スキップしてメイン コンテンツに移動

細野晴臣 / S-F-X ~圧倒されっぱなし



細野晴臣の1984年末の作品「S-F-X」ほど、発売が待ち遠しく、期待していたアルバムはありませんでした。そして実際に聴いてみると、期待を裏切らないどころか、それをはるかに超える音楽でした。

ヴォーカルのサンプリングとドラムの音でフェード・イン。ディスコ系の“4つ打ち”と、当時のヒップ・ホップの“バスドラ連打”を組み合わせたようなリズムのドラム。太く、シンプルで、跳ねるようなベースライン。

強烈なリズムの上に、パーカッションやシンセ、スクラッチ・ノイズ、サンプリングされたヴォイスなどが、次々に重なっていきます。

細野のリード・ヴォーカルは独特な音処理がされ、電気的な響きのする音に仕上げられています。背後には、ラップとも語りともつかぬ、男声ヴォーカルが入ります。

曲の最後は、これら全ての音をミックスした、混沌とした感じで終わります。

この1曲目「BODY SNATCHERS」から、圧倒されっぱなしでした。

僕だけではありません。かのAfrika Bambaataa(Planet Rockの項参照)はこの曲を聴いて「Crazy!」と絶賛し、オーストラリアのある学生は「Over the Top!」(やり過ぎだ!)と、その印象を表現したそうです。

2曲目の「ANDROGENA」も、予想外の不思議なサウンドです。

打ち込みの打楽器とアコースティック・ピアノが、トラックの基本。ベース・ラインもピアノで奏でられます。

時々、ブラスのようなシンセの音も入り、どこかスウィング・ジャズを思わせるサウンド。それにのっかる宙に浮いたようなメロディ。歌詞にある「月」のイメージにピッタリな印象です。

B面1曲目「STRANGE LOVE」は、ひしゃげた感じの変わったリズム。後に見たアルバム評では「ファンクとアフリカのリズムの融合」ということのようですが、確かにそんな感じがします。

アルバムの最後は、背景に流れるシンセの音の上でピアノがゆっくりと静かに奏でられる、アンビエント作品で終わります。

僕が細野晴臣の音楽を聴いたのは、YMOが最初です。

聴き始めた当初、「東風」や「TECHNOPOLIS」など、坂本龍一の曲が好きでしたが、やがて「SIMOON」や「ABSOLUTE EGO DANCE」「ラップ現象」など、細野晴臣の曲に魅力を感じるようになったのです。

そして82年に発売された細野のソロ・アルバム「PHILHARMONY」。実験的だけれど、カラフルでユーモラスな、楽しいエレクトリック作品でした。

YMO散開後の1984年、「S-F-X」の前には、ゲーム音楽を素材にしたその名も「SUPER XEVIOUS」というエレクトリック・ディスコ音楽が、12inchシングルで発売されています。

ですから、「次のフル・アルバムは、きっとYMOの音楽をさらに進化させたテクノ・ポップになるだろう」と予想し、期待していたのです。

でもこういう場合、実際に聴いてみると、事前に予想していた音にピッタリしすぎていて、かえってガッカリすることが、よくあります。なので、この時も少々不安だったのです。しかし、「S-F-X」は、路線こそ予想どおりであったものの、その中味は全く予想していない、想定外のものでした。

クレジットも特異です。「FRIENDS OF EARTH」として、人名ではなく機材の名称が列記されています。人間のゲスト参加は、ヴォーカルで2曲とベースで1曲のみ。

アルバム・ジャケットは、細野と女性の顔と、ヘルメットやパワー・ストーン?がコラージュされたイラスト。

「S-F-X」は、そのタイトルどおり、「特殊効果」を連想させる最先端のエレクトリック・サウンドが、6曲で約33分の中にギッシリ詰まった作品です。

そして、翌1985年には、「COINCIDENTAL MUSIC」(CM音楽集)「MERCURIC DANCE」「PARADISE VIEW」など、細野晴臣自身の作品や、越美晴やフレンチ・ニューウェーブのMIKADOなどの、細野晴臣プロデュース作品が、信じられないくらい多数発売されました。いずれも、ニューウェーブ系のエレクトリック作品で、今だによく聴くものばかりです。

