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AUNTIE FLO / RADIO HIGHLIFE ~さりげない多様性



はじめて聴いたときの印象が新鮮、かつ強烈で、最初は毎日何度も聴いていたのに、やがてパッタリと聴かなくなってしまった…。

僕にはそういう作品がいくつもあります。

逆に、最初に聴いたときは印象に残らなかったけれど、その後は長い間聴き続けている。そんな作品もあります。

AUNTIE FLO の「RADIO HIGHLIFE」は、後者の典型です。

毎日ではないけれど、昨年10月に購入して以来、丸1年ずっと聴き続けています。

エレピやパーカッション、短く断片的なメロディーのヴォーカルなど、冒頭の短いイントロから、生の音が印象的です。

多くの曲が、軽快なリズムの心地よい、トロピカルなフュージョンといった雰囲気です。

'80年頃からよく聴いているような音だな、という印象もあります。

トランペットが入るパートなど、50~60年代のアフロ・キューバン・ジャズを連想させます。

一方で、アフリカ的な感じのする短めの曲もあります。

トーキング・ドラムの音にシンセと木琴のようなシークエンス音が重なる「WESTERN PRINCES」。

エフェクトを掛けたコーラスとパーカッションがミステリアスな「INGA'S CHOIR」。

民族楽器的パーカッションの上に、男性ヴォーカルの語りが重なる「ONE GUITAR」。

ウガンダの民族弦楽器をフィーチャーした「KAMPALA」。

ドラム・マシーンの音の上に呪術的なヴォーカルが乗っかる「MAGIC STONES SKIT」です。

ただし、これらの曲もどことなく環境音楽的にソフトに仕上げられています。「トロピカルなフュージョン」に溶け込むように、アクセント的に配されているといったかたちです。

なので、レコード・ショプのサイトなどには、この作品について、

「アフロ・ハウス」
「アフロ・トライバル」

と、いったキャッチコピーも見られますが、実際に聴いてみると、アフロ的な要素は僕はあまり感じません。

ハウスという言葉から連想するような、強烈な低音、激しいビートも見当たりません。

全体を通して、すーっと心地よく耳に入ってくる、軽快な、BGM的とも言える作品です。

それでも、何か引っかかる魅力をもつ音ともいえます。気楽に聴き流せる感じではありません。

昔からよく聴くようではあるけれど、懐かしいわけでもなく、かといって最先端かつ新鮮というのとも違う、不思議なサウンドです。

他のクラブ系音楽と同様、「RADIO HIGHLIFE」では、グラスゴーを拠点に活動する Brian D'Souza(AUNTIE FLO はアーティスト・ネーム)が、サンプリングや打ち込みなどによって、多くのパートをひとりで作っています。

一方で、多くのゲスト・ミュージシャンが、生楽器やヴォーカルで参加しています。

この作品の魅力は、こうしたあたりからも来ているのではと思い、彼ら、彼女らの名前を検索してみました。

すると、特に印象に残る音を出している3人のパーカッションは、セネガル人男性、キューバ人女性、白人と思われる男性、という顔ぶれです。

さらに、ほかの楽器を調べてみるともっと多彩です。

キューバ音楽から、トランペットとキーボードでそれぞれ一人ずつ。

ウガンダの民族弦楽器の人も参加しています。

ヴォーカルでは、両親がジンバブエ出身でロンドン生まれのベーシストがいます。女性です。

ロシアのテクノ・アーティスト。こちらも女性です。

ほかには、ガーナ出身で、イギリスで活躍する男性シンガーも。

ただし、これほど多様な出身、多人種なのにも関わらず、そのことをショップや音楽情報サイトはさほど強調していません。

つまり、これらは、いまではごくあたりまえのことなのでしょう。

ですが、僕がそうであるように、昔からの音楽好きであれば、これは驚きに値することかもしれません。

たとえば、サイモン&ガーファンクルの Paul Simon は、1986年、南アフリカのアーティストの大幅なサポートを得てアルバムを作り上げました。しかし、そのことで、「植民地主義的」「南アフリカから音楽を盗んだ」などの非難を浴びています。

1988年には、黒人のハードロック・グループ、Living Colour がブレイクしました。白人の音楽であるロックを黒人が演奏するという、当時としては特殊な状況が、注目を浴びた理由のひとつでした。

このように、国籍や人種や民族などによって、音楽に壁のようなものがつくられていた時代と比べると、いまは隔世の感があります。

そこで話を戻すと、「RADIO HIGHLIFE」に僕が感じる不思議な魅力の理由は何なのか。多国籍・多人種による作品だからなのか。

結局、そこは分かりませんでした。

ですが、音楽に人種の壁はない方がよい、という僕の想いに照らせば、この作品はそれを大いに具体化してくれているようで、とてもうれしい一作です。


AUNTIE FLO / RADIO HIGHLIFE(2018年)

A1:LIFE IS HIGH
A2:NOBODY SAID IT WOULD BE EASY
A3:HAVANA RHYTHM DANCE [FT. ANDREW ASHONG]
A4:ISBJORN
A5:LIGHT IN THE NORTHERN SKY
A6:WESTERN PRINCES
A7:INGA'S CHOIR

B1:CAPE TOWN JAM
B2:ONE GUITAR [FT. DAN MUGULA]
B3:KAMPALA
B4:MAGIC STONES SKIT
B5:MAME'S STORY [FT. MAME NDIACK]

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