スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

2021の投稿を表示しています

The Police / Synchronicity ~初のCDプレイヤーで何を聴こうか探して決めたアルバム

The Police(ポリス)の「Every Breath You Take」(邦題:見つめていたい)といえば、発表された'83年当時、ラジオやTV、あるいは喫茶店で、それこそ耳にする日がないほど頻繁に流されていました。それでも、僕はそのたび聴き入っていました。 曲は、Stewart Copeland(スチュワート・コープランド)による乾いたスネア・ドラムの一打で始まります。Andy Summers(アンディ・サマーズ)のギターと Sting(スティング)のベースが、1拍に1音ずつ繰り返されます。シンバルやバスドラはほとんど目立たず、4拍に1打ずつ繰り返されるスネアの音だけが耳に残ります。 背後には、かすかにストリングス系の音、装飾的なギターの音、さらにコーラスも散りばめられています。転調して”熱くなる”数小節も、途中にはあったりします。 とはいえ、この曲の音の基本は、淡々としたギター、ベース、ドラムです。Sting の歌は、ロックというよりもポップスの語がぴったりくるような、長調のゆったりとした懐かしさを感じさせるメロディーです。 歌詞はラブソングです。と、言うと「それは間違いだ」と、たくさんの方から指摘を受けるはずですが(本当は別の意味がある旨 Sting 自身が語っています)、ここはあえて素直にラブソングと受け止めたうえで――、それでも、繊細な音処理がされているためか、曲の雰囲気は心が暖まるといった感じではなく、むしろひんやりとしています。 その響きには、当時としての新しさも感じられ、何度聴いても色褪せない魅力に、僕も大いに惹かれたものです。 もっとも、僕はこの当時、ロック系の音楽には基本として関心が薄く、「Every Breath You Take」が収録されたアルバム「Synchronicity(シンクロニシティー)」をすぐに買って聴こうとは思いませんでした。 その後、'85年の末か'86年の初めの頃、手に入れたばかりのCDプレイヤーで聴くためのCDを店で物色していたところ、「Synchronicity」が目にとまりました。 1曲目は「SynchronicityⅠ」です。シンセサイザーもしくはオルガンによる分厚いシークエンスが、いきなりもの凄いスピード感で飛び込んできます。シンバルの音に先導され、スネアとバスドラも激しく打ち始めます

INTRODUCING THE HARDLINE ACCORDING TO TERENCE TRENT D'ARBY ~プリンス好き(僕)が受けた強烈な印象

INTRODUCING THE HARDLINE ACCORDING TO TERENCE TRENT D'ARBY ――直訳すると「テレンス・トレント・ダービーによる強硬路線の紹介」といったところでしょうか。 このアルバムを購入するきっかけとなったのは、3曲目「Wishing Well」のミュージック・ビデオでした。'87年当時にTVで放映されたものを視聴。強烈な印象でした。 すぐに頭に浮かんだのは、Prince の「Girls & Boys」でした。アルバム 「PARADE」('86) に収録されている曲です。 「こりゃ Prince みたいなアーティストだ。ダンスも似ている。かなり影響を受けているんじゃないだろうか? とはいえ、Prince のまがいものには見えない。それどころか、この人、Prince の背中を追いつつ彼を超える存在になるのでは…!」 当時、スタイリッシュでク-ルなこの映像を観た世界中の何人もが、僕と同じ予感を抱いたはずです。 早速、アルバムを買いに走りました。 1曲目「If You All Get To Heaven」は、小さな音量のイントロのあと、重々しい男声コーラスが響く、ゴスペル調といった形容がぴったりな曲です。歌詞も「If you all get to heaven, say a prayer for my mother ~みんな、天国に行ったら僕の母のために祈ってくれ」と、何やら厳粛な雰囲気でスタート。 一方、ドラムは打ち込みで、コーラスの入らないソロでのボーカル・パートではエレクトロファンク的な展開が醸し出される、といった作品です。 続く2曲目「If You Let Me Stay」は、一転して明るく軽快なソウルになっています。当時の僕の耳にも「ひと昔前の音楽だな」と感じられたような、そんな曲調です。 そして、3曲目がさきほどの「Wishing Well」です。映像と同じバージョンのものが収録されていました。 力強さと軽やかさが共存するミドルテンポのファンクドラムに、ブーンと同じ音を伸ばすベース、ハスキーでソウルフルな Terence Trent D'Arby 本人の美声。 キーボードやギターも加わるものの、それぞれの音数は少なくシンプルです。歌も、同じメロディーの繰り返しです。 さらには、

