スキップしてメイン コンテンツに移動

菊地雅章(Masabumi Kikuchi)/ SUSTO(ススト) ~圧倒されて涙ぐんだ



僕がレコードを買い始めた80年代初め頃、参考にしていたのは、まずはラジオやテレビ――小林克也氏のベストヒットUSAなど――でした。

でも、聴き流していただけで曲名をチェックし忘れたりもします。メジャーなジャンルではない、曲が長すぎる、など様々な理由でラジオ・テレビで流れないことも多い。

そのため、雑誌など活字情報も参考にしました。しかし、文字で音楽の魅力を伝えきることは不可能。
メロディー・ハーモニー・リズムを譜面という記号に変換して伝える方法もありますが、それも受け手に「解読」する能力がなければ意味がないし――もちろん僕にその能力はありません――、ボーカルや楽器の音色、質感については、記号化することもできない。
なので、それまで聴いたこともなくBig Nameでもないアーティストのレコードを、活字情報を鵜呑みにして買うのはリスキーです。シマッタ!と思うことも一度や二度ではなかったのです。

菊地雅章(きくちまさぶみ)の「SUSTO(ススト)」も、音楽誌の情報だけで買いました。当時は彼も「知る人ぞ知る」存在でした。
でもその中味は、競馬新聞だけを参考にして馬券を買って、万馬券を引きあてた時はこんな気分か――当時も今も買わないからよく分からない――、と思うくらい素晴らしいものでした。
以下、矛盾するようですが「SUSTO」の魅力を文字で伝えることにします。駄文となるのを覚悟の上で・・・。

金属的な音のシンセのユニゾンから音楽は始まります。
ベース・ドラム・リズムギターが、不思議なリズムパターン――7拍子なのにバスドラムは2拍子を打ち出す――を繰返し始めます。
長く複雑なメロディーの一部を切りだしたかのような断片的なメロディーを、ソプラノ・サックスやシンセが、エキセントリックに奏でます。
総勢15名のプレイヤーが様々な音色を重ねてゆく。ソロらしい長いソロはなく、即興的な短いフレーズが重なり、共鳴する。
その流れの中に突然割り込んでくる、何種類かの固定されたメロディーとリズムのパターン、超重低音。

この15分にも及ぶCircle / Lineは、とにかく圧倒的でした。曲の終盤で二回繰り返されるパターンを最初に聴いた時は、高揚して涙ぐみそうでした。本当です。

作者の菊地雅章は、Miles DavisとGil Evansに大きな影響を受けた人で、Gilとアルバムを共同で創り、Milesが一時引退していた70年代後半に彼のセッションに参加しています。
そのため、SUSTOが発売された時「Milesの70年代前半の音を進化させたような音楽」という評価がされますが、それだけで語れる音楽ではありません。

2曲目はうってかわって、City Snowという曲名がピッタリくる抒情的なメロディー、ゆったりとしたリズム。一つ一つの楽器が響きが美しい。レコードのライナー・ノーツには「ラベルを思わせる」とありますが、それも決しておおげさな表現ではありません。

B面の前半は、Gumbo。
レゲエっぽいけれど、彼独特のリズム。カツ・カツとした乾いたリズム・ギターの音や、途中に入ってくるアジア風メロディーのシンセが心地よい。
後半のNew Nativeは十二拍子のスローテンポ。厚く重たい低音、狂おしい管楽器の高音が迫ってくる、恐怖すら覚えるサウンドです。

このアルバムを買ったのは、発売後2年か3年経った頃だったと記憶しています。
その当時も「プーさん(菊地の愛称)がついにやった!」と、賞讃する記事が目立ちましたが、その後はさらに高い評価を受けていて、特にクラブ系のDJ・アーティストからリスペクトされているとのこと。Instrumental Hip-Hopの第一人者DJクラッシュもその一人です。

プーさんは、PrinceのBlack Albumを聴いた時「俺がやろうとしていることと方向性が同じ」「スグに聴くの止めたんだよ。先越されたんじゃ、面白くないからね」と発言しているそうです。(97年再発時のライナーより)
Black Albumが非正規に出回った87年頃には、プーさんは50才近いはずで、SUSTOへの評価もあり“大御所”扱いでした。にも関わらず、若くて最前線にいるアーティストをライバル視していたのです。

