学生の頃、居酒屋で飲んでいて終電を乗り過ごし、友人の下宿に転がりこんだ時のことです。
大柄でがっちりした体格のその友人は、ベース・ギターをつま弾きながら、朴訥な口調で唐突に「キース・ジャネット、いいんだよね」とつぶやきました。ベーシストか、と思ったらそうではなく、「ピアニストだよ。ピアノだけでコンサートするんだ」と、手でピアノを弾くふりをするのです。
カセット・テープで、その一部を聴かされました。ポロン、ポロンという感じの静かな音のつながりでした。クラシックか、ロックか、ジャズかも判らず、強い印象は持ちませんでした。
翌日、兄に聞いてみると、「ジャネットじゃなくて、ジャレットだよ。おまえ知らないの?」。どうやら相当に有名な人のようです。
その後、ジャズ系の雑誌でキース・ジャレット=Keith Jarrett の記事をよくみかけるようになりました。ほとんどがソロ・コンサートに関する、絶賛に近いものでした。彼の手のひらの写真とともに、「ピアノの弾きすぎで、親指は変形している」と書かれた記事もありました。
でも、その頃は Miles Davis や Herbie Hancock、Stevie Wonder などに熱中していて、あえて Keith Jarrett を聴く気にはなりませんでした。
何年か経ったある時、Miles のレコードを聴きながら、ふとクレジットに目をやると、Keith Jarrett の名前がありました。Miles の1970年くらいのライブやスタジオ・セッションに、Keith が頻繁に参加していたのです。
Miles のアルバムを Keith の演奏に集中して聴き直しました。
ライブ・アルバムの「Live-Evil」、とくに「What I Say」での凄まじいプレイ。ものすごいスピードで両手で全く同じフレーズを叩き出す、強烈でファンキーなエレピ、オルガン。友人の下宿で聴いたソロ・ピアノとはまったく印象が異なりました。
そこで、Keith Jarrett の「SOLO-CONCERTS」というCD2枚組のアルバムを聴いてみました。
ポロン、ポロンという静かな音だけでなく、メロディアスな部分や、急速で激しい部分もあり変幻自在。絶賛記事が多いのもうなづけます。でも、僕はノレませんでした。
何か密室的で息苦しく、重苦しい感じがして、リラックスして聴けないのです。こういう印象は「ソロ・ピアノ演奏」というフォーマットのせいかもしれないと思い、他の楽器も入った作品も聴いてみました。
「生と死の幻想」を聴いても、ますます同じ印象を深めました。Keith の作品の評論では「ナルシシズム」「耽美的」「ロマンティシズム」といった言葉をよく目にしますが、これらの要素の「香り」が強烈すぎて、音にむせるような感じがしたのです。
そんな時、FMラジオで Keith Jarrett の別の曲を聴き、録音しました。「朝に聴くのによいジャズ」というようなコーナーで、Bill Evans の弾く「Green Dolphin Street」などとともに放送された「My Song」(同名アルバムのタイトル曲)です。
静かでリズミカルなピアノに続いて、サックスが高い音で唄いはじめる、彼の作品らしくとても美しい曲ですが、同時に軽やかで爽やかな印象を受けました。
さっそく「My Song」のCDを買って全曲を聴いてみました。5曲目の「MANDALA」はフリージャズ形式ですが、他の5曲はタイトル曲と同じく、重苦しさを感じないものでした。
バンドは典型的なジャズのカルテット編成。しかし、ジャズともクロス・オーバーともまったく異なるサウンドで、むしろ弦楽四重奏のようなクラシックの室内楽を連想させます。アドリブのように聴こえる部分はなく、各楽器のソロ部分を含むすべてが、あらかじめ譜面に書かれ、入念に練習を重ねたもののように思えてくるくらい、完璧な演奏です。
完璧であるがゆえの息苦しさも感じません。演奏中の Keith Jarrett のうなり声も録音されていますが、ナルシシズムも、耽美的な部分も過剰ではなく、爽やかでリリカルです。
ジャケットは、タイトルとミュージシャンの名前の文字がすこし傾いていて、中央には女の子二人の写真。中味と同じく、愛らしく爽快で、アーティスティックです。
その後も1、2枚CDを買いましたが、いまでも聴いている Keith Jarrett のアルバム(後に中古レコードも買いました)は、この1枚だけです。
KEITH JARRETT / MY SONG(1978年)
A1:QUESTAR
A2:MY SONG
A3:TABARKA
B1:COUNTRY
B2:MANDALA
B3:THE JOURNEY HOME