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SLY & THE FAMILY STONE / FRESH ~最近秘密を知りました

Sly & The Family Stone(スライ&ザ・ファミリー・ストーン)の1973年のアルバム「Fresh」を最初に聴いた時、感じたのはある種の違和感です。サウンドが暗く不鮮明で、くぐもった感じがしたのです。 「録音状態が悪かったのかな?」と、思ったくらいでした。 時期としては'80年代の後半、輸入盤のCDだったと記憶しています。僕はその当時まで、ディスコ系の音楽や、テクノ・ポップ、フュージョンをよく聴いていました。違和感の原因のひとつはそれでしょう。これらのジャンルの作品は、音質もサウンドも、クリアで明快なものが主流でした。 もうひとつの理由は、彼らのそれまでの作品とのギャップです。 僕が最初に Sly & The Family Stone を聴いたのはその数年前のこと。'70年のベスト盤「Greatest Hits」です。 ブラスのリズミックなリフと高揚したボーカルの「I Want To Take You Higher」や、強く跳ねる(元祖?)チョッパー・ベースが前面に出た「Thank You Falettinme Be Mice Elf Agin」など、明快で強烈、ポジティブなイメージの曲が並ぶアルバムでした。 そのあと、'71年の「There's a Riot Goin' On(暴動)」も聴きました。これを転機として、Sly & The Family Stone のサウンドが一変したといわれている作品です。 たしかに、同アルバムでは「Greatest Hits」に比べれば、ずっと落ち着いていてシリアスな印象の曲が並んでいます。しかし、それでも「Fresh」のような暗さや不鮮明さは感じられませんでした。 とはいえ、違和感を持ちながらも「Fresh」を聴かなくなったわけではありません。その逆です。どこか引っかかる魅力があって、僕はしょっちゅうこれを聴いていたのです。 特に気になったのが、1曲目「In Time」と、2曲目「If You Want Me to Stay」です。 「In Time」は、リズム・ボックスにシンクロしたドラムから始まります。クラビネットのリフに、細切れのオルガンやギターの和音が加わります。 突き刺さるような高音は目立ちません。その代わり、なにかくぐもった感じが、曲の初

teebs / ardour ~空に絵の具で描いたイメージの音楽

Teebs(ティーブス=Mtendere Mandowa)のアルバム「Ardour」は、聴いていると、頭に自然と映像が浮かんでくるような作品です。 その映像は、アニメーションでもCGでもなく、ストーリーのあるドラマや映画のようでもありません。抽象的な映像です。 たとえば、抽象的な絵画が、空中に絵の具で描かれていくようなイメージです。ただし、描き手も絵筆もそこには見えません。色だけが塗られていくかたちです。 なお、Teebs はペインターとしても活動しています。このアルバムのアートワークも彼の手によるものです。そのことを知っているため、僕の頭には余計に映像が喚起されるのかもしれません。 1曲目は「You’ve Changed」です。漂うような、深くくぐもった音色の和音を背景に、カタカタ鳴る木質の音や、金属的な高音の打楽器によるシークエンスが散りばめられます。 いわゆる「宅録」的なサウンドであることは一聴してわかります。エレクトリックな機材を駆使し、プログラミングし、エフェクトをかけ、サンプリングもしています。 にも関わらず、機材のつくり出す音、という感じが僕にはまったくして来ないのが不思議です。自然な音に感じられるのです。なので、手書きの絵がイメージとして浮かびます。 さらに、重いビートのドラムもそこに加わります。ズッシリとしたバス・ドラムです。ただし、表現が矛盾しますが、軽やかでもあります。2曲目「Bound Ball」では、こうしたドラムがさらに前面に出てきます。 ちなみに、このアルバムは Brainfeeder というレーベルから出ています。アンダーグラウンド系のヒップ・ホップから派生した「L.A.ビート」あるいは「L.A.ビート・シーン」を代表するレーベルです。 そのためか、ヒップ・ホップや、ハウス、テクノといったクラブ系のレコードとともにDJがかけても違和感がないような曲も数多く収録されています。かといって、クラブ系だと割り切れる音でもない、一方、アンビエントといった風でもない…と、いったところです。 4曲目「While You Doooo」では、ハープのような音が背後に漂いつつ、前面ではラテン・パーカッションが鳴っています。このアルバムの中ではもっとも普通な感覚の親しみやすい1曲です。 5曲目「Moments」では、散りばめられる高いピアノのような音や、音

