奇妙でミステリアスなテクノ
アーティスト名は portable(ポータブル・本名 Alan Abrahams)、アルバム名は「version」。まったくありふれた一般名詞です。音楽のスタイルは四つ打ちベースの典型的なミニマル・テクノ。しかし、その中身は一聴して他のテクノとは区別されるサウンドです。何よりも、独特の音色と響きが際立ちます。
1曲目「Ebb and Flow」は、弦楽器のゆったりとしたコード弾きの繰り返しから始まります。エレクトリックではなくアコースティック。バロック以前の古典的な楽器を連想させるような音色と響きです。
続いて、多数の打楽器音が入ります。よく耳にするようなパーカッションの音に加えて、古い機械のような音の短いループ音も重なります。民俗楽器の笛のような音も加わります。
バスドラムは四つ打ちを繰り返しますが、他の低い打音の影響もあって、単調には感じられません。テクノとしてはテンポはゆったりとしていますが、さまざまな音が緻密に組み合わされることにより、躍動的なリズムパターンが創造されています。
サンプリングとともにシンセサイザーも使用していると思われますが、ストリングス系の音や、クリアで鋭いエレクトリック音はほとんどありません。アコーステックで、少しザラザラとした質感です。
民族楽器のような音も目立ちます。ポータブル自身、南アフリカ出身のアーティストです。ただし、トライバルな音楽といった感じではありません。それよりも、奇妙でミステリアスに聴こえるサウンドです。
魅力を醸すボーカル・サンプル
2曲目以降も、そうした特徴は共通しています。
2曲目「Notions of Slow and Fast are Set at Nought」では、硬く重いバスドラがリズムをリードします。パーカッション、小さく鳴り続ける虫の音、断片的に挟み込まれるオルガンのような音、女性ボーカル、といったループが重なります。1曲目よりもさらに奇妙な感覚です。
3曲目「All Eject」では、どう表現したらよいかわからない不思議な音が交錯します。アコースティックな弦楽器の音を歪ませたようなノイジーな音、レコードのスクラッチ音をテンポを下げて変調させたような音――こうしたサウンドが、木質の打楽器音、マリンバをくぐもらせたような音、小さく鳴る男声ボーカルと融合しています。
4曲目「Down Stream」では、低くのたうつ動物のうなり声のようなループがビートを下支えします。断続的に入る高音の男声ボーカルが、やはり不思議な雰囲気を醸し出します。
5曲目「Thought in Action」では、古ぼけたチープなリズムボックスのような音が曲をリードする展開が見られます。
一方、6曲目「Temporal Distortion」で曲をリードするのは、16拍でループするマリンバのような音です。女声の変調されたボーカル・サンプルが、そこに挿入されるかたちです。
なお、こうしたボーカル・サンプルの多用もポータブルの特徴といえます。7曲目「Tempura」では、エフェクトのかかった男声ボーカルのループがユーモラスです。
8曲目「Typhoon」では、1曲目と同じような弦楽器音のループがメランコリックに響きます。さらにここでも中盤以降に、変調された男声ボーカル・ループが加わります。
そして、寂しげなエレクトリックギターの単音のリフと、男声ボーカルのループが中心の「The Opened Book」でアルバムは終わります。
きっかけは田中フミヤのライブ
ポータブルの音楽に初めて触れたのは、'03年頃のことでした。世界的に活躍するテクノDJ・田中フミヤのライブ・アクトに、彼がゲストとして出演したのです。その個性的なサウンドに、僕は新鮮な驚きを覚えました。
さらに、シンセサイザーもターンテーブルも無く、PC1台のみでライブをこなしていたのも印象的でした。ラップトップミュージックと呼ばれる演奏スタイルのことを当時多少知ってはいましたが、実際に目の前で見たのはこれが初めてです。
そのあと、僕はポータブルのレコードを何枚か購入しました。ですが、それらは2~4曲入りのEPばかり。どれも一応気に入ったものの、曲数に物足りなさも感じていました。もっと手ごたえある量を聴きたいと思っていた矢先、CDで発売されたのがこの「version」でした。
そんな「version」の方向性は、それまでに聴いていたポータブルの作品同様といえるものですが、さらに深化しています。僕にとっては期待を裏切らない傑作でした。
曲目リストとリリース状況
portable / version(2005)
1:Ebb and Flow
2:Notions of Slow and Fast are Set at Nought
3:All Eject
4:Down Stream
5:Thought in Action
6:Temporal Distortion
7:Tempura
8:Typhoon
9:The Opened Book
CDと2枚組LP、配信があります。LPでは曲順が異なり、1,2がA面、4,5がB面、6,7がC面、3,8,9がD面です。