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7月, 2020の投稿を表示しています

Four Tet(Kieran Hebden)/ MORNING / EVENING ~朝から夜へ、また朝へ

Four Tet(Kieran Hebden のソロ・プロジェクト)の「MORNING / EVENING」は、同じパターンを延々と繰り返すタイプの音楽です。 ただし、4拍から8拍くらいの短いパターンを快速で繰り返すミニマル・テクノとはかなり趣が異なっています。 A面「Morning Side」は、1拍ずつ打つドラムの音から静かに始まります。BPMは127です。ゆったりめのテクノといった感じでしょう。 やがて、低くのたうつような音に先導されて、1分過ぎから女声のサンプリングが現れます。 歌は約30秒で完結しますが、これが14回も繰り返されます。この間、ドラムのパターンに変化はありません。 さらに、歌とドラム以外にも、さまざまな音が交錯し、共鳴します。低く立ち込めるような持続音、ストリングスのような音、細切れなサブ・メロディーを奏でる80年代風な電子音、細やかなパーカッションなどです。 加えて、アナログ・レコードのノイズのような音も。僕は、当初レコードを購入し、この曲を聴いたのですが、「ノイズが耳につく」と感じ、CDを買い直しました。すると、こちらにも同じ「ノイズ」が入っていたのです。 レコード特有のノイズを意図的に入れておく手法は80年代からあります。僕も、それには慣れていたつもりだったのに、誤認してしまいました。それくらい、音の入り方が作為的でなく、自然に聴こえたということです。 なお、同じ歌を繰り返すボーカルも、エフェクトをかけたり、少しずらして重ねられたりと、変化がつけられています。 このように、同じパターンを繰り返してはいても単調にしない工夫が、曲中あちらこちらに見られます。聴いていて退屈することがありません。 さらに、歌のメロディーや言葉が民俗音楽的で、どこか懐かしい感じがするのも気になりました。調べてみると、インドの歌手 Lata Mangeshkar の歌のサンプリングでした。ヒンディー語の映画「Souten」のために録音された一部とのこと。 Kieran Hebden の母親は南アフリカ系のインド人です。彼は、おそらく母方の祖父から、インドの宗教音楽や映画音楽のレコードのコレクションを引き継いでいます。この歌も、その中にあったもののようです。 歌は、さきほどもふれたとおり、14回繰り返し、一旦終ります。そのあとは、パーカッションがさまざまなフレーズを

Caetano Veloso / CAETANO(邦題:フェラ・フェリーダ)~さあ、食べよう、聴こう

Caetano Veloso(カエターノ・ヴェローゾ)のアルバム「CAETANO(邦題:フェラ・フェリーダ)」は、独特な、ときに前衛的で不思議な印象のさまざまなサウンドが連続する傑作です。1987年の作品です。 1曲目は「JOSÉ」では、繊細なボーカルや、唄うようなベース・ラインに聴き入っているところに、突然、ジャン!とオーケストラ・ヒットが入ります。 中盤からは、バスドラとシンバルだけのシンプルなドラムや、パーカッションが加わります。リズムを強調するのではなく、アクセント的な配置です。 なお、オーケストラ・ヒットは、当時、すでに当たり前になっていた手法です。 それでも、ロックやファンクでもない、この曲のような静かな調べの中で鳴らされると、何やらゾクッとする感じを覚えます。 2曲目「EU SOU NEGUINHA?」は、一転して、ドラムが前面に出る曲です。重いバス・ドラムとギターによる、レゲエを思わせるリズムの上で、Caetano が張りのある声で唄います。終盤、パーカッションとコーラスが加わるリフが、独特の熱気を作り出しています。 以上、1、2曲目には、聴いていて不思議な空気を感じる人が多いと思います。 僕も、3曲目の「NOITE DE HOTEL」で、やっと「普通になった…」との印象を当時受けたものです。 4曲目「DEPOIS QUE O ILÊ PASSAR」では、ふたたびタンバリンなどのパーカッションとドラムが前面に出てきます。この曲は打楽器が主役です。それ以外の楽器は使われていません。Caetano のボーカルも、引き気味に、小さく抑えられています。 なお、ドラムは鳴っていても、このアルバムにはドラマーのクレジットはありません。音はすべて打ち込みによるもののようです。 5曲目「VALSA DE UMA CIDADE」は、アコースティック・ギターでの弾き語りです。ギターは3台使われているため、広がりのある音になっています。 6曲目「“VAMO” COMER」は、もっとも明るい印象を受ける曲です。タイトルの日本語訳も「さあ 食べよう」となっています。 ところが、詞を読んでみると、内容はそうでもありません(國安真奈訳)。 たとえば、「労働党と最右翼の圧力を等式で結ぶのは誰だろうか」といった言葉が並びます。最後には、カッコ書きで「(あるうちにたくさん食べておこう)