WEATHER REPORT / MR. GONE ~難しくないウェザー・リポート

1978年に発表された「MR. GONE」は、僕が初めて気に入った Weather Report(ウェザー・リポート)のアルバムです。それまでにも数枚彼らのアルバムを聴いてはいたのですが、どこか難しく、ノれない印象がありました。 1曲目「The Pursuit Of The Women With The Feathered Hat」(邦題:貴婦人の追跡)は、シンセサイザーやオルガンなどのエレクトリックな音色が印象的な曲です。少し暗い雰囲気の前奏に続いて、短いフレーズのシークエンス、さらに同じ低音のフレーズが続きます。 ベース・ラインにもシンセサイザーが使われています。パーカッションが細かいリズムを正確に刻んでいきます。この辺り、当時のニュー・ウェーブを彷彿とさせる展開です。 やがて、アドリブかと思うような、さまざまな断片的なメロディーが重なってきます。2台のドラムとベース・ギター、さらに背後には野性的で陽気な男声コーラスも加わります。南国的なイメージのするサウンドです。 2曲目「River People」も、やはりエレクトリックな和音で始まります。中音域と低音のユニゾンによるメロディーに、ヘビーな持続音やシークエンスが交錯します。同じメロディーが何度も繰り返され、そこに即興的で断片的なフレーズが交じる展開です。 この曲のゆったりと腰のすわったドラムは、ベーシストの Jaco Pastorius(ジャコ・パストリアス)が叩いています。彼は、時折短いシャウトのようなボーカルも重ねます。本職のベース・ギターはむしろ控え目です。 僕が初めて聴いた Weather Report のアルバムは、1983年の「Procession」です。カセット・テープで購入しました。 ですが、その後、LPにもCDにも買い替えることはありませんでした。買い替えたくなるほどの魅力を感じなかったのです。 さらに、翌年の「Domino Theory」や、「Procession」以前の作品も何枚か聴いてみました。それでも「難しい音楽だな」との印象は変わりませんでした。 理由は、メロディーにあったのかもしれません。 Weather Report は、キーボードの Josef Zawinul(ジョー・ザヴィヌル)とサックスの Wayne Shorter(ウェイン・ショーター)を核とするグループです。主にこの

Yoshinori Sunahara(砂原良徳)/ Crossover ~テクノだけどビフォー・テクノを感じる

明瞭で短いメロディーの繰り返し。メカニカルな質感のドラム。正確に反復し続けるシークエンス… いかにも「エレクトリック」といった感じのシンセサイザー、効果的に織り込まれる生楽器の音… そんな、テクノ・ポップの特徴的な要素を砂原良徳(すなはらよしのり)のファーストアルバム「Crossover」を聴いたとき、僕は強く感じました。 もっとも、このアルバムは、ジャンルとしてはテクノ・ポップではなく、「テクノ」に位置づけられる作品です。レコード・ノイズやサンプリングも多用された'90年代以降のサウンドには違いありません。 ですが、僕は聴いていて'80年前後のYMOやDEVOの音楽を思い出し、つい懐かしい気分にさせられてしまうのです。 最初の曲からしてそうです。タイトルは「M.F.R.F.M.(MUSIC FOR ROBOT FOR MUSIC)」です。直訳すると「音楽ロボットのための音楽」でしょうか? チリチリとしたノイズに、盆踊りのお囃子かとも思えるようなサンプリングが重なります。ドラムがフェイド・インしてきます。エコーがかかった硬質なフィル・イン。さまざまな音色のシンセのリフが交錯する中に、英語の男声によるセリフ、もしくはアナウンスが流れます。ホルンのような音(サンプリング?)や、アコースティック・ピアノも加わります。最後は、このピアノによる美しい旋律でフェイド・アウトです。 僕にとっては、YMOのファーストアルバム「Yellow Magic Orchestra」の2曲目「Firecracker」での坂本龍一のピアノを連想させられる曲です。「MUSIC FOR ROBOT FOR MUSIC」のタイトルも、とてもよく似合う作品です。 さらに、このアルバムを聴き進めていくと、テクノ・ポップとは違う要素にも気付かされます。南国音楽的なところです。 3曲目「Whirl Pool」は、女声ボーカルやスティール・ドラムの入る曲です。ボーカルは短く細切れで、全体の音はテクノ的です。しかし、なぜか僕の瞼にはハワイの風景が浮かんで来ます。 4曲目「Silver Ripples」でも、テクノ・サウンドの中、エレクトリック・ギターやパーカッションが南洋的な雰囲気を醸し出しています。冒頭から鳴るシークエンス音も、僕には美しい南国の鳥の声に聴こえます。 一方、7曲目「Muddy W