JAMAALADEEN TACUMA / SHOW STOPPER ~マインドレベルでのフリー・ジャズと呼びたい

1983年の某日、Jamaaladeen Tacuma(ジャマラディーン・タクマ)のアルバム「Show Stopper」をレコード店で手に取ったあと、それを購入するまでにはかなりのためらいがありました。 まずは、ケバケバしいまでのジャケットデザインです。たじろぐものがありました。 派手な色のスーツやシャツを直線状に切り貼りしたコラージュです。横目でこちらを見据えている Tacuma の手には、ヘッドがなくボディも小さい、ほとんどネックだけのベースギターが抱えられています。このアルバムが発売された当時に流行した Steinberger(スタインバーガー)社のモデルです。 アーティスト名も奇妙です。やたらと母音の重なる綴りが奇抜に見えました。「僕には過激すぎるタイプの音楽を聴かされるのでは」と、恐れを感じる雰囲気でした。 不安はほかにもありました。 「ジャマラディーン・タクマ」の名前を知ったのは、その少し前に、ジャズ・フュージョン系の雑誌の記事を読んでのことでした。 そこには「フリージャズ系のミュージシャンが、ファンクやソウルなどに続々と転向しはじめている」と、書かれていました。 それら、ファンクやソウル等のことをこの記事では”具体音楽”と表現していたように思います。 そうした動きの中にいるひとりとして、Ornette Coleman(オーネット・コールマン)のバンドでベースを弾いていた Tacuma のことが紹介されていたわけです。 Ornette Coleman は、その名も「フリー・ジャズ」と題するアルバムも出しているフリー・ジャズの旗手的存在です。また一方で彼自身、ファンクを採り入れたさきほどの”具体音楽”を作ってもいました。Tacuma はその愛弟子といったところです。 その頃、僕の理解では、フリージャズは「和音、音階、リズムなどの一切の決まり事を排する音楽」ということで、難解かつ楽しめそうもない印象を持っていました。 なので、いくら「具体音楽に転向した」といっても、Jamaaladeen Tacuma の音楽もそういうものではないかと疑いをもっていたのです。 しかし、僕は結局レコードを買ってしまいました。理由はよくわかりません。 そして帰宅すると、身構えつつ盤面に針を落としました。 1曲目「SUNK IN THE FUNK」のイントロは「なんだ、普通のフュー

Salif Keita / “SORO” ~洗練と圧倒のアフリカ作品

西アフリカ・マリ出身の Salif Keita(サリフ・ケイタ)のアルバム「“SORO”」を聴いての第一印象、それは「アフリカ音楽も随分洗練されてきたな」でした。 1983年の King Sunny Adé のアルバム 「Synchro System」 に感心して以来、僕はしばらくの間、立て続けにアフリカの音楽を聴き続けました。それらは、ジャンルとしてはファンクなどの西洋音楽だったり、欧米のアーティストがプロデュースしていたり、リン・ドラムなどの機材が導入されていたりと、要は、西洋的な土台が目立つ作品でした。 そのうえで、これらにはどこか意図的な土臭さも感じられました。穿っていえば「あえてアフリカを強調している」とも思えるサウンドだったのです。 そうした中、'87年に “SORO” を聴いたところ、たしかにこの作品でもアフリカは強く表に出て来ていますが、それは上記の作品群とは違い、とても洗練されたものに聴こえました。アフリカと西洋を継ぎ足し、1+1とした以上の結果を出している作品のように僕には感じられました。 1曲目「WAMBA」のイントロは、ブーンと尾を引くベースに、ブラスが続く展開です。ソウルやファンクのイントロのようです。 一方、これに続くエレキ・ギターのアルペジオ、ドラムやパーカッション、コーラスは、あくまでアフリカ的なフレーズ、リズムです。 とはいえ、そこに土俗的な感じは希薄です。ロック的なギター・ソロやシンセサイザーをうまく溶け込ませているからでしょう。 Salif Keita のボーカルもそこに加わります。すこししゃがれていながらも、張りがあり、地の底から響いてくるような声です。呪術的とも、魔術的ともいえる魅力を感じます。 なお、このアルバムの全ての曲は、Salif Keita 自身の作詞・作曲によるものです。メロディーの美しさと声の相乗効果により、まさに圧倒される印象です。ちなみに、彼の音楽すべてに共通する最大の魅力は、彼の「唄」だと僕は思っています。 2曲目「SORO(AFRIKI)」の初めと終盤は、1曲目「WAMBA」と同じようなミドル・テンポとなっています。 しかし、中盤はアップ・テンポです。ビッグ・バンドの分厚いブラスのサウンドに、トランペットやサックスなどの短いソロが加わります。雰囲気としては、スウィング・ジャズが展開するといったと

