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Rubén Blades y Seis del Solar / BUSCANDO AMÉRICA 〜あえてひたすら心地よく聴く


サルサのニューウェーブ?


Rubén Blades(ルーベン・ブラデス――フル・ネームは Rubén Blades Bellido de Luna)は、サルサのアーティストです。歌手であり、作詞家であり、作曲家です。中米のパナマ出身で、アメリカで活躍しています。彼と彼のバンド Seis del Solar による1984年のアルバム「BUSCANDO AMÉRICA」は、サルサのニューウェーブといった趣きの作品です。



ブラスが無いサルサ


1曲目、「DECISIONES」の冒頭は、ファルセットボイスとドゥワップのコーラスです。続いて多数のパーカッションとピアノ、ビブラフォンをバックに、いかにもサルサといった軽快な唄とコーラスが展開します。ですが、何かが足りません。サルサの大きな特徴のひとつ、ブラスが鳴っていないのです。


しかし、物足りない感じはしません。むしろ、ブラスの持つ時として過剰な熱さがない分、爽快さとクールさが増しています。なお、このアルバムの全ての曲にブラスは一切入っていません。


2曲目「“GDBD”」は、ボーカルだけで構成される曲です。リズミカルなパターンを繰り返すつぶやきのようなボーカルをバックに、ルーベン・ブラデスが繰り返しの少ない複雑なメロディを早口で唄います。ちなみに、このアルバムでは全ての曲で彼がメインボーカルを務めています。


3曲目「DESAPARICIONES」には、ブラスはもちろん、パーカッションも入りません。ゆったりと打たれるスネア・ドラムとバス・ドラムが、サウンドの中心にデンと構えています。ベースとカッティング・ギターはレゲエ的なラインを奏でます。ボーカルとコーラスのメロディは、どこか物悲しく響きます。歌詞は、行方の知れない親しい人を探す人々を歌うものとなっています。


5曲目「CAMINOS VERDES」は、明るいメロディがゆったりとしたリズムに乗る曲です。パーカッションも活躍しますが、どこかしらロック的です。サルサ的な響きは希薄です。


なお、まとめると2、3、5曲目以外の4つの曲は、十分にサルサ的です。といってもスタンダードなものではなく、独特な魅力を持つサルサ的サウンドです。



流麗な極楽サウンド


2曲目、3曲目以外では、パーカッションのほか、アコースティックピアノやビブラフォンといった鍵盤打楽器が躍動します。シンセサイザーも効果的に使われています。ですが、持続音の使用は控え目です。前述のとおりブラスが無いことも相まって、全体的にパーカッシブで隙間の多い、文字どおりクールなサウンドになっています。


そんなクールさが際立つのが、4曲目「TODOS VUELVEN」です。ピアノの奏でるリズミカルでラテン的なラインに、パーカッションとビブラフォンが交錯します。競うように鳴り交わします。


加えて、流麗で艶やかなメロディーラインもこのアルバムの魅力のひとつです。それが特にいえるのが、6曲目「EL PADRE ANTONIO Y EL MONAGUILLO ANDRES」です。終盤、パーカッションをバックに、シンセとビブラフォンがユニゾンで奏でるラインに、ラテンピアノのリフやコーラスが重なる部分など、「極楽サウンド」と形容するにふさわしいものです。



シリアスなメッセージを詰めた箱


僕がこのアルバムを初めて聴いたのは、発売の2、3年後の'86年か'87年のことです。CDを買いました。雑誌で見た、サルサの傑作アルバムを紹介する記事でその存在を知ったのです。さらに店頭で見たジャケットにも惹きつけられました。青みがかった暗闇の底から裸の男たちが天を見上げているという、地獄を描いた宗教画のような暗い印象のヴィジュアルです。


CD、LPのジャケットには原語(スペイン語)の詞とともに、英訳詞も載せられています。読むと、政治的、社会的なことがらを題材としたシリアスなものばかりです。もっとも、5曲目「CAMINOS VERDES」だけは、なぜか詞の記載がありません。もしやメッセージ性が特に強いため除外された――などということなのでしょうか?


ルーベン・ブラデスは、ミュージシャンとして活躍する前は政治家を目指していました。パナマ国立大学で政治学と法律学の学位を取得したとの話も、ネットの中に見えています。実際に政党もつくり、'94年にはパナマ大統領選にも出馬しています。歌詞に展開される政治性や社会性にも、当然頷けるといったところです。


とはいえ、僕自身として「BUSCANDO AMÉRICA」のメロディとサウンドは、そうしたシリアスなメッセージが詰まった箱としてはあまりに魅惑的すぎます。ごく一般的な日本人である僕の耳には、スペイン語の歌詞が、言葉としてよりも「音」として響いてくるからです。


そのため、僕はこの作品を重たいメッセージへの想いなど抜きにして、ひたすら心地よくいつも堪能しています。



曲目リストとリリース状況


Rubén Blades y Seis del Solar / BUSCANDO AMÉRICA(1984)


1:DECISIONES / Decisions

2:“GDBD” / “GDBD”

3:DESAPARICIONES / Disappearances

4:TODOS VUELVEN / Everyone Returns(作詞・作曲:Cesar Miró)

5:CAMINOS VERDES

6:EL PADRE ANTONIO Y EL MONAGUILLO ANDRES / Father Antonio and the altar boy, Andrés.

7:BUSCANDO AMERICA / Searching for America


「/」の後は、CDとLPのジャケットの内側に記載された英語の曲名です。4曲目 TODOS VUELVEN 以外の作詞・作曲はルーベン・ブラデスです。5曲目 CAMINOS VERDES には英語の曲名記載はありません。CDとLP、配信があります。

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