Moodymann / Silence In The Secret Garden ~苛立ち・不気味・秘密の静寂

Moodymann(Kenny Dixon Jr.)の「Silence In The Secret Garden」を初めて聴いた時、それまで経験のないサウンドの雰囲気に、強く惹き付けられました。 1曲目「Entrance 2 the Garden」では、漂うようなイメージの軽やかなドラムが印象的です。そこに、小さく鳴るストリングス・シンセや、クラビネット、ピアノが控え目に配置された静かな曲です。 ノンストップで2曲目「People」に続きます。ワン・ツー、ワン・ツーと、ドラムが軽快なリズムに変わり、明瞭な長調のメロディーで、エレピやサックスのソロが加わります。掛け声のような男声のサンプリングも入ります。 なお、このように書くと、爽快で明るいフュージョンのような印象ですが、実際は違います。どこか奇妙で暗い感じがするのです。 3曲目「Backagainforthefirsttime?」では、さらにそれが際立ちます。背景には鳥の声。ベースとシンセがユニゾンで短いリフを繰り返し、バス・ドラムとシンバルだけのシンプルなドラムがそれを支えます。 この、シンバルの細かく刻むリズムや、鳥の声のサンプリングが、どういうわけか僕をイラ立つような不思議な気分に誘い込みます。 後半は赤ん坊の声のサンプリングが続く展開です。この声も、僕にはホラー映画のサウンドエフェクトのような不気味なものに感じられてしまいます。 4曲目の「LIVEINLA 1998」では、テクノ的なドラム・マシーンの音が前面に出てきます。ドラムとベース、女声のハミングが同じフレーズを繰り返します。3曲目の赤ん坊の声と同じく、不気味な印象です。 また、途中からはアコースティック・ピアノも加わります。ゴスペルのピアノのような、地の底から響いてくるような音色です。 チープなドラム・マシーンの音が主体の5曲目「P.B.C」に続いて、6曲目「Shine」が始まります。 CDの解説を書いている野田務は、この曲について、「思わずビューティフォー!と唸ってしまう。何て美しいディープ・ハウスだろう」と、絶賛しています。僕もまったく同感です。 なお、この曲では、4曲目と同じくピアノが活躍します。リズム・ギターのように一定のリズム・パターンを刻むと同時に、断片的なフレーズのソロを散りばめます。バス・ドラムと多数のパーカッションも折り重なり、男声

TOSHINORI KONDO IMA / 大変 ~近藤等則による日本のパンク・ポップ

ジャングル・ビートと祭り囃子が一緒になったような、ドンドコ、ドコドコという強烈なリズムでの幕開け。 「タイヘン、タイヘン、ヘンタイ、タイヘン」と、囃子言葉か掛け声のような短い言葉で唄が続きます。そのあとにトランペット。 これが、TOSHINORI KONDO IMA(近藤等則 IMA)の1984年のアルバム「大変」の1曲目、「タイヘン」です。ビートといい、歌詞といい、ボーカルや楽器の脳天気な響きといい、聴くなり、なんだこりゃ…!といった印象です。 近藤のトランペットが独特です。70年代の Miles Davis に近い気もするし、かなり違う感じもします。動物の鳴き声や、人の叫び声のような音、濁った音を自在に繰り出します。 途中、ドラムのヒットに合わせて、近藤らのボーカルのサンプリングが入ります。終盤には「アタフタ、アタフタ」という掛け声も加わります。そんな曲が、8分近くにわたって続きます。 2曲目は「ザ・デイ・アフター」です。前年にアメリカで高視聴率を記録し、日本でも話題になった同名のテレビ映画から採ったタイトルです。 1曲目とは一転して、静かに、ゆったりとメロディーラインが奏でられます。エフェクトのかかったドラムに続いて、近藤の唄がベースとユニゾンします。 映画は、核戦争後の世界を描く内容です。歌詞もそれに沿っています。 唄の背後には、ノイジーなトランペットが散りばめられています。近藤の奇声も重なります。 ユーモアを含んだ言葉が続き、メロディは明るいものとなっています。 そのため、かえって不気味なメッセージが伝わってきます。 このアルバム「大変」では、全体を通して、ベース、ドラム、近藤やコーラスの唄、トランペットが曲の骨格となっています。 ギターは、コードをカッティングするというよりも、ノイズ的な音を打ち出すのが役目です。パーカッションも、リズムを構成するというよりも、空間を埋め、サウンドに彩を与えるのが役割です。 そのため、どの曲も、とてもシンプルな構成に聴こえます。エネルギーに満ちたサウンドが、ダイレクトに突き刺さってきます。 全6曲中、5曲に唄が入ります。歌詞は日本語です。メロディーも和風です。人の声、楽器、テープレコーダーの音など、さまざまな音のサンプリングも散りばめられています。 そうしたサウンドの中で、近藤はトランペットを吹きまくります。自由奔放なライ

Four Tet(Kieran Hebden)/ MORNING / EVENING ~朝から夜へ、また朝へ

Four Tet(Kieran Hebden のソロ・プロジェクト)の「MORNING / EVENING」は、同じパターンを延々と繰り返すタイプの音楽です。 ただし、4拍から8拍くらいの短いパターンを快速で繰り返すミニマル・テクノとはかなり趣が異なっています。 A面「Morning Side」は、1拍ずつ打つドラムの音から静かに始まります。BPMは127です。ゆったりめのテクノといった感じでしょう。 やがて、低くのたうつような音に先導されて、1分過ぎから女声のサンプリングが現れます。 歌は約30秒で完結しますが、これが14回も繰り返されます。この間、ドラムのパターンに変化はありません。 さらに、歌とドラム以外にも、さまざまな音が交錯し、共鳴します。低く立ち込めるような持続音、ストリングスのような音、細切れなサブ・メロディーを奏でる80年代風な電子音、細やかなパーカッションなどです。 加えて、アナログ・レコードのノイズのような音も。僕は、当初レコードを購入し、この曲を聴いたのですが、「ノイズが耳につく」と感じ、CDを買い直しました。すると、こちらにも同じ「ノイズ」が入っていたのです。 レコード特有のノイズを意図的に入れておく手法は80年代からあります。僕も、それには慣れていたつもりだったのに、誤認してしまいました。それくらい、音の入り方が作為的でなく、自然に聴こえたということです。 なお、同じ歌を繰り返すボーカルも、エフェクトをかけたり、少しずらして重ねられたりと、変化がつけられています。 このように、同じパターンを繰り返してはいても単調にしない工夫が、曲中あちらこちらに見られます。聴いていて退屈することがありません。 さらに、歌のメロディーや言葉が民俗音楽的で、どこか懐かしい感じがするのも気になりました。調べてみると、インドの歌手 Lata Mangeshkar の歌のサンプリングでした。ヒンディー語の映画「Souten」のために録音された一部とのこと。 Kieran Hebden の母親は南アフリカ系のインド人です。彼は、おそらく母方の祖父から、インドの宗教音楽や映画音楽のレコードのコレクションを引き継いでいます。この歌も、その中にあったもののようです。 歌は、さきほどもふれたとおり、14回繰り返し、一旦終ります。そのあとは、パーカッションがさまざまなフレーズを

