こういう音楽を聴いていると、音楽をジャンル別けすることの無意味さを感じます。
ロック系のスタジオ・ミュージシャンとしてロンドンで活動を始め、1969年以降に渡米して Miles Davis の歴史的傑作「In A Silent Way」などに参加し、Santana との共演作もある John McLaughlin がリーダー。
インドの伝統楽器シタール奏者で世界的に有名な Ravi Shankar の一族で、ヴァイオリン奏者の L. Shankar。他に2人が、タブラなどのインドの打楽器で参加。
こう書くと、「西洋音楽とインドの民族音楽との高度な融合」などという説明が浮かんできそうです。でも、実際はそんな図式的な表現では言い表せない、想像を超えた音楽でした。
1曲目の冒頭。「ダバデゥブダバデゥン、ダバデゥブダバデゥン…」というヴォイスで始まり、それにシンクロするリズムでタブラなど打楽器が重なり、ヴァイオリンとアコースティック・ギターが乗っていきます。
インドの音階を使っているのでしょうが、そのあたりに疎い僕の耳には、全く“インド”が聴こえてきません。
圧倒されるのは、まずそのスピードです。聴いた印象でも「メチャクチャ速い」と感じますが、CDプレイヤーのカウンターを見ると、BPMが145~155。クラブ系音楽でも相当に速い部類に入ります。
そして音色。タブラの高音、脳天に響くような金属的な音。ギターやヴァイオリンも、電気は一切使っていないのになぜかメタリックな響きがします。
2曲目、3曲目では頻繁にテンポが変化し、早い部分では、BPM160くらいになります。4人が息を合わせて自在にテンポを変えている感じが非西洋的です。ただし、民族音楽を感じるのはこのテンポの変化くらいです。
僕がこのアルバムを聴いてみようと思ったのは、雑誌の記事で「昇天モノの音」と紹介されていたためです。
実際に聴くと、まさにそのとおり。金属的な高音の繰返しは脳に作用して、催眠的・麻薬的効果があると聞いたことがありますが、その典型です。つまり、聴きすぎるとヤバイ音楽です。
このように、斬新で前衛的、ドラッギーな音楽は、John が、当時「クロス・オーバー」と呼ばれたジャズ系音楽のアーティストだったからこそ、生まれたのではないかと思います。
Weather Report、Return to Forever、Brecker Brothers などのグループや、Herbie Hancock、Jaco Pastorius など、70年代のクロス・オーバー系のアーティストたちは、それぞれ別々のジャンル名を付けてもよいくらい、独特で個性的、そして自由に音を作り上げています。
この自由さは、逆説的ですが、ジャズがポップ・ミュージックの主役でなくなったことと関係しているように思います。
60年代から70年代にかけて、ロックは急速にビッグ・ビジネスになっていきます。反面、そのことから来る制約も大きかったでしょう。
たとえば、「売れている誰々みたいな音楽を作れ」。
ビッグになったグループに対しては、「これからも同じスタイルを続けろ」といった要求も?
観てはいませんが、映画「ボヘミアン・ラプソディ」も、このような会社側とアーティストとの葛藤がテーマと聞いています。
一方、ジャズではそういう葛藤が少なかったのではないか?
むしろ「ロックに比べて売れていないのだから、ダメモトでやってみるか」という、アーティストの音楽的冒険を許容する姿勢が、レコード会社側にあったのかもしれません。
また、ロックのグループのメンバーが固定的であるのに比較して、ジャズ系のアーティストは、それぞれの楽器を演奏する技量を武器に、さまざまなアーティトのセッションに参加します。ときに、それはロックやポップなど他ジャンルにも及び、必然的に音楽の幅が広がります。
そして、フリージャズの存在もあります。
ジャンルとしてのフリージャズは、「いっさいの決まりごとを排する」という考え方がドグマになり、自由さを失っていきますが、一方で、ジャズ系アーティストに「既成概念から自由になる」という姿勢を植え付けていく役割も果たしたのではないでしょうか。
こういう自由な考え方は、80年代以降すべてのジャンルで普通になっていきますが、70年代では、ジャズやクロス・オーバーが先行していたように思います。
そこから生れた傑作のひとつが、この「A Handful of Beauty」なのでしょう。
Shakti with John McLaughlin / A Handful of Beauty(1977年)
A1:La Danse du Bonheur
A2:Lady L
A3:India
B1:Kriti
B2:Isis
B3:Two Sisters