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2月, 2020の投稿を表示しています

Black Uhuru / The Dub Factor ~ダブって何だっけ?

「The Dub Factor」というLPアルバムをレコード店で見かけたのは、1984年のことです。アーティストは Black Uhuru(ブラック・ウフル)です。レゲエのヴォーカル・グループです。 Black Uhuru は、その年、来日することが決まっていました。僕もすでにレコードを2枚持っていました。 ジャケットを見て、ふと思いました。 「The Dub Factor か… Dubって何だっけ?」 Dub(ダブ)は、ジャマイカで生まれた音楽ジャンルです。母体はレゲエです。ジャンルであると同時に手法を指す言葉で、リミックスの始まりともいわれています。 野外でダンスパーティを楽しむため、レゲエ音楽からヴォーカルを抜いたトラック、要はカラオケを作るために行うミキシングの過程から発生したとされています。 原曲のリズムを強調しながら、強いエフェクトをかけることで、別の作品といってよいほどの曲が生み出されます。 ミキシングを行うエンジニアの力が創作に占めるところが大きいため、エンジニア名義で発表されることもあるのがダブの特徴です。 その後、ダブはさまざまな音楽に採り入れられました。ダブテクノ、ダブステップなど「ダブ」の付く音楽ジャンルがいくつも生まれています。 とはいえ、当時の僕の知識といえば、 「ダブ… 雑誌で見たことはあるな」 と、いった程度でした。 それでも、このアルバム、「The Dub Factor」を僕は早速買ってみました。 なぜなら、Black Uhuru の名前とともに、 ドラム:Sly Dunbar ベース:Robbie Shakespeare レゲエを代表するスーパー・コンビの名前が目に入ったからです。 二人はプロデューサーとしても有名です。 彼らがプロデュースした12inchシングル―― Jimmy Riley の唄った Sexual Healing のカバー――が、当時、僕のお気に入りでした。 加えて、Sly Dunbar は Herbie Hancock のアルバム「Future Shock」の2曲にも参加しています。そのリズムにも、僕は魅了されていました。 「The Dub Factor」を聴いてみました。 1曲目「ION STORM」では、リズム・ギター

イーゴリ・ストラヴィンスキー / バレエ「春の祭典」~好きなクラシックTOP3

「朝から聴いているストラヴィンスキー」―――これは、ある歌詞の一節です。 加藤和彦の1983年のアルバム「あの頃、マリー・ローランサン」の中に、「愛したのが百年目」という曲があります。その歌詞です(作詞:安井かずみ)。 この中に登場する「気まぐれな彼女」は、風変りな趣味を持っています。 それが、朝からストラヴィンスキーを聴くこと、と、いうわけです。 当時、僕がよく読んでいたジャズ系の雑誌に、ストラヴィンスキーがしばしば採り上げられていました。前衛的で過激、難解な音楽として扱われています。 特殊な技法を解説した記事もありました。たとえば、近い音階の二音を同時に鳴らし、わざと音を濁らせるといったものです。 前衛、過激、濁らせる…。たしかに、朝から聴く音楽ではないようです。 一方、ジャズミュージシャンや、ロックミュージシャンのインタビューを読むと、こちらでもストラヴィンスキーはしばしば言及されていました。 あの Miles Davis も、若いバンドメンバーに聴かせていたとのこと。 そこで、僕もいよいよ聴いてみることにしました。まずは「火の鳥」です。 三大バレエ音楽と呼ばれるストラヴィンスキーの代表作、「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」のうちのひとつです。 地の底から鳴りひびくような低音から始まり、終盤は壮麗かつ豪華な展開となります。50分前後(指揮によって時間が異なります)にわたるドラマティックな構成です。 聴いたあとは、大作映画を見たような、心地よい疲労感を感じました。 僕はそれまで、クラシックをほとんど聴いてはいませんでした。ですが、すぐに惹きつけられました。 しかし、予想していた「過激」「前衛」は、この「火の鳥」からは感じられませんでした。 「朝から聴いてもおかしくない音楽では?」 そんなイメージでした。 そこで、身構えることもなく、気楽に、次の「春の祭典」を聴いてみました。こちらは過激でした。想定外の音でした。 まず、奇妙で妖しげなメロディーが小さく奏でられます。オーボエによるものです。 その後、バラバラに各楽器が鳴り始めます。演奏開始前のオーケストラの音合わせのようで、どこか不安な、落ち着かない気持ちにさせられます。 次には低音が強打され始めます。不気味です。 や