Caetano Veloso / CAETANO(邦題:フェラ・フェリーダ)~さあ、食べよう、聴こう

Caetano Veloso(カエターノ・ヴェローゾ)のアルバム「CAETANO(邦題:フェラ・フェリーダ)」は、独特な、ときに前衛的で不思議な印象のさまざまなサウンドが連続する傑作です。1987年の作品です。 1曲目は「JOSÉ」では、繊細なボーカルや、唄うようなベース・ラインに聴き入っているところに、突然、ジャン!とオーケストラ・ヒットが入ります。 中盤からは、バスドラとシンバルだけのシンプルなドラムや、パーカッションが加わります。リズムを強調するのではなく、アクセント的な配置です。 なお、オーケストラ・ヒットは、当時、すでに当たり前になっていた手法です。 それでも、ロックやファンクでもない、この曲のような静かな調べの中で鳴らされると、何やらゾクッとする感じを覚えます。 2曲目「EU SOU NEGUINHA?」は、一転して、ドラムが前面に出る曲です。重いバス・ドラムとギターによる、レゲエを思わせるリズムの上で、Caetano が張りのある声で唄います。終盤、パーカッションとコーラスが加わるリフが、独特の熱気を作り出しています。 以上、1、2曲目には、聴いていて不思議な空気を感じる人が多いと思います。 僕も、3曲目の「NOITE DE HOTEL」で、やっと「普通になった…」との印象を当時受けたものです。 4曲目「DEPOIS QUE O ILÊ PASSAR」では、ふたたびタンバリンなどのパーカッションとドラムが前面に出てきます。この曲は打楽器が主役です。それ以外の楽器は使われていません。Caetano のボーカルも、引き気味に、小さく抑えられています。 なお、ドラムは鳴っていても、このアルバムにはドラマーのクレジットはありません。音はすべて打ち込みによるもののようです。 5曲目「VALSA DE UMA CIDADE」は、アコースティック・ギターでの弾き語りです。ギターは3台使われているため、広がりのある音になっています。 6曲目「“VAMO” COMER」は、もっとも明るい印象を受ける曲です。タイトルの日本語訳も「さあ 食べよう」となっています。 ところが、詞を読んでみると、内容はそうでもありません(國安真奈訳)。 たとえば、「労働党と最右翼の圧力を等式で結ぶのは誰だろうか」といった言葉が並びます。最後には、カッコ書きで「(あるうちにたくさん食べておこう)

KID CREOLE & THE COCONUTS / TROPICAL GANGSTERS ~爽快なB級感

KID CREOLE & THE COCONUTS(キッド・クレオール&ザ・ココナッツ)のアルバム「TROPICAL GANGSTERS」のLPのインナー・ジャケット(CDではブックレット)に、こんな記載があります。 「2月15日。バナナ・ボートはブリンディシ・リーフにて難破。生存者はB・ディリー・ベイで目覚める。彼らはそこに約6ヶ月滞在。さてこれは彼らの身の毛もよだつ試練の語られざる物語――彼らが演奏を強制された音楽、選ぶことを許された相手たち、そして決死の脱出」(翻訳はLP解説執筆者の今野雄二) KID CREOLE こと August Darnell 自身の手によるこの文章は、「TROPICAL GANGSTERS」のモチーフであり、コンセプトです。B級感の漂う、南洋冒険活劇的な面白さを期待させてくれます。 実際に聴いてみると、サウンドも、メロディーも、歌詞も、想像以上に楽しく爽快なものでした。 1曲目は「Annie, I’m not your daddy」です。きらびやかなシンセとシャカシャカ鳴るパーカッション、ドラムでの幕開けです。スネア・ドラムには、当時のファンクらしいエコーがかけられています。 そこに、ギターとベースが加わり、トロンボーンがメロディーを奏でます。盛り上がったところで KID CREOLE の歌が入ってきます。 THE COCONUTS の女声コーラスに、スティール・ドラムのような音も加わり、トロピカルなイメージが高まります。いかにもファンカラティーナ(ファンク+ラテン)と、いったサウンドです。 シンプルで覚えやすい、音数が少ないメロディーは、リズムに乗るというよりも、リズムを加速させている感じです。 2曲目「I’m a Wonderfull thing, Baby」は、ラテン色の無いファンク・ナンバーです。ずっしりと重いドラムに、ユーモラスな響きのクラリネットなど、管楽器が絡むサウンドです。軽快なボーカル、2つのギター、シンセも加わります。それでも厚ぼったくならない、ゆったりとした辺りが、涼し気な雰囲気を醸し出しています。 同じく、重いファンク・ドラムが主体の3曲目「Imitation」に続き、4曲目は「I'm Corrupt」です。ティンパレスやコンガなどのパーカッションが目立つ、インスト主体のラテン・ナンバーです。

