い、買ってみたのです。すると、予想どおりでした。混沌として過激な部分がありながらも、しっかりと構成され、ときに意表を突いてくる、クールなサウンドの連続でした。 1曲目「Pandemonium」は、さまざまな人の声や音楽のサンプリングが細かく編集された曲です。ノンストップで、2曲目「Synchronic Disjecta」に続きます。 すると、こちらはミドルテンポのブレイク・ビーツ(サンプリングしたドラムを細かく切って再構成する手法)と、ハープのような音のアルペジオが核になったサウンドです。レコードのスクラッチノイズも激しく飛び交います。ブラスやシンセサイザーなど、さまざまな音の断片が小さな音量で丁寧に重ねられています。 ターンテーブルとミキサーを楽器のように使い、既存のレコードから新たなビートを創り出す手法を「ターンテーブリズム」、その使い手を「ターンテーブリスト」と呼びます。DJ Spooky は、このアルバムの当時すでにターンテーブリストとして著名な存在でした。実際の曲作りでは、ターンテーブルだけでなく、サンプラーなどの機材も多用していると思われますが、基本的な発想や手法はターンテーブリズム的といえそうです。 続く、3曲目「Object Unknown」では、2曲目(「Synchronic Disjecta」)に比べて速く、激しいブレイク・ビーツが展開します。 もっとも、この当時一世を風靡していたドラムンベースの曲によくあるような、過剰に細分化された複雑すぎるビートではありません。適度に入り組んでいて、四つ打ちのようなスピード感があり、よくグルーブするドラムです。Kool Keith と Sir Menelik のラップ、DJ Spook

Brazil Classics 1 Beleza Tropical ~ブラジル音楽珠玉のオムニバス

「Brazil Classics 1Beleza Tropical」は、ブラジル音楽アーティスト9人の曲を集めたアルバムです。1989年にリリースされました。日本盤は翌'90年の発売です。 このアルバムをレコード店で見つけた'90年当時、9人のうち6人のアーティストのアルバムや曲を僕はすでに聴いていました。そのため、「いまさらオムニバス作品を買うまでもないかな」と、一瞬思ったものです。 それでも、結局買うことにしました。理由は、Talking Heads の中心人物 David Byrne(デヴィッド・バーン) が、このアルバムをプロデュースしていたからです。 当時、David Byrne に対して、僕は「尖がったロックの人」といったイメージを持っていました。なので、彼とブラジル音楽が頭の中で容易に結びつかなかったのです。それだけに、かえって興味を惹かれました。 加えて、曲目を見ると、僕が聴いたことのある曲は全18曲中 Milton Nascimento(ミルトン・ナシメント) の2曲「San Vicente」と「Anima」だけです。「いまさら」な感じも、これだとほぼなさそうです。 1曲目は、Jorge Ben(ジョルジ・ベン) の「Ponta de Lanca Africano(Umbabarauma)」です。曲の冒頭、早速意表を突かれました。呪術的な雰囲気の歌がブルース・ギターに乗ってくるブラジル音楽らしからぬ展開です。 2曲目「Sonho Meu」では、Maria Bethania(マリア・ベターニア) の中性的なボーカルと、Gal Costa(ガル・コスタ) のパワフルなボーカルが心地よく交錯します。澄んだ高音のボーカルです。 そして、このアルバムの中で、僕がこののちもっともよく聴くことになったのが4曲目です。Caetano Veloso(カエターノ・ヴェローゾ) の「Um Canto de Afoxé Para O Bloco do IIê(IIê Ayê)」です。 メインのボーカル、バックのボーカル、パーカッション、さらに最後の方に入るハンド・クラップ(機材ではなく人の手によるもの)だけのシンプルな1曲です。 メロディーは、ひとつのフレーズの繰り返しとそのバリエーションで構成されています。歌詞がありますが、たったの4行です。 その初めの