そのPriceが亡くなる前年の2015年7月6日、菊地雅章氏は永眠されました。


菊地雅章(Masabumi Kikuchi)/ SUSTO

A1:Circle / Line
A2:City Snow

B1:Gumbo
B2:New Native

このブログの人気の投稿

LAUREL HALO / CHANCE OF RAIN ~宅録女子の躍進

エレピの音から入る短い1曲目に続き、2曲目はベースだけが固定されていて、ドラム、シンセ、パーカッションの断片的なフレーズが飛び交う、複雑でセカセカさせるくらいの曲調。 3曲目は一転して、ドッシリ、ユッタリしたビートが淡々と続く展開。 4曲目は再び速めのビートですが、様々なパターンが入れ替わり立ち替わり、あらわれては消えてゆく、典型的なテクノ的展開。 B面の1曲目はストリングスや管楽器が主体の短い曲。2曲目以降は再びテクノ的な曲続き、最後はピアノの短い曲で終わります。 1つ1つの曲は、テクノの基本となるミニマルな要素で構成され、ボーカルや楽器のソロもありません。 しかし、様々なパターンやフレーズを巧みに配置し組み合わせて構成されていて、曲ごとにリズムやサウンドも異なり、単調な感じはありません。 また、全体をとおして特徴的なのは、音の質感です。当時のEDM系などのクリアな音とは正反対に、少しくぐもっていてザラザラした感じで、新鮮に聴こえました。 ところで、この作品「CHANCE Of RAIN」は女性アーティスト Laurel Halo(ローレル・ヘイロー)が、クレジットをみる限り一人で創った作品です。 いつの頃からか、音楽サイトやCDのライナー・ノーツなどで「宅録女子」という言葉を目にするようになりました。 正式な定義(?)は目にしたことはありませんが、自宅で安価な汎用機材を使い、一人で曲をつくりあげる女性アーティストのことだと思われます。彼女はその典型の一人でしょう。 しかし、この作品から「女性らしさ」は全く感じられません。 同じHyper Dubというレーベルからは、Ikonikaという「宅録女子」の作品も出ていますが、そのサウンドも女性らしさを感じさせるものではありません。 そして、それぞれ、とても個性的なサウンドです。 Ikonikaの場合、CDやレコードに顔写真が載っていなかったので、長い間女性と分からずに聴いていて、時々出てくる本人のボーカルも「ゲスト・シンガーの声だろう」と思っていたくらいです。 メンバーを集めてバンドを作る必要がなく、スタジオという共用の空間に入る時間も少ない「宅録」というスタイルは、性別という社会的な属性をアーティスト自身が意識させられることから自由なため、個人がそのまま強く表に出る。 女

FUMIYA TANAKA / MIX-UP Vol.4 ~渋谷シスコ・テクノ店の思い出

1996年のある週末、いつものように渋谷のタワーレコードかHMVでCDを買って帰りかけていた時、唐突に「高校の頃に友達と、ここらへんの感じのよいレコード屋に来たことがあったな」と思いだしました。 実はそのころ、同じアーティストの作品ばかり、それも決まった店で買うことが続いていて、退屈気味だったのです。たまには目先を変えてみよう、と思いその店を探してみることにしました。 不思議なことに20年近く前に一度行ったきりなのに、階段を上ったところにあるその店にすぐに辿りつきました。今はなき「シスコ・レコード」のテクノ店です。 もっとも、前に行った時は70年代ですから、当然「テクノ店」ではなかったのですが・・・ 中に入ると、真ん中のスペースと壁側のほとんどはアナログ・レコードで、CDが置いてあるスペースはごくわずかです。 当時、レコード・プレイヤーは壊れてしまっていて、また聴きたい作品のほぼ全てをCDに買い替えていたため、レコードは聴いていませんでした。 何か場違いな感じがしながらCDを物色して、何も分からないまま、ジャケットのセンスだけで一枚購入。 とても幸運なことに、それは当時「テクノ・ゴッド」とまで形容されていた日本人アーテイスト、Ken Ishiiの別名義Flareの「GRIP」というアルバムでした。 目が覚めるような鮮烈で不思議な響きの音とリズム。冒頭の音から一瞬で魅了されました。 この作品の発売日から、それは1996年の10月末頃のこと、ということになります。 それからは毎週末のように「シスコ」に通い、CDを2枚、3枚と買うことになります。 まずには「GRIP」と同じSublime Recordsレーベルの作品を中心に、他はジャケットやアーティストの顔から「エイヤ!!」で選びました。 当たりもハズレもあったけど、僕にとっての「新しいアーティスト」を探すことを、久しぶりに楽しんでいました。 そんな1996年の12月、FUMIYA TANAKA(田中フミヤ)のMix-CD、「MIX-UP Vol.4」に出会ったのです。 FUMIYA TANAKA / MIX-UP Vol.4 1:JAMM'IN(MXU EDIT) / FUMIYA TANAKA 2:INSISTENCE / FUMIYA TANAKA