The Chemical Brothers / dig your own hole ~ロック的ではないハードなロック

The Chemical Brothers(ケミカル・ブラザーズ)の2ndアルバム「dig your own hole」を最初に聴いたのは1998年のこと。前年に発売されたCDを1年遅れで購入しました。 全11曲、63分のアルバムです。曲が間を空けず連続する構成。しかもサウンドはハードでヘビー。最後まで一気に聴いた結果、相当疲れました。もう十分、といった感じでした。 それでも、疲労が回復すると、またすぐに聴きたくなりました。麻薬的ともいえそうな高揚感、脳天がシャキッとさせられるような爽快感もあったからのようです。 The Chemical Brothers は、Tom Rowlands(トム・ローランズ)と、Ed Simons(エド・シモンズ)、2人のDJによるユニットです。その名は、僕がテクノを聴き始めた1996年頃、クラブ系音楽雑誌で頻繁に目にしました。当時は「デジタル・ロック」の代表的なアーティストと、いった扱いでした。 ところで、僕は、洋楽を聴き出した最初の頃から、ロックのサウンドが苦手でした。ノイジーなエレキ・ギターや、突き刺さるような裏声でシャウトするボーカルなど、どうも馴染めませんでした。 その傾向が当時もあったため、The Chemical Brothers の音楽も同様のものと疑い、敬遠していました。 とはいえ、本国イギリスで、シングルやアルバムのチャート1位を記録し、雑誌のレビューでも評価の高いユニットということで、そのうち、聴かず嫌いもどうかと思い直し、アルバムを手に取ってみました。 1曲目「block rockin' beats」は、低音のドローン(持続音)に、恐怖におびえたような高音のボイスが重なる不穏なイントロから始まります。そこに、硬質で乾いた音色のアルペジオがフェード・インします。ギターのようにも聴こえますが、実際はベースをギターのように鳴らしているのでしょう。これが、曲の核になっています。 ドラムは「これぞブレイク・ビーツ」といった感じです。サンプリングした音を細かく切り刻んで再構成した(打ち込みかもしれませんが)、複雑なパターンです。ロック的ではありません。ミドル・テンポで強くグルーブし、ベースとともに曲をリードするかたちです。 さらには、シャウトも無しです。ラップのような、短いボーカルのサンプルが繰り返されます。この辺り

TOKiMONSTA / MIDNIGHT MENU ~宅録女子のPOPとウサギに惹かれて

TOKiMONSTA(トキモンスタ、本名 Jennifer Lee / ジェニファー・リー)の1stアルバム「MIDNIGHT MENU」を購入したきっかけは、CDショップのポップでした。 「コリア系アメリカ人で、宅録女子」と、ありました。このプロフィールにまずは興味をひかれました。 次に、ジャケットのデザインです。ひとりの女の子(?)が、両膝の間に皿を抱えています。皿には白いウサギが乗っています。女の子の顔は隠されていて見えません。そこに、数字や小さな〇、△が散りばめられています。何やら暗号めいていて魅力的です。なお、韓国語でウサギのことを「トッキ」(=トキモンスタのトキ)というそうです。 そんなわけで、要はジャケ買い、ポップ買いをしたかたちです。ちなみにこの時はCDを購入しましたが、半年後くらいに、遅れて出たLPも買いました。 ところで、上記ポップの記載によれば、彼女は「LAビート」のアーティストとのこと。さらに、LAビートの中心的人物である Flying Lotus のレーベル Brainfeeder から、次回作をリリースする予定(当時)とのこと。 その頃、僕は、Flying Lotus をはじめ、LAビート(またビート・シーン、LAビート・シーン)をよく聴いていました。アーティストや作品ごとに、ジャズ的であったり、BGM的だったりする、その多彩なサウンドに魅了されていた時期でもありました。なお、この翌年(2011)、TOKiMONSTA は、実際に「Creature Dreams」を上記 Brainfeeder レーベルから出しています。 さっそく「MIDNIGHT MENU」を聴いてみました。 1曲目「GAMBLE」は、シンセサイザーによる抒情的な単音のメロディーで始まります。程よいエフェクトとノイズによって、柔らかでくすんだ、懐かしさすら感じる音色が醸し出されています。 そこに、ゆったりとしたドラムとパーカッションが重なります。ヒップ・ホップ的な力強いビートですが、メロディーと同じような音処理がされているので、激しさや硬さは感じられません。 さらには、リズムとメロディーが一体化した感覚も特徴的です。心なしか、メロディーとビートの同期に微妙なズレも感じられるのですが、それがかえって曲に一体感を与え、生き生きとしつつも自然な印象を生んでいるようです。なお、

