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MODEL 500(Juan Atkins)/ MIND AND BODY 〜至高のドラムで魅せるデトロイト・テクノ


「デトロイト・テクノ」は、文字どおりアメリカのミシガン州デトロイトから発信されるテクノです。


ドラム・マシーンによる16ビート主体の複雑なリズムパターンや、ストリングス系の音などを奏でるシンセサイザーによるミニマルなメロディーが特徴です。


Model 500 は、その代表的なアーティストです。Juan Atkins(ホアン・アトキンス)のアーティスト・ネームです。


「彼がいなければ、デトロイトに何も起こらなかった」~Alton Miller(アルトン・ミラー)。


「デトロイト・テクノとは、Juan Atkins のことである」~Derrick May(デリック・メイ)。


こう発言している2人は、どちらもデトロイト・テクノの大物です。


つまり、他のアーティストからも多大なリスペクトを受ける、デトロイト・テクノの創始者といっても過言ではない人物が、Juan Atkins=Model 500 です。


そんな彼の1999年のアルバム「Mind and Body」は、僕がもっともよく聴くデトロイト・テクノのアルバムです。発売後、すぐにCDを買いました。曲順に中身を紹介していきましょう。


1曲目「Psychosomatic」は、シンセのループで始まります。くぐもったような歪んだ低音と、ノイジーなサウンドによる急かされるようなリズムが展開します。そこに、鞭打つようなドラム、耳に突き刺さるシンセの高音、同じくパーカッション、口笛のような音色のフレーズも重なります。実験的な曲といえるでしょう。ですが、難解ではありません。


2曲目「Everyday」は、スローなリズムの曲です。淡々とした四つ打ちのドラムの上に「Everynight, Everyday ~」と、呪文のような小声の男声ボーカルが重ねられます。断片的なメロディーや、呟くような女声もそこに加わり、全体的にはダークな印象です。


3曲目「Incredible」は、1、2曲目からは雰囲気が一変し、明瞭な女声ボーカルが入るポップなイメージの曲となっています。それでも、いかにも打ち込みといった複雑でメカニカルなドラム、ノイズのように挿入される変調されたボイスなど、テクノの特徴もはっきりと出ている作品です。


4曲目「In and Out」は、2曲目「Everyday」と似ていて、淡々としたドラムに呪文のようなボーカルが重なる曲です。ですが、こちらではダークな印象よりもとぼけた感じが目立ちます。


さて、ここまでの4曲は、僕が感じるに「尖がったテクノ」といったところです。しかし、5曲目からはポップな面が強くなります。そのうち、5、6、7、9曲目が、いわゆる歌ものになっています。


5曲目「Rain」は、波の音から始まるゆったりとしたリズムの曲です。女声の歌に加えて、呟くようなボーカルがこの曲でも聴こえてきます。


6曲目「Tipsy」では、歌の背後にシンセの音が飛び交います。快速にグルーブする1曲です。


7曲目「Just Maybe」は、Prince の歌のサンプリングを使ったストレンジな雰囲気の曲になっています。


8曲目「Mind and Body」は、1曲目と同様、実験的な作品です。ギター(?)などのサンプリングを加工した音が、淡々としたドラムの上に乗せられています。なお、この曲は歌ものではありません。


9曲目「Be Brave」では、ふたたび歌が入ります。ポジティブな歌詞による明るく軽快な1曲です。


ラストの10曲目「It’s Time」は、子どもの声のように変調されたボーカルが入る、ユーモラスなところもある変った曲調の作品となっています。


余談ですが、5、6、7曲目では、歌のメロディーと背景音の和声の調性が微妙にずれているように聴こえる箇所があります。テクノ・アーティストによるリミックス作品で、僕が時々感じるものと一緒です。


以上、アヴァンガルドなインスト曲もあれば、はっきりしたメロディーの女性ボーカル曲もありと、このアルバムには多様な曲が並んでいます。


ですが、統一感は失われていません。たとえポップな曲であっても、 ポップスにすり寄った感じはなく、アルバム全体にわたってまさに王道のテクノといった雰囲気が醸し出されています。


理由は何なのか? 僕の思うところ、一番の要因はドラムです。


このアルバムのドラムは、生ドラムではなく打ち込みです。しかし、それらはチープな音ではなく、さらには機械的でもなく、優れたドラマーの演奏が生み出すような「ゆれ」や「ノリ」が感じられるドラムです。それでいて音質は乾いており、機材による打ち込みであることがはっきりと分かるテクノ的なドラムなのです。


テンポやリズムパターンは違っていても、このアルバムの全ての曲で、こうしたドラムの質感は共通しています。歌ものの曲でも、耳がはっきりと「テクノ」を感じるのは、そのためではないかと思われます。


僕がこのアルバムを聴き続けている理由の一番も、このドラムに魅せられているからです。



MODEL 500(Juan Atkins)/ MIND AND BODY(1999年)


1:Psychosomatic

2:Everyday

3:Incredible

4:In and Out

5:Rain

6:Tipsy

7:Just Maybe

8:Mind and Body

9:Be Brave

10:It’s Time

11:Be Brave(Main Vocal MIx)*


CDとLPがあります。LPは2枚組で、1、2がA面、3、4がB面、5、6、7がC面、8、9、10がD面です。11は国内盤CDのボーナス・トラックです。

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