「S-F-X」をはじめとして、細野晴臣の傑作が怒涛のように連発された1984年~1985年は、僕にとってはまさに、夢のような日々でした。


細野晴臣 / S-F-X(1984年)

A1:BODY SNATCHERS
A2:ANDROGENA
A3:S-F-X

B1:STRANGE LOVE
B2:ALTERNATIVE 3
B3:DARK SIDE OF THE STAR

このブログの人気の投稿

菊地雅章(Masabumi Kikuchi)/ SUSTO(ススト) ~圧倒されて涙ぐんだ

僕がレコードを買い始めた80年代初め頃、参考にしていたのは、まずはラジオやテレビ――小林克也氏のベストヒットUSAなど――でした。 でも、聴き流していただけで曲名をチェックし忘れたりもします。メジャーなジャンルではない、曲が長すぎる、など様々な理由でラジオ・テレビで流れないことも多い。 そのため、雑誌など活字情報も参考にしました。しかし、文字で音楽の魅力を伝えきることは不可能。 メロディー・ハーモニー・リズムを譜面という記号に変換して伝える方法もありますが、それも受け手に「解読」する能力がなければ意味がないし――もちろん僕にその能力はありません――、ボーカルや楽器の音色、質感については、記号化することもできない。 なので、それまで聴いたこともなくBig Nameでもないアーティストのレコードを、活字情報を鵜呑みにして買うのはリスキーです。シマッタ!と思うことも一度や二度ではなかったのです。 菊地雅章(きくちまさぶみ)の「SUSTO(ススト)」も、音楽誌の情報だけで買いました。当時は彼も「知る人ぞ知る」存在でした。 でもその中味は、競馬新聞だけを参考にして馬券を買って、万馬券を引きあてた時はこんな気分か――当時も今も買わないからよく分からない――、と思うくらい素晴らしいものでした。 以下、矛盾するようですが「SUSTO」の魅力を文字で伝えることにします。駄文となるのを覚悟の上で・・・。 金属的な音のシンセのユニゾンから音楽は始まります。 ベース・ドラム・リズムギターが、不思議なリズムパターン――7拍子なのにバスドラムは2拍子を打ち出す――を繰返し始めます。 長く複雑なメロディーの一部を切りだしたかのような断片的なメロディーを、ソプラノ・サックスやシンセが、エキセントリックに奏でます。 総勢15名のプレイヤーが様々な音色を重ねてゆく。ソロらしい長いソロはなく、即興的な短いフレーズが重なり、共鳴する。 その流れの中に突然割り込んでくる、何種類かの固定されたメロディーとリズムのパターン、超重低音。 この15分にも及ぶCircle / Lineは、とにかく圧倒的でした。曲の終盤で二回繰り返されるパターンを最初に聴いた時は、高揚して涙ぐみそうでした。本当です。 作者の菊地雅章は、Miles DavisとGil Evansに大きな影