立花ハジメ / MR.TECHIE & MISS KIPPLE ~ サンプリング元年を飾る名作

立花ハジメの3rdアルバム「MR.TECHIE & MISS KIPPLE」は、僕が「サンプリング元年」であると、個人的に思っている1984年の作品です。 この年、Trevor Horn は、自身のユニット ART OF NOISE で、サンプリング主体のアルバム「(WHO'S AFRAID OF?)THE ART OF NOISE!」を発表しています。 さらに、Herbie Hancock は、サンプリング・シンセサイザー「Fairlight CMI」を駆使したアルバム「SOUND SYSTEM」をヒットさせました。 立花ハジメによる「MR.TECHIE & MISS KIPPLE」も、その”元年”を代表する、サンプリングを大胆に導入した作品です。 サンプリングされている音に、特徴があります。工場や工作機械、重金属といった辺りをイメージさせるものが目立つのです。いまの音楽用語でいえば、「インダストリアル系」ということになるのでしょうか? なので、これを最初に聴いた時は驚きました。そして、何度も繰り返し聴いているうちに、やがてクセになりました。 「MR.TECHIE & MISS KIPPLE」では、立花ハジメにとっての大幅なサウンド・チェンジが行われました。この変化は、僕には合っていたようです。 彼は、'82年に1stアルバム「H」、翌'83年に「Hm(エイチ・マイナー)」を発表しています。この2つは、自身のサックスを含むサクソフォン・アンサンブルが前面に出た、アコーティック楽器が主体の作品でした。 ただし、サックス中心のインストといっても、ジャズ的なところはまったくありません。実験的なロックといった印象を受けるサウンドでしたが、これは、当時の僕にとってはやや取っつきにくいものだったのです。(現在は親しんでいます) そこで、「MR.TECHIE & MISS KIPPLE」です。 1曲目「REPLICANT J.B.」から、サンプリング、インダストリアル系、2つの特徴が表れます。 シンプルに反復するドラムと、J.B.=James Brown の曲から採ったブラス・パターンのリフ(サンプリングのように聴こえますが、生演奏かもしれません)で始まります。 このブラス・リフにシンクロするように、James Brown

MEN AT WORK / BUSINESS AS USUAL ~スカスカでシンプルなのが何より魅力

エレキギターのノイジーな音、シャウトする高音のボーカル、メタリックでヘビーなドラム…。僕はこれらに馴染めず、'70年代のロックはほとんど聴いていませんでした。 それでも、'80年代に入ると、こうした要素の少ないソフトな印象を与えるロックが出てくるようになりました。 オーストラリア出身のバンド、MEN AT WORK(メン・アット・ワーク)の音楽もそうです。彼らの最初のアルバムが、'81年の「BUSINESS AS USUAL」(邦題:ワーク・ソングス)です。 この「BUSINESS AS USUAL」と、収録されている「WHO CAN IT BE NOW?」(ノックは夜中に)、さらに「DOWN UNDER」の2曲は、それぞれアルバムとシングルの全米ナンバー1ヒットを記録しています。つまり三冠ということで、彼らはまさに彗星のごとくアメリカの音楽シーンに登場しました。 ちなみに、「WHO CAN IT BE NOW?」と「DOWN UNDER」は、日本でもヒットしました。ラジオをかけっぱなしにしていると、嫌でも耳に入って来る状態でした。僕もこれらに魅せられ、カセットテープに録音し、毎日のように聴いていました。 印象がソフトなほか、素朴でシンプルなところにも惹かれました。僕にとっては、ノイジー&ヘビーの'70年代を飛び越え、'60年代以前のロックにさかのぼった感じのするサウンドでもありました。 1曲目「WHO CAN IT BE NOW?」では、ドラムのイントロに続いて、サクソフォンのフレーズが繰り返されます。歌のサビの部分でも、同じフレーズをボーカルとサックスが交互に繰り返します。とても印象的なパターンで、大ヒットした一番の要因でしょう。 ベースは一拍に一音づつ、ドラムやギターのカッティングもシンプルで、テクニカルな感じはありません。それらリズム陣が、Colin Hey の怒鳴らない伸びやかなボーカルと、Greg Ham の人の声のようなサックスを引き立てています。 シンセサイザーの音もなく、エレキ・ギターもアコースティックな響きに聴こえます。隙間が多く、よい意味でスカスカな感じも特徴的です。 このアルバムが発売された'80年代初め頃といえば、シンセのエレクトリック音、派手めのエレキ・ギター、分厚いブラス・サウンドなどを使