MONO/POLY / GOLDEN SKIES ~誰もがこれだと感じる宇宙のサウンド

「宇宙的なサウンドスケープ」「宇宙のストーリーのサウンドトラック」―――。 Mono/poly(モノ/ポリー)のアルバム「Golden Skies」に関するレコードショップの紹介文などには、大抵そんな言葉が並んでいます。(Mono/poly は Charles Dickerson=チャールズ・ディッカーソンのアーティスト・ネームです) そこで、宇宙の話が好きな僕も、早速この「Golden Skies」を聴いてみることにしました。2014年の発売直後のことです。 もっとも、こういった流れで音楽を聴くと、事前の情報から浮かんだイメージと実際とが異なっていて、がっかりさせられることもよくあります。 ですが、このアルバムではそうはなりませんでした。SF映画などよりさらに科学的な、たとえば宇宙に関するドキュメンタリー映像にぴったりと合う作品のように思えました。 1曲目「Winds of Change」の冒頭では、ハウリングのような高音がフェード・インしてきます。続いて、太い音色のシークエンス、ストリングス系の音、ボーカルのような音など、さまざまな音が重ねられます。 これらは、アナログシンセサイザーによるものと思われますが、こうしたサウンドがアルバム全体を通した特徴になっています。まさに宇宙をイメージさせる音です。 打ち込みのドラムと多数のパーカッションが細かくリズムを刻みます。バス・ドラムの連打は、初期のヒップ・ホップを思い起こさせます。 ただし、テンポがとてもゆっくりなせいか、スタンダードなヒップ・ホップのような激しさはありません。重量感もなく、逆に浮遊感に包まれるといったかたちで、やはり宇宙空間を行くようなイメージです。 なお、こうしたゆったりなテンポは、リズムパターンこそさまざまですが、このアルバムの各曲で共通しています。 1曲目から7曲目までは、ドラムの入る曲と、短く間奏曲的なドラムの入らない曲が交互に続きます。 たとえば、2曲目「Transit to the Golden Planet」は、アコースティック・ピアノとハープを合わせたような音がメロディーを奏でる、短くドラムのない曲です。 3曲目「Ra Rise」では、太く澄んだ張りつめた高音がメロディーのシークエンスを奏でつつ、背後では女声ボーカルのような音が漂います。音数の少ないドラムがそれを支えています。 4曲目

MODEL 500(Juan Atkins)/ MIND AND BODY 〜至高のドラムで魅せるデトロイト・テクノ

「デトロイト・テクノ」は、文字どおりアメリカのミシガン州デトロイトから発信されるテクノです。 ドラム・マシーンによる16ビート主体の複雑なリズムパターンや、ストリングス系の音などを奏でるシンセサイザーによるミニマルなメロディーが特徴です。 Model 500 は、その代表的なアーティストです。Juan Atkins(ホアン・アトキンス)のアーティスト・ネームです。 「彼がいなければ、デトロイトに何も起こらなかった」~Alton Miller(アルトン・ミラー)。 「デトロイト・テクノとは、Juan Atkins のことである」~Derrick May(デリック・メイ)。 こう発言している2人は、どちらもデトロイト・テクノの大物です。 つまり、他のアーティストからも多大なリスペクトを受ける、デトロイト・テクノの創始者といっても過言ではない人物が、Juan Atkins=Model 500 です。 そんな彼の1999年のアルバム「Mind and Body」は、僕がもっともよく聴くデトロイト・テクノのアルバムです。発売後、すぐにCDを買いました。曲順に中身を紹介していきましょう。 1曲目「Psychosomatic」は、シンセのループで始まります。くぐもったような歪んだ低音と、ノイジーなサウンドによる急かされるようなリズムが展開します。そこに、鞭打つようなドラム、耳に突き刺さるシンセの高音、同じくパーカッション、口笛のような音色のフレーズも重なります。実験的な曲といえるでしょう。ですが、難解ではありません。 2曲目「Everyday」は、スローなリズムの曲です。淡々とした四つ打ちのドラムの上に「Everynight, Everyday ~」と、呪文のような小声の男声ボーカルが重ねられます。断片的なメロディーや、呟くような女声もそこに加わり、全体的にはダークな印象です。 3曲目「Incredible」は、1、2曲目からは雰囲気が一変し、明瞭な女声ボーカルが入るポップなイメージの曲となっています。それでも、いかにも打ち込みといった複雑でメカニカルなドラム、ノイズのように挿入される変調されたボイスなど、テクノの特徴もはっきりと出ている作品です。 4曲目「In and Out」は、2曲目「Everyday」と似ていて、淡々としたドラムに呪文のようなボーカルが重なる曲です。ですが

