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King Sunny Adé and his African Beats / Synchro System ~クールでテクニカルなアフリカ音楽



1982年か83年のある日、音楽に詳しい友人からこんな話を聞きました。
「これからは、第三世界の音楽が来るよ」
当時、その名も「Third World」という名前のレゲエ・バンドがブレイクしていたので僕はそれをすぐに連想しました。が、その友人は「特にアフリカだね!」と続けたのです。

アフリカだって?そのときは半信半疑だったのですが、しばらくして「Jazz Life」や「ADLIB」など、当時よく立ち読みしていたフュージョン系の雑誌で、ナイジェリアのKing Sunny Adéの名前をたびたび目にするようになりました。
ニューヨークの巨大ディスコ「リッツ」で大編成のバンドで夜通し演奏したこと、とか、トーキング・ドラムという独特の楽器のこと、スライド・ギターの使われ方、などに関する記事です。
そのうちに、FMラジオで彼の新しいアルバム「Synchro System」のうちの何曲かが放送されることを知り、聴いてみました。

アルバムの1曲目、「Synchro Feelings」。
一体いくつ鳴っているか判らないほどの多数のパーカッションと、3つ4つは鳴っていそうなリズム・ギターが、それぞれに違ったパターンを延々繰り返し、シンクロする。ポリ・リズム、という形式です。
80年代初め、ドラム・マシーンを使って、複雑なパターンを繰り返すリズムが普通になっていたこともあり、とても時代にマッチした音に聴こえました。実際、この曲と他の何曲かで、Linn-Drumなどのドラム・マシーンが使われているようです。
その上に、ときおりあらわれるシンセの音。スライド・ギターの不思議な音色のソロ。
でもこのあたりは、事前情報である程度想像していたことでした。

雑誌などの文字情報で知識はあったものの、聴いてみるまで分からなった「音」がありました。
一つはトーキング・ドラム。日本の鼓を長くしたような形をしていて、先の曲がったスティックで叩き、脇に挟んで、締め付ける力を調整することで音程を変える――これが事前の情報。
実際のアルバムでは、低音に使われています。モコモコしているのにクリアに聴きとれる、という不思議な音。音程が変わるので、まるでベースラインのようにバンドをリードしています。
そして、サイケデリックと言ってもいいような印象を与える、独特な響きです。
前年のアルバム「Juju Music」では、文字どおり言葉を話すようにコーラスと掛け合いをしています。
(植民地時代に、暗号として秘密の通信に使われていた、という話もありますが、これは伝説かもしれません)

もう一つはAdéのボーカルです。
湿った感じで囁くような、ペタペタ、という形容がピッタリする声。にも関わらずジメジメした感じがせず、クールで爽快さすら感じるほど。そして、明るいけれど、どこか呪術的な響き。

A面4曲目の「Maajo」はコーラスのアフリカン・ハーモニーが心地よい曲。Adéの「ピューン」と一音鳴るギターの音がキューになって、コーラスが入ってきます。そして曲の最後(LPではA面最後)は、トーキングドラムのソロ。

ラジオではA面の全4曲とB面1曲目のタイトル曲が放送されました。
「Synchro System」は、熱い曲、抒情的な曲が続くA面と一転して、クールな曲調。ダビングで編集し加えられたと思われる音もあります。
後にLPを買って聴いてみると、B面はこの後もクールな曲が続き、最後は「Synchro System」の短いリミックス曲で終わります。

アルバム「Synchro System」は、大編成のアフリカン・オーケストラと、ドラム・マシーンやリミックスなどの当時のスタジオ技術が融合した傑作です。

そして、アルバム発売の翌年、彼のバンドが初来日を果たします。
2時間半にもおよぶ演奏時間、唄っていない間は延々と踊り続けるコーラス隊、コーラスとトーキング・ドラムの掛け合い、ギターを弾きながら唄い踊るAdé、アンコール前の大ダンス大会…。
今まで僕が体験したライブの中でも一、二を争うほどに素晴らしく、帰りがけにはレゲエのレジェンド的ベーシスト、Robbie Shakespeareの姿も見る、というオマケまで付きました。


King Sunny Adé and his African Beats / Synchro System(1983年)

A1:Synchro Feelings - Ilako
A2:Mo Ti Mo
A3:Penkele
A4:Maajo

B1:Synchro System
B2:E Saiye Re
B3:Tolongo
B4:E Wele
B5:Synchro Reprise

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