EARTH,WIND & FIRE / ALL 'N ALL(邦題:太陽神)~EWFの1枚を僕が選ぶなら迷わずこれ

アルバイト代や小遣いを貯めて、自分用のレコードプレイヤー、アンプ、スピーカーを買い揃えたのは、'83年のことと記憶しています。 ステレオ・セットとしては、まだカセットデッキなどが足りませんでしたが、待ちきれず、LPを数枚立て続けに買いました。 それらは、Herbie Hancock の「Future Shock」('83)や、細野晴臣の「Philharmony」('82)など、主に当時の話題作でした。 ですが、1枚だけ、6年前('77)に発売されたアルバムもありました。EARTH,WIND & FIRE(アース・ウィンド・アンド・ファイアー)の「ALL 'N ALL」(邦題:太陽神)です。お目当ては「FANTASY」(邦題:宇宙のファンタジー)という曲でした。 この曲は、翌'78年にシングルカットされ、日本では本国アメリカ以上にヒットしています。かなり長い期間にわたって、ラジオでも、街中でも、ディスコでも頻繁にかかっていた曲です。 ストリングス系のシンセとピアノのイントロ、その後リズムが先導していき、ファルセット・ボイスでのボーカルが始まる展開です。当時の歌謡曲を想い起こさせるような、抒情的な短調のメロディです。 「Come to see(確かめにおいで), victory in a land called fantasy (ファンタジーという名の大地にある勝利)~」と、歌詞はポジティブですが、旋律は哀愁を帯びていて、どこか切なくもさせる雰囲気です。 さらに、リズムは、当時ディスコで流されていたことが信じられないほどゆったりとしたもので、BPMでいうと88くらいです。 中盤からはコーラスが入ります。クライマックスは、リード・ボーカルの Philip Bailey の魅力的な高音のファルセットといった流れです。 この曲は、レコードを買う前からいつも頭の中でリピートされているくらいに好きな曲でした。そこで、これが入ったLP「ALL 'N ALL」を手にしたわけです。 レコード盤を新品のプレイヤーにのせ、針を落とし、1曲目「SERPENTINE FIRE」(太陽の戦士)から聴き始めました。「FANTASY」とはだいぶ印象の違う曲です。 パーカッションがリードする「アフリカ的ファンク」ともいうべきリズムが前面に