Machine Drum(Travis Stewart)/ ROOM(S) ~心地よくスピードに乗る

テクノを初めて聴いたとき、感じたのはテンポの速さでした。 33回転=1分間に33回転半回るレコードが、1周する間に4拍を打つとして、BPMは134です。テクノはこのくらいのテンポが普通です。 120台だと、随分ゆっくりとした曲に感じてしまいます。 一昨年、映画館で、スピルバーグ監督の「レディー・プレイヤー1」を観ていたところ、劇中に Bee Gees のディスコ・クラシック「Stayin’  Alive」が流れていました。 「あれ、こんなに遅かったっけ」と、そのとき感じました。 そこで、帰宅してから Bee Gees のベスト盤をCDプレイヤーにかけてみると、BPMは109でした。 '78年当時のディスコ音楽といえば、このくらいが、遅すぎも速すぎもしない標準的なテンポだったと思われます。 テクノにすっかり慣れた現在の耳で聴いてみて、遅く感じてしまったのも、当然といえそうです。 Machine Drum(マシーンドラム)~Travis Stewart(トラヴィス・スチュアート)のアーティスト・ネーム~ のアルバム「ROOM(S)」では、標準的なテクノよりもさらに速いビートの曲が連続します。 1曲目「She Died There」は、快速で連打されるバス・ドラムと、レコードのノイズ音で始まります。そこに、エフェクトをかけたボイス・サンプルがフェード・インしてきます。カタカタと細かく刻むパーカッションも加わります。 BPMは142です。ですが、数字ほどにセカセカした感じはありません。聴いている方の身体が、2拍分を1拍に感じているからかもしれません。 速い以上に、「She Died There」は、サウンドの新鮮さが印象的な曲です。ただし、発売された2011年当時を振り返っても、特に斬新な手法が用いられていたということでもありません。それでも、どこか未来的です。 BPMに絡めて、紹介を続けます。 2曲目の「Now U Know Tha Deal 4 Real」は145です。続く「Sacred Frequency」では76に下がります。大きな差ですが、後者ではあまり遅さを感じません。 ゆったりとした曲ですが、それよりも、ドラムの力強いビートが印象的です。 そこに、澄んだ音のシンセ、パーカッシブなシークエンス音、ミニマルなメロディーのボーカルが重なります。聴いていて、陶

Youssou N'Dour / SET ~僕の「アフリカ」を広げてくれたアルバム

僕がアフリカのミュージシャンによる音楽を聴くようになったきっかけは、King Sunny Adé との出会いでした。'83年のことでした。 先端的なスタジオ・テクノロジーと、土俗的で野性的なビートの融合に、大いに魅力を感じました。 そこに存在する民族音楽的な要素に、僕はいたく取り憑かれてしまったわけです。 そのため、以降も、アフリカの音楽に対しては、僕はつねに現地の「土」の匂いを期待し続けていました。 ところが、やがてそれが突き崩されました。 突き崩したのは、セネガルのアーティスト Youssou N'Dour です。'90年にリリースされたアルバム「SET」を聴いたことによるものです。 「SET」は、いわゆるアフリカ的な要素を多分に持ちながらも、ロックやソウルのチャートに並んでいてもほとんど違和感のないアルバムでした。いわば、アフリカの大地に立ちつつも、アフリカ離れした作品です。 もっとも、僕はそのことに最初は気づかず、 「複雑で躍動的、怒涛のように押し寄せるリズム」 「張り詰め、突き刺さってくるようなボーカル。メロディーの美しさ」 「重厚で炸裂するようなブラスの加わったアレンジ」 「曲ごとのサウンドの多様さ」 これらにただただ魅了され、感動を覚えただけでした。 その後、しばらくしてから、この作品の華麗で繊細な(?)アフリカ離れの様子にハッと気づかされたという次第です。 1曲目は「Set」です。イントロからいきなりそれが感じられました。キーボードとギターによる軽快なリフから入るところなど、セネガル音楽をベースにしながらも、まさにロック的です。 Youssou の張りのあるボーカルに各楽器が追随します。一気に盛り上がります。 セネガルの伝統的な打楽器「タマ」の音も聴こえます。複雑なパターンを躍動的に叩き出しています。 ちなみに、タマは、やや小ぶりのトーキング・ドラム(肩から下げ、脇を締めることで音程を変えられる打楽器)のことをいいます。Youssou の作品には欠かせない楽器で、ほとんどの曲で使われています。「Set」でも、タマは主役級の活躍ぶりを見せています。 一方で、この作品には、海を越えた世界のサウンドもふんだんに取り込まれています。 たとえば、カリプソの存在