SLY & THE FAMILY STONE / FRESH ~最近秘密を知りました

Sly & The Family Stone(スライ&ザ・ファミリー・ストーン)の1973年のアルバム「Fresh」を最初に聴いた時、感じたのはある種の違和感です。サウンドが暗く不鮮明で、くぐもった感じがしたのです。 「録音状態が悪かったのかな?」と、思ったくらいでした。 時期としては'80年代の後半、輸入盤のCDだったと記憶しています。僕はその当時まで、ディスコ系の音楽や、テクノ・ポップ、フュージョンをよく聴いていました。違和感の原因のひとつはそれでしょう。これらのジャンルの作品は、音質もサウンドも、クリアで明快なものが主流でした。 もうひとつの理由は、彼らのそれまでの作品とのギャップです。 僕が最初に Sly & The Family Stone を聴いたのはその数年前のこと。'70年のベスト盤「Greatest Hits」です。 ブラスのリズミックなリフと高揚したボーカルの「I Want To Take You Higher」や、強く跳ねる(元祖?)チョッパー・ベースが前面に出た「Thank You Falettinme Be Mice Elf Agin」など、明快で強烈、ポジティブなイメージの曲が並ぶアルバムでした。 そのあと、'71年の「There's a Riot Goin' On(暴動)」も聴きました。これを転機として、Sly & The Family Stone のサウンドが一変したといわれている作品です。 たしかに、同アルバムでは「Greatest Hits」に比べれば、ずっと落ち着いていてシリアスな印象の曲が並んでいます。しかし、それでも「Fresh」のような暗さや不鮮明さは感じられませんでした。 とはいえ、違和感を持ちながらも「Fresh」を聴かなくなったわけではありません。その逆です。どこか引っかかる魅力があって、僕はしょっちゅうこれを聴いていたのです。 特に気になったのが、1曲目「In Time」と、2曲目「If You Want Me to Stay」です。 「In Time」は、リズム・ボックスにシンクロしたドラムから始まります。クラビネットのリフに、細切れのオルガンやギターの和音が加わります。 突き刺さるような高音は目立ちません。その代わり、なにかくぐもった感じが、曲の初

TOSHINORI KONDO IMA / 大変 ~近藤等則による日本のパンク・ポップ

ジャングル・ビートと祭り囃子が一緒になったような、ドンドコ、ドコドコという強烈なリズムでの幕開け。 「タイヘン、タイヘン、ヘンタイ、タイヘン」と、囃子言葉か掛け声のような短い言葉で唄が続きます。そのあとにトランペット。 これが、TOSHINORI KONDO IMA(近藤等則 IMA)の1984年のアルバム「大変」の1曲目、「タイヘン」です。ビートといい、歌詞といい、ボーカルや楽器の脳天気な響きといい、聴くなり、なんだこりゃ…!といった印象です。 近藤のトランペットが独特です。70年代の Miles Davis に近い気もするし、かなり違う感じもします。動物の鳴き声や、人の叫び声のような音、濁った音を自在に繰り出します。 途中、ドラムのヒットに合わせて、近藤らのボーカルのサンプリングが入ります。終盤には「アタフタ、アタフタ」という掛け声も加わります。そんな曲が、8分近くにわたって続きます。 2曲目は「ザ・デイ・アフター」です。前年にアメリカで高視聴率を記録し、日本でも話題になった同名のテレビ映画から採ったタイトルです。 1曲目とは一転して、静かに、ゆったりとメロディーラインが奏でられます。エフェクトのかかったドラムに続いて、近藤の唄がベースとユニゾンします。 映画は、核戦争後の世界を描く内容です。歌詞もそれに沿っています。 唄の背後には、ノイジーなトランペットが散りばめられています。近藤の奇声も重なります。 ユーモアを含んだ言葉が続き、メロディは明るいものとなっています。 そのため、かえって不気味なメッセージが伝わってきます。 このアルバム「大変」では、全体を通して、ベース、ドラム、近藤やコーラスの唄、トランペットが曲の骨格となっています。 ギターは、コードをカッティングするというよりも、ノイズ的な音を打ち出すのが役目です。パーカッションも、リズムを構成するというよりも、空間を埋め、サウンドに彩を与えるのが役割です。 そのため、どの曲も、とてもシンプルな構成に聴こえます。エネルギーに満ちたサウンドが、ダイレクトに突き刺さってきます。 全6曲中、5曲に唄が入ります。歌詞は日本語です。メロディーも和風です。人の声、楽器、テープレコーダーの音など、さまざまな音のサンプリングも散りばめられています。 そうしたサウンドの中で、近藤はトランペットを吹きまくります。自由奔放なライ