BURIAL / Street Halo / Kindred ~とにかく暗~い中の飽きない魅力

「とにかく暗い…」 それが、BURIAL(ブリアル)(William Bevan:ウィリアム・ビヴァン)の「Street Halo / Kindred」を聴いた第一印象です。 まず、目立つのは、意図的に加えられた、チリチリ、パチパチと鳴るノイズです。聴き込んだレコードが発する静電気の音です。 これは、'80年代からヒップ・ホップなどのクラブ系トラックで導入されている手法ですが、これほど全面的に使われているアルバムは初めてでした。 シンセなどと同様、アクセントや装飾ではなく、サウンドの重要な要素になっています。ザラザラとした質感と暗さを演出しています。 それだけではありません。すべての曲にサンプリング・ボーカルが入りますが、ピッチが変えられたり、エフェクトがかけられたりすることで、霧がかかったような不鮮明な響きになっています。不自然で、不気味な感じもします。 ボーカル同様に、低く立ち込めたようなシンセの音も入ります。スネア・ドラムの抜けのよい音、といったものは無く、バス・ドラムやシンバルも明瞭ではありません。 要するに、クリアな音がひとつもないのです。それでも、魅力的なサウンドです。僕にとっては病みつきになるアルバムです。 Burial は、ダブ・ステップのアーティストとして扱われています。ダブ・ステップは、レゲエから派生した音楽スタイルです。ですが、僕の印象では、このアルバムからレゲエ的サウンドを感じることはありません。それよりも、テクノ系の音楽に聴こえます。 どの曲にも、不鮮明ながらシンプルで骨太な「4つ打ち」のテクノ的ビートが存在しています。すべての曲に暗さが通底するにも関わらず、ダンス・フロアでほかのクラブ・トラックと一緒にかかったとしても、違和感がなさそうです。 最初の「Street Halo」から、そうした特徴的なサウンドが前面に出てきます。 冒頭から、チリチリ・ノイズと霧の立ち込めるようなシンセ、重く不鮮明なバス・ドラムという展開です。4つ打ちのビートにシンクロして、音数の少ない、唸るような低音も重なりますが、ベース・ラインといえるような明確な音ではありません。 さらに、小さく断続的に女性ボーカルが加わります。同じメロディーを繰り返しながら、少しずつ変化していきます。 2曲目「NYC」、3曲目「Stolen Dog」は、「Street Halo」

JOÃO BOSCO / GAGABIRÔ(タフタのドレス)~ギターを持った渡り鳥が魅せるボーカル

João Bosco(ジョアン・ボスコ) の「GAGABIRÔ」(邦題:タフタのドレス)は、1曲目の「BATE UM BALAIO ou Rockson do Pandeiro」(邦題:バライオのリズム)から、圧倒されるアルバムです。 アコースティック・ギターのテクニカルで素早いコード弾きに続き、掛け声のようなボーカルが始まります。 エーィ、エーエーィ、といった叩きつけるような声に続いて、短いフレーズの歌詞が繰り返し唄われます。同じメロディーかと思うと高音にジャンプしたり、目まぐるしい展開です。途中からキーボード(オルガン?)も加わりますが、同じようにリズミックです。 ベース、ドラムなどのリズム楽器は使われず、エレキ・ギターのカッティングもありません。にもかかわらず、強烈なドライブ感があり、ファンキーと形容したいくらいです。 それまでに聴いていた、ほかのどの音楽とも違う、乾いた熱風が吹きまくるような独特な曲調に、とても驚かされました。 2曲目「PAPEL MARCHÉ」(紙細工)では、曲調が一転します。爽やかな空気が漂うサウンドです。 ギターとキーボードに加え、ベース、ドラム、パーカッションも加わった、ごく普通のバンド編成です。音数が少ないせいか、広がりを感じます。ボーカルも、ファルセットの入る伸びやかな声です。それでも、終盤に加わる掛け声のような歌唱は、1曲目と共通するテイストです。 3曲目「PRETA-PORTER DE TAFETÁ」(タフタのドレス=日本盤のアルバムタイトル)は、快速のボサノバといった曲調です。 ギターとパーカッションのみの編成で、ボーカルは口元で軽く跳ねるような発声、パーカッシブな感じがします。 ここまで聴いて、このアルバムでは、何よりもボーカルの魅力に惹きつけられました。それぞれの曲調によって、微妙にテイストが異なります。メロディーだけでなく、曲のリズムをも、ボーカルが牽引しているような印象です。 また、多くの曲で、擬声語とも擬態語とも、スキャットともつかない、不思議な掛け声のような発声が加わります。 5曲目「GAGABIRÔ」(ガガビロ、原盤のアルバムタイトル)は、こうした魅力的なボーカルから始まります。断片的な歌詞があるようですが、ほとんどが掛け声のように聴こえます。(日本盤の解説では、1曲目とこの5曲目については歌詞の記載がありませ