Djavan / Luz ~魅惑のブラジル・ポピュラー音楽への誘い

「しなやかで繊細」「でありながら、力強い歌声」 DJavanの「Luz」を初めて聴いたときの印象です。 アルバムの紹介記事を見たのは、フュージョン系の雑誌「ADLIB」だったと記憶しています。 プロデューサー Ronnie Foster ドラム Harvey Mason ベース Abraham Laboriel … 多くのフュージョンプレイヤーが参加していたためでしょう。 さらに、僕にとっての決め手は Stevie Wonder でした。 「ハーモニカで参加している」とのことでした。 早速、「Luz」を購入しました。 「Luz」は、MPBのアルバムです。 MPBとは、Música Popular Brasileira ~ブラジルのポピュラーミュージックのことです。 1983年にこの「Luz」を聴くまで、僕はMPBはまったく聴いたことがありませんでした。 MPBという略称も、当時、日本ではまだ定着していなかったと思います。 ブラジル音楽のイメージと言えば、大抵は僕も含め、サンバかボサノバのどちらかが頭に浮かぶ程度だったように思います。 「Luz」を聴いてみました。 もちろん、サンバでもなく、ボサノバでもありませんでした。 まず、1曲目は「Samurai」です。 アコースティック・ギターとエレピが、ゆったりと、シャッフルするフレーズを奏で始めます。 間もなく、「ア――イ」と、Djavanが唄い出します。 ささやくのとも違う、シャウトするのでもない、伸びやかな声です。短調ですが、暗い印象は受けません。 曲の後半に、Stevie のハーモニカが加わります。それに応じて、Djavanは、スキャットで楽器のような掛け合いを展開します ドラムは、軽快でありながら、腰が座ったリズムを奏でます。 サウンドは、アドリブ誌で採り上げるのも当然と思えるほど、フュージョン的です。 それでも、ボーカルとメロディー・ラインに関しては、それまでに聴いた音楽とはやはり違う、独特なものに感じられました。 なお、僕が思うに、こうした印象の一因として、歌詞がポルトガル語であることを挙げてもいいのかもしれません。 '99年発売のCDの解説にはこうあります。 「ポルトガル語はスペイン語とフラ

Co-fusion / Co-fu ~初のクラブ体験 Maniac Love 訪問のきっかけ

僕が初めてディスコではなく「クラブ」に足を踏み入れたのは、1998年の夏のことでした。 「Maniac Love」という店です。 東京の南青山にありました。2005年に閉店しています。 僕はその頃、すでに30代後半でした。現在よりもさらに若者の多い場所だったクラブに行く勇気がなかなか持てませんでした。 それでも、ある土曜日、ほぼ同い年の友人を誘い、意を決して突入してみました。 友人は会社の同僚でした。クラブでプレイされるような曲は聴かないものの、とりあえず音楽好きの男でした。 きっかけは、Co-fusion でした。DJ WADA、Heigo Tani によるテクノ・ユニットです。 僕は、この Co-fusion の「torn open」が大好きでした。 トリッキーなドラムパターン、思わず高揚させられるシンセ、エフェクトの効いた音や全体の構成、すべてがめちゃくちゃにカッコいい曲でした。 いまもそう感じます。90年代テクノの中で、僕がもっとも好きな曲といっていいでしょう。 Maniac Love は、その Co-fusion が、当時拠点としていたクラブです。 さらに、僕が意を決してそこに向かった土曜日というのは、Co-fusion の DJ Wada が、Sublime Records 主宰の山崎マナブとともに、メインのDJをつとめるライブ「CYCLE」が行われる日でした。 初めてのクラブでは、初っ端から面食らいました。 住所を頼りに、ビルの前に着いたものの、そこには看板も何もありません。 地下へと続く階段をおそるおそる下った先の扉を開くと、そこが Maniac Love でした。 しかも、クラブを知らないわれわれの訪問は時間が早過ぎました。中では、まだ開店準備が真っ最中でした。 そこで、一旦出直しと決め、時間を潰してから再訪問。夜12時から朝の5時頃まで、たっぷりと初めてのクラブを楽しみました。 友人は「先に帰る」と言って途中で消えましたが、僕はとてもそんな気にはなれず、DJ Wada のプレイもしっかりと堪能しました。 フロアを見下ろす回廊から、鮮やかな手つきでターンテーブルやミキサーを操る様子を眺めながら、 「これがDJのプレイか。まるで楽器を演奏するようだな」 と、感心し

