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秋本奈緒美 / Rolling 80’s ~清水靖晃による過激な「パンク・ジャズ」


発売35年目に初めて聴く


「Rolling 80’s」は、ジャズ・シンガー秋本奈緒美のデビューアルバムです。全曲、ジャズの定番というべきスタンダードナンバーで、清水靖晃のアレンジによるものです。


1982年に発売されたこのアルバムを僕は2017年になって初めて聴きました。奇抜で斬新なそのサウンドにまさに衝撃を受けました。そして、深く後悔させられました。


「35年経ったいま聴いてもこれだけ衝撃的なアルバムなのだ。発売された当時に聴いていたらどれだけ驚いたことだろう…」


ちなみに、発売時のレコードの帯には、「ティーン・エイジ・ロマンティック・ジャズ」「ジャズってスポーツみたいに軽くスイングするものよ」と、キャッチが綴られています。


ですが、中身はこれらの言葉から連想されるような、おしゃれで軽いものではまったくありません。清水靖晃が繰り出すサウンドは、例えるならパンク・ジャズともいえる過激なものです。



パンクを感じる理由


清水靖晃は、軽快なフュージョンでデビューしたサクソフォニストです。それがこの頃には、ニューウェーブ、プログレッシブ・ロック、ダブなどを主体とした革新的な作品を数多く発表していました。


1曲目は「イントロダクション」です。ライブの歓声に続く英語の男声アナウンスで始まります。その後は、2曲目以降の断片によるコラージュとなる構成です。


2曲目「バイ・バイ・ブラックバード」では、細かく素早い打ち込みのようなシンセサイザーのフレーズと、シンプルかつセカセカしたドラムが特徴的です。さらに、そこに乗るブラスは、スウィング・ジャズ的古めかしさと、せわしないエキセントリックさが同居したような音になっています。


3曲目「霧の日」では、1拍ごとに鳴るギターの和音が、古いレコードを聴いているような雰囲気を醸し出します。そこに、シンプルかつ不自然なほど目立つバス・ドラムと、スネア・ドラムが奇妙な効果を加えています。


4曲目「雨に唄えば」は、サルサなどラテン音楽っぽいブラスの鳴り交わしに、細かく乾いたギターのアルペジオが重なる曲です。4拍ごとに鳴るバス・ドラムが、3曲目同様、不自然なほど目立ちます。反面、シンバルや他のパーカッションは背後でわずかに鳴るだけです。


なお、この3、4曲目に現れるような音のアンバランスな面こそが、僕がこのアルバムに「パンク」を感じる主な理由でしょう。ですが、もちろんそれだけではないようです。



斬新で奇妙なスタンダード・ジャズ


5曲目「フーズ・ソリー・ナウ」は、ブラスやコーラスに、スウィング・ジャズ的なギターによるシンプルなコード弾きが重なる、古い雰囲気を醸し出す曲です。音のバランスはスタンダードなものに思えますが、一方で、どこかユーモラスな面や、退廃的な部分も感じられます。これには、アレンジやエフェクトのほか、日本語の訳詞(亜蘭知子)など、さまざまな要因が介在していそうです。


6曲目「シカゴ」は、とりわけ奇妙な曲になっています。シンバルの音がドラムマシーンのように細かいパターンを正確に繰り返す一方、スネアドラムの打音はアンバランスなほど大きくなっています。華やかなブラスには、古いラジオから流れ出すようなエフェクトも加えられています。背後では、別のブラス・パートが、同じ和音をリズム楽器のようにかすかに繰り返し続けます。


8曲目、「誰かが私を愛してる」は、スウィング以前のデキシーランド・ジャズの雰囲気をもつ曲ですが、4拍ごとに打たれるバスドラムが、やはりパンクを思わせます。


さらにその他を加え全10曲です。こうした斬新で奇抜、かつ奇妙なスタンダード・ジャズが並ぶこのアルバムに、僕は繰り返しますが大きな衝撃を受けました。



中古LPも探して購入


2017年――、とあるショップのウェブサイトで、僕は、かつて若い頃にレコード店の棚で見かけたこのアルバムが、高音質CDとなって再発売されているのを見つけました。そこには僕の好きな名前もありました。清水靖晃です。


「そういえば、この作品のアレンジは彼か」と、思い出すのとともに、早速僕はこれを注文してみたのです。


ほどなく、届いたCDだけでは飽き足らず、中古のLPまで探して買ってしまうほどのショックを受たという顛末です。



曲目リストとリリース状況


秋本奈緒美(Naomi Akimoto)/ Rolling 80’s(1982年)


1:イントロダクション

2:バイ・バイ・ブラックバード(Bye Bye Black Bird)

3:霧の日(A Foggy Day)

4:雨に唄えば(Singin’ in the Rain)

5:フーズ・ソリー・ナウ(Who’s Sorry Now)

6:シカゴ(Chicago)

7:二人でお茶を(Tea for Two)

8:誰かが私を愛してる(Somebody Loves Me)

9:チーク・トウ・チーク(Cheek to Cheek)

10:ホワットル・アイ・ドウ(What’ll I Do)


2~10はジャズのスタンダード・ナンバーで()内が原題です。全曲歌詞は英語ですが、日本語(一部英語のまま)で唄われています。訳詞は TUBE の楽曲などで著名な作詞家、亜蘭知子です。本文に記載したとおり、アレンジは全て清水靖晃で、彼を中心としたバンド、マライアのメンバーが演奏しています。


CDとレコード、配信があります。レコードは1~5がA面、6~10がB面です。

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