Yes / 海洋地形学の物語(Tales From Topographic Oceans)~組曲をバラバラに聴く

プログレッシブ・ロック・グループ「Yes(イエス)」の膨大な作品の中で、「Tales From Topographic Oceans(邦題:海洋地形学の物語)」は、人によっては評価が分かれるアルバムのようです。 「冗長」「水増し感アリ」など、1曲づつの長さから来る否定的な声も目立ちます。たしかに、CD2枚組・計81分で4曲という構成は特異です。LPだと1面・1曲になってしまいます。 このアルバムは、リード・ボーカルの Jon Anderson(ジョン・アンダーソン)が、東京滞在中に読んだヒンズー教の経典に触発され、制作された作品です。 そのためか、歌詞は哲学的、あるいは宗教的な内容になっていて、サウンドも壮大な印象です。まさに「太古の砂浜のような場所に岩場、遠くには階段ピラミッド」という、ジャケット・アートのイメージどおりです。 そのため、このアルバムに対しては、「難解」「壮大な目論見だが、成功したとは言い難い」「ロック、ポップというよりクラシック」などの評価も聞こえます。 僕もそうだろうとは思いますが、それでも、僕が聴いた5枚の Yes のアルバムの中で、この「海洋地形学の物語」は、もっともお気に入りの1枚です。 これを初めて聴いたのは、'80年代の後半頃でした。一人暮らしをしていた僕が、たまたま実家に帰った際、そこに兄のCDラジカセがあるのを見つけました。 中にCDが入っているのを見て、プレイボタンを押してみたのが最初です。3曲目の「THE ANCIENT / GIANTS UNDER THE SUN」が、スピーカーから流れ出しました。 曲は、シンバルの荘重な音で始まり、突然、マリンバとドラムによるシークエンスに切り替わります。それが、まるでシークエンサーなどの機材で打ち込んだかのように、細かく正確に反復されます。 ただし、1973年の作品ですから、これは実際の演奏を録音したテープを編集して作り上げたものなのでしょう。ですが、テクノ・ポップやニュー・ウェーブをすでに聴いていた当時の僕の耳にも、新鮮なサウンドに聴こえました。 そこに、エレクトリック・ギターも入ります。ノイジーな音ではなく、クラシックの弦楽器を思わせる、伸びやかで整ったサウンドです。 その後も、短く断片的なコーラスが入るのみのインストのパートが続きます。頻繁に変わるリズム・パターンに、ロック

Brecker Brothers / The Brecker Bros. ~最高レベルのアンサンブルとソロ・プレイ

Brecker Brothers(ブレッカー・ブラザーズ)のファーストアルバム「The Brecker Bros.」には、とても豪華なメンバーが参加しています。 まずは、リーダーの Randy Brecker です。彼の演奏を初めて聴いたのは、Jaco Pastorius Big Band の'82年の来日ライブの際のTV中継ででした。 その際は、トランペットのマウスピースの近くにコードを入れ、そこからも音をとり、エフェクトをかけていたようです。さらには、ミュートを取り付けるなどして吹き出される独特の音に、とても興味をひかれました。 なお、「The Brecker Bros.」のジャケット裏面にも「Electric Trumpet」と、クレジットが入っています。 1曲目の「Some Skunk Funk」から、早速、彼独特のエレクトリックなソロを堪能できます。フレージングはどちらかというと無調で、飛び跳ねるような感じです。 Randy の弟でテナー・サックスの Michael Brecker は、Brecker Brothers 以外でも、名うてのミュージシャン達と Steps(後に Steps Ahead )を結成、活躍していました。ジャズ雑誌などでは、兄の Randy よりも頻繁にその名を目にしたものです。 彼は、渡辺香津美の'83年のアルバム「Mobo」にも、ゲスト参加しています。John Coltrane 直系といわれた、テクニカルなフレーズが特徴的です。 アルト・サックスの David Sanborn については、このアルバム以前に、彼のリーダー・アルバムを何枚か聴いていました。魅力は何といっても音色です。メタリックでありつつ、人間臭さも感じます。一度聴けば忘れられない音です。ちなみに、6曲目「Rocks」では、この David Sanborn と Michael Brecker のソロの掛け合いを聴くことができます。 ドラムスの Harvey Mason は、Herbie Hancock の'73年のアルバム「Head Hunters」にも参加しています。この中の1曲「Sly」での、快速でありつつも走らず、タイトで腰が座ったような演奏に僕は魅了されました。 ちなみに、音楽評論家の熊谷美広は、 対談の中で この「Rocks」に関連し

