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WORLD STANDARD / WORLD STANDARD(鈴木惣一朗)~35年経って理解出来たアルバム


1984年から数年間の僕といえば、細野晴臣が主宰していた「Non Standard レーベル」の作品に魅了され続けていました。たとえば、細野氏自身による「S-F-X」、越美晴の「BOY SOPRANO」、MIKADO の「MIKADO」など…。


その流れで手にした1枚がこの「WORLD STANDARD」です。WORLD STANDARD(ワールド・スタンダード=鈴木惣一朗のアーティストネーム)によるファーストアルバムです。買ったのはCDで、'86年のことでした。


ところが、このアルバム、聴いてみるとまったくピンと来ませんでした。つまり、当時はがっかりでした。


どうやら、僕はこのアルバムに Non Standard レーベルらしい音を強く期待していたようです。それらは、ひとことでいうとテクノ・ポップ的、ニューウェーブ的なサウンドです。ですが、このアルバムからはそれらは全く聴き取れませんでした。存在してほしかったキャッチーなメロディも、躍動的なビートも探し出せませんでした。


たとえば、1曲目「太陽とダァリヤ」です。日本的なメロディは同じパターンの繰り返しです。奏でられる木琴や大正琴のような響きについては、展開に乏しい、古めかしい印象しか当時は残りませんでした。


そのほかの曲も、ゆったりとしていて静かなところに良さはありますが、「アンビエント」に括られるような魅惑的なレベルにまで踏み込むものとはいえません。ちなみにアンビエントは、当時いよいよその言葉が巷で使われ始めていた、いわば先進的なカテゴリーでした。


そんなわけで「WORLD STANDARD」は、ほどなく家の棚に眠った状態となりました。


ただし、その後もCDやレコードを整理するたび手に取りながら、手放すことはしませんでした。理由はひとえにこのアルバムが Non Standard レーベル作品、すなわち細野晴臣プロデュース作品だったからです。


「これほどの人が世に送り出した作品なのだから、きっとどこか素晴らしいに違いない。それがいつかわかる時がくるのでは」――と、そんな気持ちからでした。


そのいつかが昨年('21)やっと訪れました。3月に「WORLD STANDARD」はLPで再発売されたのですが、11月になり、僕はこれを中古店で見つけたのです。


「聴き直してみる機会だ」と思い、家の棚のCDとはダブるものの、これを購入しました。投じた2,850円が無駄にならないよう祈りながら、レコードに針を落としてみました。


すると、やはり'86年の当時とは印象が違いました。


以前と違い、何かがいい感じに引っかかるのです。両面を一気に聴いたあと、またレコードをひっくり返し、「もう一度聴いて確かめないと」と、そんな感じです。


とどのつまり、僕はこのアルバムに'90年代以降のミニマル・テクノと共通する魅力を感じました。ミニマル・テクノの洗礼を長きにわたり受け続けた僕の耳が、やっと、この作品を理解できるまでに成長したということのようです。


曲それぞれがまさに「ミニマル」な構成です。短めで、かつ展開のないメロディーやフレーズの繰り返しと、その重なりを基本としています。すべての曲に入る女声・男声のボーカルも同様です。  


もっとも、繰り返されるフレーズは、2拍~8拍くらいの短いループが基本のテクノよりもかなり長く、また、どの曲にもテクノのような強烈なビートは見られません。ドラムもほとんど目立ちません。


それでも、反復するリズムと装飾的な打楽器の音がつくり出す穏やかな快感は、僕が魅力的なミニマル・テクノを聴いて感じるものとやはり同じです。沖縄的なフレーズの女声ボーカルが入る8曲目(LPだとB2)「ヤッパンマルス」など、まさにミニマル・テクノ的といっていいでしょう。


CD購入後35年。長い年月と経験を間に挟んだことで、作品自体は変わらずとも僕の方が変わり、そのことによって「WORLD STANDARD」は、僕にとっての魅力的なアルバムにいつの間にか生まれ変わっていたようです。


ちなみに、このアルバムの録音に際しては、多くの楽器に加え、ダンボール箱やハサミなど、さまざまなモノや道具も音源として使われているそうです。(LPに記された鈴木惣一朗自身の解説による)


それら多様な音が、スタジオで丁寧に加工され、編集され、作り込まれたのがこのアルバムである様子。


それを知ったことで「スタジオという町工場で作られた音楽」といった趣きも、僕の耳には感じられるようになりました。よい意味でライブ感の希薄な工業製品的作品――と、いうことにもなるのでしょうか。



WORLD STANDARD / WORLD STANDARD(鈴木惣一朗)(1985年)


1:太陽とダァリヤ

2:青春群像

3:音楽列車

4:たんぽぽのお酒

5:ばら二曲(Fellini & Rota)

6:椰子の実

7:水夫たちの歌声

8:ヤッパンマルス

9:夢の月

10:逝ける王女のためのパヴァーヌ

11:黒い影のゴンドラ

12:私の運命線


CDとLP、配信があります。'21年11月からは、本アルバムの曲も含めたWORLD STANDARD の全楽曲のストリーミング配信も行われています。LPでは1~6がA面、7~12がB面です。本文のとおり、LPは2021年に再発売されています。


CDは'90年を最後としてその後再発売されていないようですが、本アルバムと'82年から'84年の未発表作品を収録した2枚組CD「音楽列車」が、2000年に発売されています。「音楽列車」のジャケットデザインは本アルバムと同じです。


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