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4月, 2019の投稿を表示しています

菊地雅章(Masabumi Kikuchi)/ SUSTO(ススト) ~圧倒されて涙ぐんだ

僕がレコードを買い始めた80年代初め頃、参考にしていたのは、まずはラジオやテレビ――小林克也氏のベストヒットUSAなど――でした。 でも、聴き流していただけで曲名をチェックし忘れたりもします。メジャーなジャンルではない、曲が長すぎる、など様々な理由でラジオ・テレビで流れないことも多い。 そのため、雑誌など活字情報も参考にしました。しかし、文字で音楽の魅力を伝えきることは不可能。 メロディー・ハーモニー・リズムを譜面という記号に変換して伝える方法もありますが、それも受け手に「解読」する能力がなければ意味がないし――もちろん僕にその能力はありません――、ボーカルや楽器の音色、質感については、記号化することもできない。 なので、それまで聴いたこともなくBig Nameでもないアーティストのレコードを、活字情報を鵜呑みにして買うのはリスキーです。シマッタ!と思うことも一度や二度ではなかったのです。 菊地雅章(きくちまさぶみ)の「SUSTO(ススト)」も、音楽誌の情報だけで買いました。当時は彼も「知る人ぞ知る」存在でした。 でもその中味は、競馬新聞だけを参考にして馬券を買って、万馬券を引きあてた時はこんな気分か――当時も今も買わないからよく分からない――、と思うくらい素晴らしいものでした。 以下、矛盾するようですが「SUSTO」の魅力を文字で伝えることにします。駄文となるのを覚悟の上で・・・。 金属的な音のシンセのユニゾンから音楽は始まります。 ベース・ドラム・リズムギターが、不思議なリズムパターン――7拍子なのにバスドラムは2拍子を打ち出す――を繰返し始めます。 長く複雑なメロディーの一部を切りだしたかのような断片的なメロディーを、ソプラノ・サックスやシンセが、エキセントリックに奏でます。 総勢15名のプレイヤーが様々な音色を重ねてゆく。ソロらしい長いソロはなく、即興的な短いフレーズが重なり、共鳴する。 その流れの中に突然割り込んでくる、何種類かの固定されたメロディーとリズムのパターン、超重低音。 この15分にも及ぶCircle / Lineは、とにかく圧倒的でした。曲の終盤で二回繰り返されるパターンを最初に聴いた時は、高揚して涙ぐみそうでした。本当です。 作者の菊地雅章は、Miles DavisとGil Evansに大きな影

Neil Diamond / Jonathan Livingston Seagull ~小説よし・映画よし・音楽もすべて良し

「朝だ。しずかな海に、みずみずしい太陽の光が金色にきらめきわたった」――「かもめのジョナサン」(Richard Bach 著 五木寛之 訳著)の書き出しです。 映画「かもめのジョナサン」のサントラ(作詞作曲:Neil Diamond オーケストレーション:Lee Holdridge)も、夜明けを想わせる荘重な響きから始まります。 ほかのカモメたちが、漁船から魚を集めるためにまかれる餌を横取りするのに躍起になるのを横目にみて、ジョナサンはただ一羽、ひたすら飛行の訓練にいそしむ。 急降下から水平高速飛行への移行、ペリカンのような低空飛行、空中の一点での停止・・・ 高度な飛行訓練の果てに、ついに海面に猛スピードで激突してしまう。 このあたりが2曲目“Be”――3曲目“Flight of The Gull”。 重たい翼で海に浮かびながら、なぜうまくゆかないのか考える。なぜ?――4曲目“Dear Father”。 やがて解決策がひらめく。そして試す。うまくいった! 翌朝、餌あさりに夢中になる群れの中を、見せびらかすように超高速で横切るジョナサン。――5曲目“Skybird”(インストルメンタル) しかし「生活のためにこそ飛ぶべきであり、それ以上の飛行の追求は不遜である」と考える保守的な群れの長老により、ジョナサンは群れから追放されてしまう。――A面最終曲“Lonely Looking Sky” B面も、物語の後半の展開に沿って曲が配置されています。5つの歌曲とフル・オーケストラ主体の器楽曲で構成されたアルバムです。 かもめのジョナサンの原作を読んだのは中一の夏。学校帰りに買って、その日の夕飯の前には読み終わっていたくらいのボリューム。風変わりな物語と多数のカモメの写真に夢中になり、何度も読み返しました。 その翌年の初めに映画が封切られ、初めて(家族ではなく)友人同士で映画を見ました。その中の音楽に惹きつけられました。 その年の誕生日プレゼントは、このサントラのレコード。僕が初めて「これがほしい」と思ったレコードでした。 原作に対しては「宗教書みたいだ」(修行を積んで高い次元にゆくと純白のカモメになる、という設定から)「白人優越主義だ」などの批評・批判があったと記憶しています。 サントラについて、五木寛之氏は「まるで古い映画の『