kaoru inoue(井上薫)presents chari chari / in time ~空気感が気に入ってます

Chari Chari(Kaoru Inoue ~井上薫 のプロジェクト)のアルバム「in time」が紹介されるとき、よく「オーガニック」という言葉が使われます。 オーガニック…有機栽培された音楽って? デジタルが紡ぎ出す現代音楽へのそんな表現に、一瞬、疑問が湧きます。 ですが、実際にこのアルバムを聴くと、なるほどとも思います。たしかに「オーガニック」でもよい気がしてきます。 多数のパーカッションやストリングスなど、生楽器が前面に出てくるサウンドです。 ただし、いずれの曲でも Kaoru Inoue による打ち込みや、電子楽器が多用されています。 6曲目の「Remains」に至っては、すべてが彼のキーボードと打ち込みによる作品です。 とはいえ、ドラムス、パーカッション、ストリングスなどを模したそれらの音は、ほかの曲で奏でられる本物の楽器の音と比べても、まったく違和感がありません。 エコーなどのエフェクトも、軽やかで深い響きを醸し出しています。人の手が加わらない、自然の音を連想させます。 さらに、そうしたエレクトリックなサウンドやサンプリングが、丹念に曲に織り込まれ、生楽器と一体化しています。 まさに、有機的=オーガニックな雰囲気が生み出されています。 加えて、僕は、このアルバムの持つ空気感が気に入っています。身も心もともに軽やかにしてくれます。心地よくも独特な感覚です。 1曲目は短い曲です。タイトルは「One」です。男声とカウベルの音のあと、シンセサイザーのエレクトリックな音色が続きます。 2曲目「Sound of Joy」は、ゆったりとした打ち込みのドラムスで始まります。続いて、パーカッションが重なりますが、クレジットを見る限り、これも打ち込みのようです。さらに、フルートとストリングスも被さってきます。こちらは生楽器です。 3曲目「Dil Ki Dharkan」では、タブラ、シタールなど、インドの楽器が登場します。インド風なメロディーの歌も加わります。ただし、全体としてはインドをそれほど強く感じる曲ではありません。 5曲目「Tidal Wave」と、それをエディットした11曲目「Tidal Reprise」は、サンバ系のパーカッションが特徴的な2曲です。 また、サンバといえば、9曲目「Aurora」も、ボサノバ風のギターと短い歌が繰り返されるブラジル的な1曲です

Reich Reimixed ~長く聴き続けている名作リミックス

僕がテクノを聴き始めたのは1996年のこと。情報を得るため、クラブ系の雑誌などをよく読んでいました。 そこで、Steve Reich(スティーヴ・ライヒ)の名前を頻繁に目にしました。テクノを初めとしたクラブ系のアーティストの多くが、彼の影響をつよく受けているというのです。 たしかに、記憶を辿ると、YMOの「体操」や、細野晴臣のアルバム「PHILHARMONY」にも、「ライヒ的」だとか、「ライヒの影響がつよい」といった論評がありました。 「体操」では、ベースとなる四つ打ちのリズムの上で、ピアノのラインのひとつが3拍子のフレーズを延々と繰り返します。ライヒ的です。 「PHILHARMONY」の中の「LUMINESCENT/HOTARU」でも、複数の異なった拍子のフレーズの重なりが見られます。これもライヒ的です。 そして、これらの曲に、僕はかつて不思議な陶酔を感じてもいました。 なお、Steve Reich 自身は、ロックやポップスの人ではなく、クラブ系でもなく、1936年生まれのクラシック系の現代音楽家とのこと。 「多分、難しい音楽をつくる人なんだろう」との先入観もあり、興味は持ったものの、そのときはわざわざライヒを聴いてみようとは思いませんでした。 その後しばらくしてから、「Reich Remixed」(邦題 ライヒ:リミックス)というアルバムが発売されることを知りました。文字どおり、Steve Reich の作品をクラブ系のアーティストがリミックスしたオムニバス・アルバムです。 Coldcut、DJ Spooky、Ken Ishii など、当時よく聴いていた名前がリミクサーとして並んでいます。そこで、「だったら試しに…」といった感じで手に取ったのですが、冒頭からすんなりと引き込まれました。 1曲目は「Music for 18 Musicians」。Coldcut のリミックスです。 さまざまな楽器による、ごく短いフレーズの繰り返しで始まる曲です。各楽器の音のタイミングが違うためか、それらが微妙にズレながら重なっていきます。例えるならば、湖畔に寄せるさざ波のようなイメージです。ちなみにこの部分、原曲に何も加えずにサンプリングされているようです。 次いでそのあと、Coldcut によるシンセのフレーズや、打ち込みのドラム、パーカッションが重なりますが、これらも、原曲にま