僕がCDやレコードを買うとき、何らかの事前情報があるのが普通です。たとえば、音楽雑誌で情報を得ていたり、そのアーティストの以前の作品を聴いていたり。ラジオやテレビで実際に聴いた作品や、その際に録音していた作品を買う場合もあります。
しかし、この「GRIP」は、まったく何の情報もないまま“ジャケ買い”したものでした。そして聴いてみて、たちまちその音に惹き入れられてしまったのです。(このCDを買う具体的経緯をFUMIYA TANAKA MIX-UP Vol.4の記事に書きました)
1曲目はどことなく民族音楽を感じさせる太鼓と、高音のパーカッションの音から始まります。さまざまな音色のシンセが短いメロディーを重ねていきます。ヒトの声を変質させたような音も加わり、それらの音が響きあって、7分以上続きます。
そして2曲目。この曲で完全にヤラれてしまいました。
幻想的な響きのするシンセの持続音から始まり、多種の打楽器音が次々と加わって徐々にテンポを速めていきます。そして3分あたり、こらえていたものを解放するように一気にリズムが炸裂します。
3曲目以降も、奇妙で魅力的な響きの短いフレーズで構成された曲が続きます。
「GRIP」は、僕がはじめて聴いたテクノ作品です。
テクノと聞いて、最初は70年代末以降のYMOやDEVOなどのテクノ・ポップを連想し、「そういう音楽がまだあるんだ…」と思ったのですが、のちに音楽雑誌などで得た情報では、それらと全く異なる流れの音楽のようです。初めて聴いたときは、ジャンルのことすらよく知らない状態だったのです。
聴いてみると、たしかにかつてのテクノ・ポップとはかなり趣の異なる独特で特殊な音楽です。唄も主旋律もなく、短いフレーズの繰り返しを要素として、その重なりで曲が構成されています。
作者のKen Ishii自身(“FLARE”はアーティスト・ネーム)、かつて、「テクノの本質はストレンジ・トーンとリピート」と発言していたと記憶しています。
基本的な構成要素は、さまざまな音色とリズム・パターンです。これら個々の要素とその構成が面白くなければ、まったく退屈なものになってしまうのです。
しかも、基本的にクラブでかけるダンス・ミュージックのため、1曲が長く、聴く分にはダレやすい。
でも「GRIP」の各曲は、「ストレンジ・トーンとリピート」が素晴らしく、CDをトレイに置き、スタートボタンを押した、ほぼそのままの姿勢で、最後の曲までの約70分を一気に聴いた記憶があります。
その最終曲「GRIP」は、エレピらしき音のサンプリング(蛇足ですが、ほかの音楽の一部分や独自に録音した楽器以外の音を曲に編集、挿入すること)でクールに始まります。
サンプリングとシンセの響き合いがしばらく続いたあと、ゆったりとしたビートのパーカッションが重なり、最後はふたたび冒頭と同じサンプリング音になり、やがてシンセのシークエンス音とともにフェイド・アウトしていきます。
テクノ作品は、打ち込みとサンプリングが主体です。基本的に一人で、ユニットであればそのメンバーだけで作られるものです。
そのため、アーティストの「個」が作品に強く出てきます。そして聴く側にも、アーティストへの好みがはっきりと生じます。
このアルバムを買った1996年の少し前ころから、多数のすぐれた才能が輩出して、日本のテクノ・シーンがとても盛り上がっていました。
でも、もし「GRIP」が僕にとって退屈な作品だったら、テクノというジャンル自体を面白くないと思い込んでしまい、こんな素晴らしい時期にリアルタイムでテクノを聴くことはなかったかもしれません。
多数のテクノのCDが並んでいた中から、ジャケ買いで「GRIP」を手に取るキッカケを与えてくれたジャケットのデザイナーにも、感謝するべきかもしれません。
FLARE(Ken Ishii)/ GRIP(1996年)
1:TURBINATES
2:CYCLING ROUND
3:CURVED FLOW
4:CLINCH
5:PARTS & WHOLES
6:SWEET KATHARSIS
7:CURVED SUNBURST
8:TRANSITION
9:ONE BLINK
10:GRIP
*CDと2枚組LPが出ています。LPは曲順はCDとは異なりますが、収録曲は同じです。上記のリストおよび本文での曲順の記載はCDのものです。
*2010年に「GRIP」とFLARE名義での前作「Reference To Difference」が、「Flare as Ken Ishii / Two Albums」とタイトルされ、高音質(SHM方式)CD2枚組として発売されています。