Eric Dolphy / Out to Lunch ~一番長く聴き続けているジャズアルバム

1980年代、僕が20代の初めの頃です。洋楽好きの兄や、友人たちが、次々とジャズを聴き始めました。 それまでは、ロックやソウル、クロスオーバー(フュージョン)など、エレクトリック音楽を聴いていた人たちです。 それが、アコースティックなジャズに転向していったのです。50~60年代の、4人から6人程度のコンボ(小編成)による作品です。 当時、僕のまわりでは、ジャズは、芸術的な大人の音楽といったイメージを帯びていました。 ポップ寄りのソウルや、フュージョン、YMOなどを聴いていた僕も、何となくジャズを聴かなければいけないような雰囲気になってきました。 とはいえ、すでに兄などが聴き始めている、John Coltrane や Thelonious Monk を後追いするのも、癪にさわりました。 どうせならば、彼らの聴いていないような、自慢できる作品をと思い、探してみました。 その結果、手にしたのが、Eric Dolphy の「Out to Lunch」でした。1964年の作品です。 1曲目「Hat and Beard」は、各楽器が一音、一斉に鳴り、続いて変ったテーマ・メロディーが始まる幕開けです。リズムは9拍子です。 音階は、何長調、何短調といった調性を感じさせない、ダークな印象です。 リーダーの Eric Dolphy が吹くバス・クラリネットの低音が、それを加速させていきます。 テーマが終わると、Eric のソロがはじまります。無調で、「馬のいななきのような」と、揶揄されたノイズ的な音を交えながら、高音から低音まで、自由なリズムが激しくのたうち回ります。 ドラムの Tony Williams も、一定のリズムではなく、自由で強烈なパルスを打ち出します。いかにも「フリージャズ」といった印象です。 それでもとりあえず、5人のメンバー全員がギリギリのところでテーマのリズムをキープしているかのような作品です。 2曲目「Something Sweet, Something Tender」は Eric のバス・クラリネットと、Richard Davis のウッド・ベースの弓弾きで始まります。ダークでゆったりとしたリズムの曲です。 この曲では、Eric のソロは自由に動き回るものの、定まったリズムがキープされています。

Dollar Brand(Abdullah Ibrahim)/ African Piano ~聴き過ぎてジャケットは霜降り状態

Dollar Brand(Abdullah Ibrahim)の「African Piano」は、ピアノ演奏のみによる作品です。 コペンハーゲンの「Jazz-hus Montmatre」でのライブを録音したものです。さほど広くないライブハウスのようです。冒頭、人々のざわめきなども聞こえてきます。 1曲目「Bra Joe from Kilimanjaro」は、明るくはっきりとしたメロディーの曲です。タッチが強く、激しく鍵盤を叩きつけるようなところは、フリー・ジャズのようです。 最初は、左手が、ベース・ラインのような一定のラインを弾きはじめます。5拍子です。いわゆる変拍子ですが、とてもリズミカルに体を揺らされる感じがします。 そこに、右手によるメロディーが重なります。 あるときは左手のリズムに乗り、また、あるところでは関係なく、自由自在、即興的に曲が流れていきます。 次いで、演奏が途切れることなく、2曲目「Selby That The Eternal Spirit is The Only Reality」が始まります。ここで左手のパターンが変わります。3曲目「The Moon」につながります。 「The Moon」のあとは、つなぎ的な短い曲「Xaba」がフェード・アウトして、A面は終了です。B面は、1曲目「Sunset in Blue」のフェード・インから始まります。 以上の2曲目から5曲目(B面1曲目)までは、曲ごとにひとつのリズム・パターンに乗るかたちです。左手は、単音のベース・ラインや、和音による一定のパターンを躍動的に打ち出し続けます。 さらに、右手も、決まったメロディー・パターンを繰り返す展開となります。若干変化をつけながらではあるものの、1曲目で見られた即興的なラインは、ここでは影をひそめます。 音がよく反響し、聴いていると高揚してきます。外出中でも、イヤホンの音に乗せられ、ついメロディーを口ずさんでしまいます。 「Sunset in Blue」の最後では、テンポが少しずつ遅くなっていきます。 続く6曲目(B面2曲目)「Kippy」は、ゆったりとしたリズムに乗る曲です。タッチの強さこそ変わらないものの、メロディーはリリカルで、同じフレーズを弾くことがない展開です。 7曲目(B面3曲目)「Jabulan

Black Uhuru / The Dub Factor ~ダブって何だっけ?

「The Dub Factor」というLPアルバムをレコード店で見かけたのは、1984年のことです。アーティストは Black Uhuru(ブラック・ウフル)です。レゲエのヴォーカル・グループです。 Black Uhuru は、その年、来日することが決まっていました。僕もすでにレコードを2枚持っていました。 ジャケットを見て、ふと思いました。 「The Dub Factor か… Dubって何だっけ?」 Dub(ダブ)は、ジャマイカで生まれた音楽ジャンルです。母体はレゲエです。ジャンルであると同時に手法を指す言葉で、リミックスの始まりともいわれています。 野外でダンスパーティを楽しむため、レゲエ音楽からヴォーカルを抜いたトラック、要はカラオケを作るために行うミキシングの過程から発生したとされています。 原曲のリズムを強調しながら、強いエフェクトをかけることで、別の作品といってよいほどの曲が生み出されます。 ミキシングを行うエンジニアの力が創作に占めるところが大きいため、エンジニア名義で発表されることもあるのがダブの特徴です。 その後、ダブはさまざまな音楽に採り入れられました。ダブテクノ、ダブステップなど「ダブ」の付く音楽ジャンルがいくつも生まれています。 とはいえ、当時の僕の知識といえば、 「ダブ… 雑誌で見たことはあるな」 と、いった程度でした。 それでも、このアルバム、「The Dub Factor」を僕は早速買ってみました。 なぜなら、Black Uhuru の名前とともに、 ドラム:Sly Dunbar ベース:Robbie Shakespeare レゲエを代表するスーパー・コンビの名前が目に入ったからです。 二人はプロデューサーとしても有名です。 彼らがプロデュースした12inchシングル―― Jimmy Riley の唄った Sexual Healing のカバー――が、当時、僕のお気に入りでした。 加えて、Sly Dunbar は Herbie Hancock のアルバム「Future Shock」の2曲にも参加しています。そのリズムにも、僕は魅了されていました。 「The Dub Factor」を聴いてみました。 1曲目「ION STORM」では、リズム・ギター