DEFUNKT / THERMONUCLEAR SWEAT ~聴き倒すほど聴いた衝撃のLP

「THERMONUCLEAR SWEAT」は、僕が初めて聴いたファンクのアルバムです。衝撃的な作品でした。Defunkt(デファンクト)による'82年リリースの2ndアルバムです(日本盤は'83年に発売)。 きっかけは当時の音楽雑誌の記事でした。「フリージャズ系のミュージシャンがファンクやソウルなどに続々転向しはじめている」と、書かれた中で、Jamaaladeen Tacuma らとともに、Defunkt のリーダー・Joseph Bowie(ジョセフ・ボウイまたはジョー・ボウイ)が紹介されていたのです。 僕は、このうち Jamaaladeen Tacuma のアルバム を聴いてとても気に入っていました。次に、一緒に採り上げられている Defunkt とはどんなグループなのかと思い、「THERMONUCLEAR SWEAT」を手にしたのです。買ったのはLPでした。'84年のことです。なお、その後もいまに至るまでこのアルバムはCD化されていません。 1曲目は「Illusion」です。イントロでは、複雑なパターンのリズミカルなドラムと、クールなカッティング・ギターが前面に出てきます。ギターは2名での演奏です。三管のブラスによる前奏に続いてボーカルが入ります。 ボーカルは、メロディーはあるものの音程が曖昧で、かつ、こちらに投げつけてくるような印象です。「ラップのような唄」といったところでしょうか。のちのちよく耳にすることになる唱法なのですが、当時の僕にとってはまさに新鮮でした。 間奏はトロンボーンのソロです。こちらもラップ的な印象です。細切れで力強く跳ね、調性も希薄です。 なお、これらメインのボーカルとトロンボーンは、リーダーの Joseph Bowie によるものです。フリージャズ出身だけあってソロも個性的で自由です。さらにその後は、唄とブラスのリフと、ギターやトランペットによるパンキッシュに歪んだソロが、交互に展開するかたちです。 この冒頭の1曲から、僕は完全にノックアウトされてしまいました。ところが、まだまだそれはほんの序の口でした。 4曲目「Ooh Baby」。16ビートのパターンが延々と繰り返される中で、吠えるのはクレイジーなギター・ソロです。唸り続けるベース、幾度も差し込まれる「Ooh、Baby」の短いコーラス、曲の終わりのノイズ的な音

DAVID SANBORN / BACKSTREET ~サンボーンの至高のサックスを堪能

「泣きのサックス」とも形容される特徴的なサウンド―――。 僕が初めて David Sanborn(デイヴィッド・サンボーン)を聴いたのは1983年のことでした。同年の彼のソロアルバム「Backstreet(バックストリート)」の中から数曲がFMラジオでオンエアされたのです。その際に録音したテープを大事に聴き続け、遅れてアルバムを買ったのは'87年か'88年の頃でした。 1曲目は「I Told U So」です。ミドルテンポのメロディが抒情的に展開する曲です。チョッパー・ベースは抑え気味、終盤のギターソロも「つま弾く」といった風で、サウンド全体が落ち着いた雰囲気になっています。そのためか、実際のテンポよりもゆっくりとした印象を受ける作品です。 サビの部分では Sanborn のしゃくり上げるようなサックスが堪能できます。打ち込みのドラムはチープに音を奏でますが、あえてそうしたのだと思います。Sanborn の人間くさいサウンドに不思議とフィットしています。 2曲目は「When You Smile at Me」です。スローなバラードです。Sanborn の歌い上げるようなソロがぴったりとハマるメロディーになっています。 3曲目「Believer」は、一転してファンキーな、アップ・テンポな曲です。合いの手のように入る男声ボーカルも相まって、アルバム中唯一の派手な作品といっていいでしょう。Sanborn のサックスも、まるでソウルシンガーがシャウトするようです。 5曲目「A Tear for Crystal」は、さきほどの2曲目(When You Smile at Me)よりもさらに重厚感の増したバラードです。Sanborn のサックスが、このアルバムの中ではもっとも「泣いている」曲といえるでしょう。 7曲目「Blue Beach」は、ゆったりとしたレゲエです。メロウながらも軽快で、元気づけられるようなメロディーとなっています。 ところで、Sanborn のサックスはとにかく特徴的です。基本的には鋭く金属的な響きなのですが、冷たい感じはありません。音が絶妙な具合に割れているためか、人の声のような温かみを感じます。 重ねられていないにもかかわらず、音がハーモニーを奏でるようにも聞こえます。これも「割れ」の効果でしょう。そこに、エモーショナルなフレージングも加わっ