Stevie Wonder / Talking Book ~ビートとの出会い

洋楽を初めて聴いたのは小学5、6年、1972年か73年の頃だったと思います。 兄の部屋のラジカセから流れてくるのを聴いたり、友だちの部屋で聴いたりしていましたが、最初は好きになれませんでした。 当時の洋楽と言えば、Led Zeppelin、Jeff Beck、Deep Purple など、白人のロックが中心でした。そういう曲の中でかき鳴らされるエレキ・ギターの音と、叫ぶようなボーカルが嫌いでした。 母親は、「うるさい!」「騒音!」「消しなさい!」と、兄に口うるさく言っていました。 周りにダサイと思われるのがイヤなので口に出して言うことはなかったですが、当時の僕の本音は、母と全く同じでした。 そんなある日、兄の部屋からそれまで聴いたことのない音楽が流れてきました。 ロックとは少し違ったノリのドラムから始まり、そこに不思議な電子音のリズミカルなフレーズが重なっていきました。 ロックの叫ぶようなボーカルとはちがう、ヌケのよい声も。 はじめて洋楽を心地よく感じ、自然に身体が動き出すような感覚も覚え、ドキドキするくらいでした。 そして、中学に入ったばかりの頃、「セサミ・ストリート」の中で、黒人のミュージシャンがキーボードを弾きながら、同じ曲を唄うのを見ました。 ミュージシャンの名は Stevie Wonder。曲は、Superstition。 のちに彼のトレード・マークとなった、頭を振る動きや、鍵盤上を飛び跳ねるような指の動きが、目に焼き付いています。 この「セサミ・ストリート」への出演は、いまではファンの間では語り草になっています。 ネットもなく、ビデオも普及していない時代、偶然にもリアルタイムで見られたのは幸運でした。 エレキ・ギターのノイジーな音は苦手でも、Stevie の曲で使われるクラビネットや初期のシンセサイザーの電子音、エレピの音は、僕の耳に心地よく響きました。 高校に入る頃からは、ディスコ・ブームが始まりました。Bee Gees や Earth Wind & Fire など、ソウル系の音が自然と耳に入ってきます。 クラビネットやシンセサイザーだけでなく、コーラス、ブラス、パーカッション、リズム・ギター(同じギターでも、こっちの方は好きでした)の音色、そして、ついつい身体が動きだして

Herbie Hancock / Magic Windows ~90年代先取りのHerbie流テクノ

アルバムを持っているけれど聞くのは1曲か2曲だけ。音楽好きの人なら、そういうLPやCDが1枚や2枚はあると思います。 僕の場合は Herbie Hancock の「Magic Windows」がその1枚。ラストの「The Twilight Clone」がその1曲です。 最初にシンバルがリズムを打ち出し、それに続いてパーカッションとプツプツという感じのプログラムされたシークエンサーの音が絡む。 チョッパー・ベースが続き、二つ目のペキペキしたシークエンスとともに、ドラムマシーン=初期のHip-Hopでよく使われたLinn-Drumのユッタリ・シンプルなビート、手弾き(?)のシンセ・ベースが重なる。 そして、エレキギターとシンセのユッタリした展開しないメロディー。 途中にリズム・ギターが加わり、転調もあるけれど、延々同じビートとメロディーが約8分間続きます。 ベース:Louis Johnson、リード・ギター:Adrian Belew、パーカッション:Paulinho da Costa、という錚々たるプレーヤー逹が演奏しているだけに、こういう淡々とした曲調が一層際立ちます。 ちなみに、ドラマーはクレジットされていませんが、冒頭からずっと同じパターンを繰返し続けているシンバル、どう聞いてもLinn Drum=機材の音には聞こえません。参加メンバーの誰かが叩いたのを録音し、ループさせてダビングしたものではないか、と思うのですが。 こういう展開は90年代からのミニマル・テクノの曲でよく耳にしましたが、1981年にそれを先取りしていると言えなくもありません。 クラブ・シーンでリスペクトされている Herbie Hancock の作品なのだから、テクノの一流DJがREMIXしたのをB面にもってきて、12inchシングルでリ・イッシューしたらウケるのでは…などと想像してしまいます。 Herbieは、前年1980年の「Mr.Hands」でも、ドラム・マシーンを使用しすべて一人で演奏した「Textures」を発表しているし、プログラミングした音との共演、ということでは、1974年の「Dedication」で試みています。 こう見てくると、1983年の「Future Shock」も、Herbie のキャリアの中で、決して唐突な突出した作品

PRINCE & The Revolution / PARADE ~三度目のプリンス

トレイにCDを置きPLAYボタンを押した次の瞬間、いきなりヒズんだバシャバシャというドラムの音。「椅子からころげおちそうになった」という表現がおおげさでないくらい、驚きました。 2曲目は一転してクリアな音で、金属的な高音がキンキン耳に突き刺さる。 3曲目はまたくぐもったような音。 4曲目のバラードから、 5曲目はSAXと唄が延々同じメロディを繰り返す展開。 6曲目、また激しいドラム―――すさまじいバスドラの連打。 7曲目は映画かドラマのサントラのようなインスト。 ここまでが前半=LPではA面。 B面は豪華に始まって、涙が出てきそうな弾き語りで締め。ジャケットのイメージとは裏はらに、ケレン味あふれる極彩色の曲の数々です。 PRINCE & The Revolution / PARADE A1:Christopher Tracy's Parade A2:New Position A3:I Wonder U A4:Under The Cherry Moon A5:Girls & Boys A6:Life Can Be So Nice A7:Venus De Milo B1:Mountains B2:Do U Lie? B3:Kiss B4:Anotherloverholenyohead B5:Sometimes It Snows In April このアルバム以降、僕にとってPRICEは神の如き存在に。でも、それまでには紆余曲折がありました。 1984年頃までは、PRINCEは「食わず嫌い」でした。当時のパブリックイメージ―――ジャケットにビキニ・パンツで登場するとか、ステージで○○を投げてるとか、の影響です。 でも、その割には音楽誌でもマトモに解説されているし、Mick Jagger やホール&オーツの Daryl Hall が絶賛しているみたいな話があって、気になる存在ではあるものの、その頃は Stevie Wonder や Herbie Hancock の方に関心が行っていました。 ナンカ、スゴイゾと思ったのは確か1985年の初め頃、小林克也さんの「Best Hit USA」の中で「I Would Die 4 U ~ Baby I'm a Star」のメドレ