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Caetano Veloso / CAETANO(邦題:フェラ・フェリーダ)~さあ、食べよう、聴こう



Caetano Veloso(カエターノ・ヴェローゾ)のアルバム「CAETANO(邦題:フェラ・フェリーダ)」は、独特な、ときに前衛的で不思議な印象のさまざまなサウンドが連続する傑作です。1987年の作品です。

1曲目は「JOSÉ」では、繊細なボーカルや、唄うようなベース・ラインに聴き入っているところに、突然、ジャン!とオーケストラ・ヒットが入ります。

中盤からは、バスドラとシンバルだけのシンプルなドラムや、パーカッションが加わります。リズムを強調するのではなく、アクセント的な配置です。

なお、オーケストラ・ヒットは、当時、すでに当たり前になっていた手法です。
それでも、ロックやファンクでもない、この曲のような静かな調べの中で鳴らされると、何やらゾクッとする感じを覚えます。

2曲目「EU SOU NEGUINHA?」は、一転して、ドラムが前面に出る曲です。重いバス・ドラムとギターによる、レゲエを思わせるリズムの上で、Caetano が張りのある声で唄います。終盤、パーカッションとコーラスが加わるリフが、独特の熱気を作り出しています。

以上、1、2曲目には、聴いていて不思議な空気を感じる人が多いと思います。

僕も、3曲目の「NOITE DE HOTEL」で、やっと「普通になった…」との印象を当時受けたものです。

4曲目「DEPOIS QUE O ILÊ PASSAR」では、ふたたびタンバリンなどのパーカッションとドラムが前面に出てきます。この曲は打楽器が主役です。それ以外の楽器は使われていません。Caetano のボーカルも、引き気味に、小さく抑えられています。

なお、ドラムは鳴っていても、このアルバムにはドラマーのクレジットはありません。音はすべて打ち込みによるもののようです。

5曲目「VALSA DE UMA CIDADE」は、アコースティック・ギターでの弾き語りです。ギターは3台使われているため、広がりのある音になっています。

6曲目「“VAMO” COMER」は、もっとも明るい印象を受ける曲です。タイトルの日本語訳も「さあ 食べよう」となっています。

ところが、詞を読んでみると、内容はそうでもありません(國安真奈訳)。

たとえば、「労働党と最右翼の圧力を等式で結ぶのは誰だろうか」といった言葉が並びます。最後には、カッコ書きで「(あるうちにたくさん食べておこう)」と、訳者による注釈(?)も付け加えられています。

ブラジルでは、1960年代末から1970年代にかけて、当時の軍事政権による検閲・弾圧が苛烈でした。Caetano も一時投獄され、イギリスへの亡命を余儀なくされました。

そのためか、彼の唄う詞は難解で、意味のよくわからないものが目立ちます。たまにわかりやすい場合でも、「実は別の意味が込められているのでは…?」といった感じです。

しかしながら、そのような歌詞を Caetano は、あくまでポップ・ミュージックとして、気持ちよく聴かせてくれます。そこには、彼独特の言葉選びや言葉使いも関係しているようです。日本盤で解説を書いている中原仁は、これを「錬語術」と呼んでいます。

声も魅力的です。どこか中性的な響きがあり、繊細で張りつめていながらも、明るさを感じさせます。

短い語りのような7曲目「CANTO DO BOLA DE NEVE」に続く、8曲目「GIULIETTA MASINA」は、2曲目と同じく、バス・ドラムとギターのリズムが際立つ曲です。背後で鳴らされるサックスやエレキ・ギターの音も耳に残ります。

さらに、ベースの爪弾くような音が印象的な9曲目「O CIÚME」、アルバムの邦題にもなった10曲目「FERA FERIDA」が続きます。これらは、クライマックスにふさわしい名曲といえる2作品です。

そのあとは、パーカッションとボーカルだけの11曲目「IA OMIM BUM」で、静かに幕が下ろされるといったかたちです。

僕は、このアルバムのCDとLPの両方を持っています。先に買ったのはCDです。いわゆるジャケ買いをしました。海辺を背景にした、写真にも絵にも見えるジャケットが、いまの表現でいえばとても「クール」だったからです。

もっとも、僕の買ったCDの場合、表側に「CAETANO」と、目立つ文字でアルバム名が記されています。

ところが、これがLPになるともっとクールで、ジャケットの表にも、裏にも、アーティスト名やアルバム名・曲名の記載がまったく見当たりません。

表・裏がひと続きのパノラマになっていて、これ自体がまるで一個のアート作品のようです。

(ただし、よく見ると、渚に立つ人の背中に「CAETANO」とあります。アルバム名は、実はここに覗いているという仕掛けです)

そんな、アーティスティックかつ洒落の効いたジャケットも、この作品の魅力のひとつです。


Caetano Veloso / CAETANO(邦題:フェラ・フェリーダ)(1987年)

1:JOSÉ
2:EU SOU NEGUINHA?
3:NOITE DE HOTEL
4:DEPOIS QUE O ILÊ PASSAR
5:VALSA DE UMA CIDADE
6:”VAMO" COMER
7:CANTO DO BOLA DE NEVE
8:GIULIETTA MASINA
9:O CIÚME
10:FERA FERIDA
11:IA OMIM BUM

LPでは、1~5がA面、6~11がB面に収録されています。写真はLPジャケットのものです。

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