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Prefuse 73 / The Only She Chapters ~聴き込むと退屈、流すと惹き込まれる


最初にこのアルバムをCDで通して聴いた時は、少々退屈しました。


それが、Prefuse 73(プレフューズ 73)の2011年のアルバム「The Only She Chapters」の第一印象です。(Prefuse 73 は Guillermo Scott Herren=ギレルモ・スコット・ヘレンのアーティストネームです)


全18曲、ノンストップで約54分間続くサウンドは、漂うようなアンビエントな響きで、もどかしいくらいにゆったりです。女声ボーカルの入る曲が8曲ありますが、これらも抑揚が少なく、ぼんやりとしたメロディーです。アルバム全体を通しても、曲調の変化やドラマティックな構成、展開はほとんど見当たりません。


もっとも、退屈と感じた理由はそればかりではありません。このアルバムのサウンドは、聴く前に僕が予想していたものとはかなり違っていたのです。


Guillermo Scott Herren は、たとえばCDの解説から引用すれば、「ビート・メイカーとして常に時代を牽引してきた」存在です。


ラップを初めとしたさまざまなサンプルを細かく切り刻んだ上で、編集し、曲を作る、ブレイクビーツの超進化型といえるサウンドがこの人の特徴です。


その点、当時僕がすでに聴いていてお気に入りだった彼のアルバム、2009年の「Everything She Touched Turned Ampexian」など、そんな手法の極致ともいえる作品です。全29曲・約48分、それぞれ個性的で強いビートからなる曲が、1曲平均約100秒で目まぐるしく入れ替わります。


それに対し、「The Only She Chapters」はまったく対照的といえます。1曲あたりの長さは平均約3分で、「Everything ~」の各曲に比べて2倍近く、曲のグルーブ感も希薄です。


しかも、それらはどれも前述のとおり「アンビエント」「ゆったり」で、雰囲気がほとんど変わらないこともあり、僕はこのとき若干の戸惑いもあった上で、このアルバムを退屈と感じてしまったようです。


そのため、2度目からはじっくりと聴き込むことはせず、本を読んだり、他のことをしながら、このアルバムをBGMとして流しながら聴くようになりました。


すると、今度は不思議なことにとてもよい感じなのです。


単に音が邪魔にならないだけではありません。脳の奥にまでスッと入って来るような感覚です。なおかつ、時折ハッとさせられるような魅力的なサウンドも聴こえてきます。


それは例えば―――、


3曲目「The Only Contact She’s Willing To Give」での、冒頭の金属的な打楽器音に続く、女声のコーラス…


6曲目「The Only Thief To Steal Tonality」での、弦が振動するような音とノイズの重なり…


11曲目「The Only Direction In Concrete」での、金属的でノイジーな音の重なりの中からかすかに聴こえてくるトライバルなボーカルライン…


こういった音に魅せられ出すとともに、退屈だったこのアルバムの単調さが、逆に「コンセプチュアルな統一感」といったかたちの長所のように感じられてきました。


統一感の要因を探すと、それは全ての曲に共通する、ある種の音の響きにあります。


このアルバムでは、生楽器の音のサンプルが多用されていますが、それらは、コンタクトマイク(楽器などに直接取り付ける小型のマイク)を使用するなど、Guillermo Scott Herren 当人曰く、「本来のやり方とはまったく違った手法で録音」されているとのこと。


それらが、エレクトリックでノイジーな質感に加工されつつ、若干暗いエコーもかけられるなど、ぼんやりとして不明瞭、すなわちオブスキュアなものに仕上げられています。


加えて、これらサンプルや打ち込みなど、膨大な音の要素が丁寧に重ねられている上、エフェクトも特徴的です。クラブ系トラックのような強いビートは聞こえず、低音のドライブ感も希薄ですが、それでいてゆったりと沁み通ってくるような心地よいリズムが全ての曲に感じられるといったところです。


つまり、個々の曲も、アルバム全体の構成も、明確なメロディーや展開を持たないオブスキュアな印象です。曲というよりも「音の流れ」とでも表現した方が適当に思えるくらいです。


例えると、深い森の中を浮遊するようなイメージ? でしょうか。


ともあれ、じっくり聴くと単調で退屈。ところが、半分スルーしているつもりでいるとつい刺激され、聴き込みたくなる…


「The Only She Chapters」は、そんな不思議な魅力にあふれたアルバムです。


Prefuse 73 / The Only She Chapters(2011年)


1:The Only Recollection Of Where Life Stopped

2:The Only Valentine’s Day Failure

3:The Only Contact She’s Willing To Give(feat. Faidherbe)

4:The Only Chamber Resolve

5:The Only Hand To Hold(feat. Shara Worden)

6:The Only Thief To Steal Tonality

7:The Only Trial Of 9000 Suns(feat. Trish Keenan)

8:The Only Way To Find(feat. Nico Turner)

9:The Only Test To Score

10:The Only Boogie Down(feat. Niki Randa)

11:The Only Direction In Concrete(feat. Zala Jesus)

12:The Only Recollection Of How Things Change

13:The Only Guitar To Die Alone(feat. Adron)

14:The Only Serenidad

15:The Only Lillies And Lilacs

16:The Only Lillies And Lilacs Pt. 2(feat. Faidherbe)

17:The Only Repeat

18:The Only Recycled Intro

19:The Only Cassette Left


CDとLP、配信(Amazon)があります。19は日本盤CDのみのボーナス・トラックで、サウンドは1~18と同様のティストです。LPは2枚組、1~5がA面、6~10がB面、11~14がC面、15~18がD面です。


 

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