イーゴリ・ストラヴィンスキー / バレエ「春の祭典」~好きなクラシックTOP3

「朝から聴いているストラヴィンスキー」―――これは、ある歌詞の一節です。 加藤和彦の1983年のアルバム「あの頃、マリー・ローランサン」の中に、「愛したのが百年目」という曲があります。その歌詞です(作詞:安井かずみ)。 この中に登場する「気まぐれな彼女」は、風変りな趣味を持っています。 それが、朝からストラヴィンスキーを聴くこと、と、いうわけです。 当時、僕がよく読んでいたジャズ系の雑誌に、ストラヴィンスキーがしばしば採り上げられていました。前衛的で過激、難解な音楽として扱われています。 特殊な技法を解説した記事もありました。たとえば、近い音階の二音を同時に鳴らし、わざと音を濁らせるといったものです。 前衛、過激、濁らせる…。たしかに、朝から聴く音楽ではないようです。 一方、ジャズミュージシャンや、ロックミュージシャンのインタビューを読むと、こちらでもストラヴィンスキーはしばしば言及されていました。 あの Miles Davis も、若いバンドメンバーに聴かせていたとのこと。 そこで、僕もいよいよ聴いてみることにしました。まずは「火の鳥」です。 三大バレエ音楽と呼ばれるストラヴィンスキーの代表作、「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」のうちのひとつです。 地の底から鳴りひびくような低音から始まり、終盤は壮麗かつ豪華な展開となります。50分前後(指揮によって時間が異なります)にわたるドラマティックな構成です。 聴いたあとは、大作映画を見たような、心地よい疲労感を感じました。 僕はそれまで、クラシックをほとんど聴いてはいませんでした。ですが、すぐに惹きつけられました。 しかし、予想していた「過激」「前衛」は、この「火の鳥」からは感じられませんでした。 「朝から聴いてもおかしくない音楽では?」 そんなイメージでした。 そこで、身構えることもなく、気楽に、次の「春の祭典」を聴いてみました。こちらは過激でした。想定外の音でした。 まず、奇妙で妖しげなメロディーが小さく奏でられます。オーボエによるものです。 その後、バラバラに各楽器が鳴り始めます。演奏開始前のオーケストラの音合わせのようで、どこか不安な、落ち着かない気持ちにさせられます。 次には低音が強打され始めます。不気味です。 や

SUSUMU YOKOTA(ススム・ヨコタ)/ ZERO ~買い漁った中の珠玉の1枚

アルバム「ZERO」の作者、SUSUMU YOKOTA は、1992年にテクノの本場ドイツのレーベルからデビューした人です。日本の音楽シーンには、逆輸入のかたちで入って来ました。 生涯を通じ、おそらく35枚以上のアルバム、その他を合わせると70枚前後の作品をリリースしている多作のアーティストです。2015年に54歳で逝去しています。 SUSUMU YOKOTA は、さまざまなアーティスト・ネームを使い別けていたことでも知られています。 僕の手元にあるだけでも、EBI PRISM RINGO STEVIA ANIMA-MUNDI 246 が、ひろえます。 一時期、僕はこうした変名を音楽雑誌やレコード店、ジャケットの裏面などに探し、作品を買い漁り続けました。 結果、どれを聴いても、ひとつとして退屈させるものはありませんでした。名前だけでなく、サウンドも実に多彩でした。 その中のお気に入りのひとつが、2000年の「ZERO」です。 まずは、1曲目「Go Ahead」です。 イントロは、かすかなハウリングのような高音に、トライアングルが重なり、そこにやわらかな音色のシンセサイザー、ドラム、ベースが加わるかたちで始まります。 バス・ドラムやベースによる力強い低音、男声のサンプリング・ヴォイスもリズミカルに絡んできます。 美しく澄んだ響きに、引き込まれそうな感覚を覚える作品です。 2曲目「Fake Funk」の冒頭には、僕がよく知る音がサンプリングされていました。 George Duke の「A Brazilian Love Affair」というアルバム(記事が こちら にあります)に収められている音です。冒頭の印象的なチョッパー・ベースがサンプリングされています。 SUSUMU YOKOTA もこのアルバムを聴いているんだな、と、当時とてもうれしくなったものです。 続く3曲目は、1977年のディスコ・クラシック「Could Heaven Ever Be Like This」のカバーです。女声ヴォーカルによるものです。 「ZERO」の中では一番派手な曲ですが、浮き上がることなく、全体に溶けこんでいます。 4曲目「Hallelujah」は、短いインタルード的な作品です。 続く5曲目「Life Up」は、ヴ