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DJ Spooky That Subliminal Kid / Riddim Warfare ~チープなジャケットに騙されてはいけない


DJ Spooky(=DJ Spooky That Subliminal Kid 〜Paul Dennis Miller=ポール・デニス・ミラーのアーティストネーム)の「Riddim Warfare」のジャケットは、上の写真でご覧のとおりです。'70年代終盤のビデオゲーム画面のようなデザインです。


僕がこのCDを購入したのは1998年です。なので、すでに懐かしさがありました。ただし、レトロ・フューチャー的とか、ダサカッコイイといったポジティブな印象はなく、「チープな…」が正直なところでした。


反面、「中身はいいかも」と思い、買ってみたのです。すると、予想どおりでした。混沌として過激な部分がありながらも、しっかりと構成され、ときに意表を突いてくる、クールなサウンドの連続でした。


1曲目「Pandemonium」は、さまざまな人の声や音楽のサンプリングが細かく編集された曲です。ノンストップで、2曲目「Synchronic Disjecta」に続きます。


すると、こちらはミドルテンポのブレイク・ビーツ(サンプリングしたドラムを細かく切って再構成する手法)と、ハープのような音のアルペジオが核になったサウンドです。レコードのスクラッチノイズも激しく飛び交います。ブラスやシンセサイザーなど、さまざまな音の断片が小さな音量で丁寧に重ねられています。


ターンテーブルとミキサーを楽器のように使い、既存のレコードから新たなビートを創り出す手法を「ターンテーブリズム」、その使い手を「ターンテーブリスト」と呼びます。DJ Spooky は、このアルバムの当時すでにターンテーブリストとして著名な存在でした。実際の曲作りでは、ターンテーブルだけでなく、サンプラーなどの機材も多用していると思われますが、基本的な発想や手法はターンテーブリズム的といえそうです。


続く、3曲目「Object Unknown」では、2曲目(「Synchronic Disjecta」)に比べて速く、激しいブレイク・ビーツが展開します。


もっとも、この当時一世を風靡していたドラムンベースの曲によくあるような、過剰に細分化された複雑すぎるビートではありません。適度に入り組んでいて、四つ打ちのようなスピード感があり、よくグルーブするドラムです。Kool Keith と Sir Menelik のラップ、DJ Spooky の演奏するギターがそこに重ねられ、他のサンプルは控え目です。


6曲目「Post-Human Sophistry」では、リズムがさらに激しくなります。背後で鳴る音はヘビーで金属的な響きとなります。なお、この曲までは「クールで過激なヒップ・ホップ的サウンド」と、いった言葉で括れそうですが、続く7曲目「Quilombo Ex Optico」はまったく異なるスタイルでした。


ブラジル・サンパウロでの生楽器によるライブ録音――との背景だけでも意表を突かれますが、さらに、ギターでゲスト参加しているのがパンク・ロックの大物 Arto Lindsay というのも驚きです。ブラジルのパーカッションや、多数のブラジル人アーティスト(名前から推定)の参加にも関わらず、ブラジル音楽的テイストは希薄で、パンキッシュなサウンドです。


11曲目「Peace in Zaire」は、このアルバムの中で僕が最も好きな曲です。8分の長い作品です。淡々としたパーカッションとスクラッチの音が目立つ、ゆったりとしたインストゥルメンタルから始まります。さらに、2分過ぎからノン・ビートになり、女声ボーカル(Grisha Coleman)のダークな響きのスキャットと、ノイジーな持続音が漂い始めます。そして、スキャットはそのままに、3分過ぎからふたたび快速のブレイク・ビーツが加わります。


曲の終盤となるに従い、スクラッチは激しく、サウンドはよりノイジーになっていきます。妖し気な、陶然とさせるサウンドです。


13曲目「Degree Zero」も、少し変わった曲です。ドラムはブレイク・ビーツではなく、ほとんど加工・編集されていない、ゆったりとしたリズムのサンプルです。そこに和琴や尺八の断片的なサンプルと、Killah Priest のラップが重なります。不思議な雰囲気の1曲といっていいでしょう。


14曲目「Roman Planetaire」は、ダブ(レゲエから派生した音楽スタイル)のインスト曲です。サックスの響きがエキセントリックです。


そして、最後の曲「Twilight Fugue」でも僕は意表を突かれました。アフリカの民族楽器カリンバ(親指ピアノ)をバックに、女声ボーカル(Mariko Mori)が短い日本語の歌を唄います。


DJ Spooky That Subliminal Kid / Riddim Warfare(1998年)


1:Pandemonium

2:Synchronic Disjecta

3:Object Unknown

4:It’s Nice Not to Lose Your Mind

5:Dialectical Transformation Ⅰ(A Parallax View) *

6:Post-Human Sophistry

7:Quilombo Ex Optico

8:Rekonstruction

9:Scientifik

10:A Conversation *

11:Peace In Zaire

12:Dialectical Transformation Ⅱ(Du Nouveau Monde)

13:Degree Zero

14:Roman Planetaire

15:Bass Digitalis *

16:Polyphony of One

17:Riddim Warfare

18:The Nerd *

19:Dialectical Transformation Ⅲ(Soylent Green) *

20:Theme of the Drunken Sailor

21:Twilight Fugue


CDとLP、配信があります。LPは2枚組で、5、10、15、18、19は入っていません。1~4がA面、6~9がB面、11~14がC面、16、17、20、21がD面です。

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