WORLD STANDARD / WORLD STANDARD(鈴木惣一朗)~35年経って理解出来たアルバム

1984年から数年間の僕といえば、細野晴臣が主宰していた「Non Standard レーベル」の作品に魅了され続けていました。たとえば、細野氏自身による 「S-F-X」 、越美晴の「BOY SOPRANO」、MIKADO の「MIKADO」など…。 その流れで手にした1枚がこの「WORLD STANDARD」です。WORLD STANDARD(ワールド・スタンダード=鈴木惣一朗のアーティストネーム)によるファーストアルバムです。買ったのはCDで、'86年のことでした。 ところが、このアルバム、聴いてみるとまったくピンと来ませんでした。つまり、当時はがっかりでした。 どうやら、僕はこのアルバムに Non Standard レーベルらしい音を強く期待していたようです。それらは、ひとことでいうとテクノ・ポップ的、ニューウェーブ的なサウンドです。ですが、このアルバムからはそれらは全く聴き取れませんでした。存在してほしかったキャッチーなメロディも、躍動的なビートも探し出せませんでした。 たとえば、1曲目「太陽とダァリヤ」です。日本的なメロディは同じパターンの繰り返しです。奏でられる木琴や大正琴のような響きについては、展開に乏しい、古めかしい印象しか当時は残りませんでした。 そのほかの曲も、ゆったりとしていて静かなところに良さはありますが、「アンビエント」に括られるような魅惑的なレベルにまで踏み込むものとはいえません。ちなみにアンビエントは、当時いよいよその言葉が巷で使われ始めていた、いわば先進的なカテゴリーでした。 そんなわけで「WORLD STANDARD」は、ほどなく家の棚に眠った状態となりました。 ただし、その後もCDやレコードを整理するたび手に取りながら、手放すことはしませんでした。理由はひとえにこのアルバムが Non Standard レーベル作品、すなわち細野晴臣プロデュース作品だったからです。 「これほどの人が世に送り出した作品なのだから、きっとどこか素晴らしいに違いない。それがいつかわかる時がくるのでは」――と、そんな気持ちからでした。 そのいつかが昨年('21)やっと訪れました。3月に「WORLD STANDARD」はLPで再発売されたのですが、11月になり、僕はこれを中古店で見つけたのです。 「聴き直してみる機会だ」と思い、家の棚のCDとは

