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Jaco Pastorius / WORD of MOUTH ~夭折の天才が残した奇蹟の1枚



Jaco Pastoriusを僕が初めて聴き、見たのはTV中継。1982年の「Jaco Pastoruis Big Band」のLiveでした。

ブラスがずらりと並んでいるところは、確かにビッグ・バンドというにふさわしい。でもコアになるリズム・セクションは独特。

ベース、ドラム、パーカッションにトランペット、サックスという編成で、ピアノやギターなどの和音を弾く楽器がない。

さらに、大きな銀色の鉄鍋のような楽器が一台。その内側を叩いて、ペコ・ペコと金属的な音を出しています。あとで知ったことですが、スチール・ドラムというカリブ海の楽器だそうです。

ゲスト参加はハーモニカ。ジャズではほとんど使わない楽器です。

そしてJaco。ベース・プレイも凄いけれど、それ以上に行動の方に目がいきました。

ベースを弾きながら片足立ちでツイストのように踊ったり、何がおかしいのか、顔を上に向けて笑ったり、シャウトしたり、曲が続いているのに突然ベースをその場に置いていなくなったり…

この当時、Jacoはすでにファンからも評論家からも高い評価を得ていました。「エレクトリック・ベースの革命児」というだけでなく、作曲・編曲やサウンド面でも何十年かに一度の天才扱い。その一方で、奇人としての評判も定着していました。

評判どおり、バンドの音は独特です。大別すればジャズには違いはないけれど、伝統的なビッグ・バンドでも、いわゆる“4ビート・ジャズ”でもフュージョンでもない。そして、そのすべての要素を含んでいるような感じもする。

リズム・アンド・ブルースやソウルっぽくもあり、カリプソっぽくもある。とてもひとつのジャンルに当てはまるような音楽ではありません。

中でも一番印象的だったのは「Liberty City」。ブラスの派手なイントロが終わると、リズム・セクションだけの演奏が始まります。明確な主役がなく、各楽器が各々同時にソロをとっています。デキシーランド・ジャズの1980年代版という感じの明るく楽しい演奏でした。

この曲が、前年のJacoの2ndアルバム「Word of Mouth」にも入っています。

編成も演奏の手法も、TVで視聴したビッグ・バンドのものとほぼ同じ。ピアノで Herbie Hancock が参加していますが、あくまでもソリストで、伴奏ではありません。このアルバムの他の曲も、「Jacoミュージック」とでも呼ぶべき、分類不能で予想外なサウンドです。

A面2曲目「Three Views of a Secret」や、最終曲「John and Mary」では、ブラスだけでなく、ストリングスやコーラスまで加わります。自然や動物のドキュメンタリーTV番組のテーマ曲にピッタリくるような音楽です。ジャングルや草原や大海原が目に浮かんでくるような、そんな壮大でカラフルな音です。

B面2曲目、Beatles の「Blackbird」のカバーと、3曲目「Word of Mouth」では、まるでギターを演奏するようにベースから和音やノイズを叩き出しています。

そして、A面1曲目「Crisis」。基本となるトラックは、シークエンサーを使ってプログラムされたベースラインに、ドラムの演奏を重ねて作られています。

サックス二人、ピアノ、ピッコロ、パーカッション二人の各プレイヤーに、このトラックを聴かせながらソロ演奏させる。それをスタジオで編集する。

名うてのプレイヤーたちの演奏を単なる素材として扱い、スタジオで取捨選択してミックスするという、大胆で先進的な手法です。

しかも、Jaco自身が超絶技巧の持ち主で、自分で手弾きも出来るのに、あえて機材を使ってベース・ラインを作るという発想も面白い。

「Word of Mouth」は、ベース・プレイだけでなく、作曲・編曲、サウンド面でもJacoの天才が発揮された傑作です。

一方で、このアルバムの製作や、その世界を具現化したビッグ・バンドのツアーによって、彼は莫大な経済的・精神的な負担を背負い込むことにもなります。

Jacoの夭折の直接の原因は、泥酔の末にクラブの警備員に殴打されたことですが、これらの負担からくるストレスが根本的な原因だったのではないか?僕にはそう思えてしかたがありません。

35歳にて没。自らの若い命と引き換えに、珠玉の名作を残したといっていいのかもしれません。

Jaco Pastorius / WORD of MOUTH(1981年)

A1:CRISIS
A2:3 VIEWS of a SECRET
A3:LIBERTY CITY

B1:CHROMATIC FANTASY
B2:BLACKBIRD
B3:WORD of MOUTH
B4:JOHN and MARY

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