LAUREL HALO / CHANCE OF RAIN ~宅録女子の躍進

エレピの音から入る短い1曲目に続き、2曲目はベースだけが固定されていて、ドラム、シンセ、パーカッションの断片的なフレーズが飛び交う、複雑でセカセカさせるくらいの曲調。 3曲目は一転して、ドッシリ、ユッタリしたビートが淡々と続く展開。 4曲目は再び速めのビートですが、様々なパターンが入れ替わり立ち替わり、あらわれては消えてゆく、典型的なテクノ的展開。 B面の1曲目はストリングスや管楽器が主体の短い曲。2曲目以降は再びテクノ的な曲続き、最後はピアノの短い曲で終わります。 1つ1つの曲は、テクノの基本となるミニマルな要素で構成され、ボーカルや楽器のソロもありません。 しかし、様々なパターンやフレーズを巧みに配置し組み合わせて構成されていて、曲ごとにリズムやサウンドも異なり、単調な感じはありません。 また、全体をとおして特徴的なのは、音の質感です。当時のEDM系などのクリアな音とは正反対に、少しくぐもっていてザラザラした感じで、新鮮に聴こえました。 ところで、この作品「CHANCE Of RAIN」は女性アーティスト Laurel Halo(ローレル・ヘイロー)が、クレジットをみる限り一人で創った作品です。 いつの頃からか、音楽サイトやCDのライナー・ノーツなどで「宅録女子」という言葉を目にするようになりました。 正式な定義(?)は目にしたことはありませんが、自宅で安価な汎用機材を使い、一人で曲をつくりあげる女性アーティストのことだと思われます。彼女はその典型の一人でしょう。 しかし、この作品から「女性らしさ」は全く感じられません。 同じHyper Dubというレーベルからは、Ikonikaという「宅録女子」の作品も出ていますが、そのサウンドも女性らしさを感じさせるものではありません。 そして、それぞれ、とても個性的なサウンドです。 Ikonikaの場合、CDやレコードに顔写真が載っていなかったので、長い間女性と分からずに聴いていて、時々出てくる本人のボーカルも「ゲスト・シンガーの声だろう」と思っていたくらいです。 メンバーを集めてバンドを作る必要がなく、スタジオという共用の空間に入る時間も少ない「宅録」というスタイルは、性別という社会的な属性をアーティスト自身が意識させられることから自由なため、個人がそのまま強く表に出る。 女

FUMIYA TANAKA / MIX-UP Vol.4 ~渋谷シスコ・テクノ店の思い出

1996年のある週末、いつものように渋谷のタワーレコードかHMVでCDを買って帰りかけていた時、唐突に「高校の頃に友達と、ここらへんの感じのよいレコード屋に来たことがあったな」と思いだしました。 実はそのころ、同じアーティストの作品ばかり、それも決まった店で買うことが続いていて、退屈気味だったのです。たまには目先を変えてみよう、と思いその店を探してみることにしました。 不思議なことに20年近く前に一度行ったきりなのに、階段を上ったところにあるその店にすぐに辿りつきました。今はなき「シスコ・レコード」のテクノ店です。 もっとも、前に行った時は70年代ですから、当然「テクノ店」ではなかったのですが・・・ 中に入ると、真ん中のスペースと壁側のほとんどはアナログ・レコードで、CDが置いてあるスペースはごくわずかです。 当時、レコード・プレイヤーは壊れてしまっていて、また聴きたい作品のほぼ全てをCDに買い替えていたため、レコードは聴いていませんでした。 何か場違いな感じがしながらCDを物色して、何も分からないまま、ジャケットのセンスだけで一枚購入。 とても幸運なことに、それは当時「テクノ・ゴッド」とまで形容されていた日本人アーテイスト、Ken Ishiiの別名義Flareの「GRIP」というアルバムでした。 目が覚めるような鮮烈で不思議な響きの音とリズム。冒頭の音から一瞬で魅了されました。 この作品の発売日から、それは1996年の10月末頃のこと、ということになります。 それからは毎週末のように「シスコ」に通い、CDを2枚、3枚と買うことになります。 まずには「GRIP」と同じSublime Recordsレーベルの作品を中心に、他はジャケットやアーティストの顔から「エイヤ!!」で選びました。 当たりもハズレもあったけど、僕にとっての「新しいアーティスト」を探すことを、久しぶりに楽しんでいました。 そんな1996年の12月、FUMIYA TANAKA(田中フミヤ)のMix-CD、「MIX-UP Vol.4」に出会ったのです。 FUMIYA TANAKA / MIX-UP Vol.4 1:JAMM'IN(MXU EDIT) / FUMIYA TANAKA 2:INSISTENCE / FUMIYA TANAKA