Prefuse 73 / The Only She Chapters ~聴き込むと退屈、流すと惹き込まれる

最初にこのアルバムをCDで通して聴いた時は、少々退屈しました。 それが、Prefuse 73(プレフューズ 73)の2011年のアルバム「The Only She Chapters」の第一印象です。(Prefuse 73 は Guillermo Scott Herren=ギレルモ・スコット・ヘレンのアーティストネームです) 全18曲、ノンストップで約54分間続くサウンドは、漂うようなアンビエントな響きで、もどかしいくらいにゆったりです。女声ボーカルの入る曲が8曲ありますが、これらも抑揚が少なく、ぼんやりとしたメロディーです。アルバム全体を通しても、曲調の変化やドラマティックな構成、展開はほとんど見当たりません。 もっとも、退屈と感じた理由はそればかりではありません。このアルバムのサウンドは、聴く前に僕が予想していたものとはかなり違っていたのです。 Guillermo Scott Herren は、たとえばCDの解説から引用すれば、「ビート・メイカーとして常に時代を牽引してきた」存在です。 ラップを初めとしたさまざまなサンプルを細かく切り刻んだ上で、編集し、曲を作る、ブレイクビーツの超進化型といえるサウンドがこの人の特徴です。 その点、当時僕がすでに聴いていてお気に入りだった彼のアルバム、2009年の「Everything She Touched Turned Ampexian」など、そんな手法の極致ともいえる作品です。全29曲・約48分、それぞれ個性的で強いビートからなる曲が、1曲平均約100秒で目まぐるしく入れ替わります。 それに対し、「The Only She Chapters」はまったく対照的といえます。1曲あたりの長さは平均約3分で、「Everything ~」の各曲に比べて2倍近く、曲のグルーブ感も希薄です。 しかも、それらはどれも前述のとおり「アンビエント」「ゆったり」で、雰囲気がほとんど変わらないこともあり、僕はこのとき若干の戸惑いもあった上で、このアルバムを退屈と感じてしまったようです。 そのため、2度目からはじっくりと聴き込むことはせず、本を読んだり、他のことをしながら、このアルバムをBGMとして流しながら聴くようになりました。 すると、今度は不思議なことにとてもよい感じなのです。 単に音が邪魔にならないだけではありません。脳の奥にまでスッと入って

PSY・S / Mint-Electric ~一度は売ってしまってごめんなさい

涼しげで軽やかなギターのコード弾きが交錯する中、CHAKA(チャカ・安則まみ)が、澄んだ高音で唄い出します。PSY・S(サイズ)の3rdアルバム「Mint-Electric」の1曲目「Simulation」です。 このイントロを久しぶりに聴いた瞬間、僕は思わず叫びそうになりました。30年以上も前に、初めて聴いた時の鮮烈な感動がよみがえりました。 一昨年(2020)の2月、僕は中古のLPでこの「Mint-Electric」を再び手にしました。前回はCDでした。'87年の購入です。ところが、そのCDは10年ほど前に引っ越しのタイミングでなぜか売ってしまいました。にもかかわらず、偶然レコード店で再会すると、僕はまたもこのアルバムを買わずにはいられませんでした。 上記の唄い出しを追いかけ、跳ねるようなベース、ドラム、さらにフェアライト(サンプリング音を使用するシンセサイザー)によるストリングス音が展開します。後半では、ディストーションの効いたギター・ソロも加わります。ギターにも、CHAKA のボーカルにも、どことなくエレクトリックな響きが感じられるのがこの1曲目です。 PSY・S は、ボーカルの CHAKA とシンセサイザー、ギター、エレクトロニクスの松浦雅也によるユニットです。このアルバムでは、ほかにもギターや管楽器などでゲストが参加していますが、ベースとドラムのクレジットはありません。これらは松浦雅也による打ち込みでしょう。制作手法も、音の響きからも、「テクノ・ロック」とでも呼びたくなるような1作です。 2曲目「電気とミント」は、体が自然に動き出しそうな抜群にノリのよい曲です。ドライブ感にあふれたリズムだけでなく、そこへのメロディーや歌詞の乗せ方が絶妙です。まるで歌詞がリズムをリードし、グルーブ感を加速させているかのように感じられる箇所もあります。 3度出てくるシャウト部分(「Wink!」のところ)も、そのたびタイミングが微妙に違っています。ブレイクの都度リズムがリフレッシュされるような、新鮮な感覚に魅せられます。 以上、1曲目と2曲目は、繰り返しますが「テクノ・ロック」といった感じで、響きもクールです。なお、ここでいうクールには「カッコいい」だけでなく、実際に「涼しい」という意味もあります。リズムは強烈であっても、重さ、熱さといったものは希薄ということです。