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Nosaj Thing / Home ~ノサッジ・シングの特異な? 名作


メランコリックで抒情的なサウンド。どこか冷たく、霧がかかったような不明瞭な質感。繊細で悲しげなメロディー…


Nosaj Thing(ノサッジ・シング=Jason Chung=ジェイソン・チャンのアーティストネーム)による2012年のセカンドアルバム「Home」は、そんな特徴をもったビート・ミュージック作品です。


僕がそれまでに聴いて来たクラブ系のアルバムに、似たテイストの作品は皆無でした。「Home」の各曲には、はっきりとしたビートは存在しますが、とてもダンスフロア向けの音楽には聴こえません。そのため、当初は驚きとともに戸惑いすら感じました。ですが、やがてその魅力に引き込まれていきました。


このアルバムに興味が湧いたきっかけは、「LAビート」「韓国系アメリカ人」という Nosaj Thing がもつ2つの属性でした。なお、同じ言葉が当てはまるアーティストに TOKiMONSTA がいます。彼女のアルバム「Midnight Menu」('10)を僕はこの時すでに聴いていましたが、こちらはメロディアスで柔らかなサウンドの作品です。


そこで「Home」にも、僕は当初似たサウンドを期待していました。しかし、それはよい意味で裏切られました。実際、聴いてみると「Home」は「Midnight Menu」とはまたひと味違った作品でした。


1曲目「Home」は、かすかな音量の男声ボーカルのような音で始まります。例えるならば「静かな咆哮」といった感じでしょうか。さらに、ゆっくりとしたビートとストリングス系の低音のシンセサイザー、シークエンスがそれに続きます。


この曲で強い印象を受けたのは、音のエフェクトです。冒頭に記したとおり、不明瞭な響きで、深いエコーがかかっています。ややひんやりとしたものを感じます。こうした響きは、この曲だけでなく、アルバム全てに共通しています。


2曲目「Eclipse/Blue」は、鐘の音のような連打に導かれて、ビートとシンセのリフ、女声の唄が始まる展開となっています。ニューヨークのアートロックバンド・Blonde Redhead のリード・ボーカル Kazu Makino によるボーカルです。そのメロディーと声の響きが、僕の心に強い衝撃を残しました。陳腐な表現ですが、胸が締めつけられるような「切なさ」を感じたのです。それは、僕がその当時までに聴いたすべての「唄」において、出会ったことのないくらいのものでした。いわゆるクラブ系の音楽でこうした瞬間に巡り合うとは、僕はまったく予想していませんでした。不意打ちを食らった感じでした。


3曲目「Safe」は、ゆったりとしたドラムと、音数の少ない短いメロディー、ノイズといったさまざまな音が組み合わされたミニマルな展開の曲です。


さらに、3曲目以降もミニマルな作品が続きます。4曲目「Glue」では、控え目に挿入される女声ボーカルのような音が特に印象に残ります。


5曲目「Distance」では、背後に小さな音量でたなびいている低音のノイズや、リバース(逆再生)をかけた音が効果的です。アバンギャルドな雰囲気をも醸し出しています。


少し飛んで、9曲目「Try」は2曲目に続いての唄の入る曲です。チル・ウェイブなどさまざまなスタイルで活躍するアーティスト Toro Y Moi のボーカルです。


なお、ここまでメロディーや音の響きについての印象を主に述べてきましたが、一方で、このアルバムの各曲にははっきりとしたビートが存在します。LAビートらしい、ヒップホップ的なドラムパターンです。


ですが、エフェクトによってそのアタック感が弱められていることや、テンポがゆったりしていることなどにより、クラブ・トラック的な強烈さは感じられません。踊るよりも、聴くことに向いているビートといっていいでしょう。


その点、Nosaj Thing 自身がこう述べています。


「クラブでDJにプレイしてもらうものというよりも、自分が普段車に乗っている時とか、ヘッドホンを通して聴きたいと思うような曲を作りたかった」(日本盤CDの解説より)


そこでいえば、彼のこのあとのアルバム「Fated」('15)や「Parallels」('17)は、いかにもLAビートといった感じのクラブ・トラックが主体の作品です。'09年のファーストアルバム「Drift」も同様です。なお、この3枚については、僕はどれも好きなのでよく聴いています。


とどのつまり「Home」は、Nosaj Thing のキャリアの中でも、実は特異な作品といえるようです。



Nosaj Thing / Home(2012年)


1:HOME

2:ECLIPSE/BLUE FEAT. KAZU MAKINO

3:SAFE

4:GLUE

5:DISTANCE

6:TELL

7:SNAP

8:PRELUDE

9:TRY FEAT. TORO Y MOI

10:PHASE Ⅲ

11:LIGHE #3

12:5555 *


CDと2枚組LP、配信があります。12は日本盤CDのみのボーナストラックです。LPは1、2がA面、3、4、5がB面、6、7、8がC面、9、10、11がD面です。

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