SLY & THE FAMILY STONE / FRESH ~最近秘密を知りました

Sly & The Family Stone(スライ&ザ・ファミリー・ストーン)の1973年のアルバム「Fresh」を最初に聴いた時、感じたのはある種の違和感です。サウンドが暗く不鮮明で、くぐもった感じがしたのです。 「録音状態が悪かったのかな?」と、思ったくらいでした。 時期としては'80年代の後半、輸入盤のCDだったと記憶しています。僕はその当時まで、ディスコ系の音楽や、テクノ・ポップ、フュージョンをよく聴いていました。違和感の原因のひとつはそれでしょう。これらのジャンルの作品は、音質もサウンドも、クリアで明快なものが主流でした。 もうひとつの理由は、彼らのそれまでの作品とのギャップです。 僕が最初に Sly & The Family Stone を聴いたのはその数年前のこと。'70年のベスト盤「Greatest Hits」です。 ブラスのリズミックなリフと高揚したボーカルの「I Want To Take You Higher」や、強く跳ねる(元祖?)チョッパー・ベースが前面に出た「Thank You Falettinme Be Mice Elf Agin」など、明快で強烈、ポジティブなイメージの曲が並ぶアルバムでした。 そのあと、'71年の「There's a Riot Goin' On(暴動)」も聴きました。これを転機として、Sly & The Family Stone のサウンドが一変したといわれている作品です。 たしかに、同アルバムでは「Greatest Hits」に比べれば、ずっと落ち着いていてシリアスな印象の曲が並んでいます。しかし、それでも「Fresh」のような暗さや不鮮明さは感じられませんでした。 とはいえ、違和感を持ちながらも「Fresh」を聴かなくなったわけではありません。その逆です。どこか引っかかる魅力があって、僕はしょっちゅうこれを聴いていたのです。 特に気になったのが、1曲目「In Time」と、2曲目「If You Want Me to Stay」です。 「In Time」は、リズム・ボックスにシンクロしたドラムから始まります。クラビネットのリフに、細切れのオルガンやギターの和音が加わります。 突き刺さるような高音は目立ちません。その代わり、なにかくぐもった感じが、曲の初

TOSHINORI KONDO IMA / 大変 ~近藤等則による日本のパンク・ポップ

ジャングル・ビートと祭り囃子が一緒になったような、ドンドコ、ドコドコという強烈なリズムでの幕開け。 「タイヘン、タイヘン、ヘンタイ、タイヘン」と、囃子言葉か掛け声のような短い言葉で唄が続きます。そのあとにトランペット。 これが、TOSHINORI KONDO IMA(近藤等則 IMA)の1984年のアルバム「大変」の1曲目、「タイヘン」です。ビートといい、歌詞といい、ボーカルや楽器の脳天気な響きといい、聴くなり、なんだこりゃ…!といった印象です。 近藤のトランペットが独特です。70年代の Miles Davis に近い気もするし、かなり違う感じもします。動物の鳴き声や、人の叫び声のような音、濁った音を自在に繰り出します。 途中、ドラムのヒットに合わせて、近藤らのボーカルのサンプリングが入ります。終盤には「アタフタ、アタフタ」という掛け声も加わります。そんな曲が、8分近くにわたって続きます。 2曲目は「ザ・デイ・アフター」です。前年にアメリカで高視聴率を記録し、日本でも話題になった同名のテレビ映画から採ったタイトルです。 1曲目とは一転して、静かに、ゆったりとメロディーラインが奏でられます。エフェクトのかかったドラムに続いて、近藤の唄がベースとユニゾンします。 映画は、核戦争後の世界を描く内容です。歌詞もそれに沿っています。 唄の背後には、ノイジーなトランペットが散りばめられています。近藤の奇声も重なります。 ユーモアを含んだ言葉が続き、メロディは明るいものとなっています。 そのため、かえって不気味なメッセージが伝わってきます。 このアルバム「大変」では、全体を通して、ベース、ドラム、近藤やコーラスの唄、トランペットが曲の骨格となっています。 ギターは、コードをカッティングするというよりも、ノイズ的な音を打ち出すのが役目です。パーカッションも、リズムを構成するというよりも、空間を埋め、サウンドに彩を与えるのが役割です。 そのため、どの曲も、とてもシンプルな構成に聴こえます。エネルギーに満ちたサウンドが、ダイレクトに突き刺さってきます。 全6曲中、5曲に唄が入ります。歌詞は日本語です。メロディーも和風です。人の声、楽器、テープレコーダーの音など、さまざまな音のサンプリングも散りばめられています。 そうしたサウンドの中で、近藤はトランペットを吹きまくります。自由奔放なライ