「朝から聴いているストラヴィンスキー」―――これは、ある歌詞の一節です。
加藤和彦の1983年のアルバム「あの頃、マリー・ローランサン」の中に、「愛したのが百年目」という曲があります。その歌詞です(作詞:安井かずみ)。
この中に登場する「気まぐれな彼女」は、風変りな趣味を持っています。
それが、朝からストラヴィンスキーを聴くこと、と、いうわけです。
当時、僕がよく読んでいたジャズ系の雑誌に、ストラヴィンスキーがしばしば採り上げられていました。前衛的で過激、難解な音楽として扱われています。
特殊な技法を解説した記事もありました。たとえば、近い音階の二音を同時に鳴らし、わざと音を濁らせるといったものです。
前衛、過激、濁らせる…。たしかに、朝から聴く音楽ではないようです。
一方、ジャズミュージシャンや、ロックミュージシャンのインタビューを読むと、こちらでもストラヴィンスキーはしばしば言及されていました。
あの Miles Davis も、若いバンドメンバーに聴かせていたとのこと。
そこで、僕もいよいよ聴いてみることにしました。まずは「火の鳥」です。
三大バレエ音楽と呼ばれるストラヴィンスキーの代表作、「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」のうちのひとつです。
地の底から鳴りひびくような低音から始まり、終盤は壮麗かつ豪華な展開となります。50分前後(指揮によって時間が異なります)にわたるドラマティックな構成です。
聴いたあとは、大作映画を見たような、心地よい疲労感を感じました。
僕はそれまで、クラシックをほとんど聴いてはいませんでした。ですが、すぐに惹きつけられました。
しかし、予想していた「過激」「前衛」は、この「火の鳥」からは感じられませんでした。
「朝から聴いてもおかしくない音楽では?」
そんなイメージでした。
そこで、身構えることもなく、気楽に、次の「春の祭典」を聴いてみました。こちらは過激でした。想定外の音でした。
まず、奇妙で妖しげなメロディーが小さく奏でられます。オーボエによるものです。
その後、バラバラに各楽器が鳴り始めます。演奏開始前のオーケストラの音合わせのようで、どこか不安な、落ち着かない気持ちにさせられます。
次には低音が強打され始めます。不気味です。
やっと腑に落ちました。なるほど、ストラヴィンスキーは「過激」で「前衛的」です。
もっとも、以上はほんの序の口に過ぎません。
第1部の終盤では、ティンパニーが、3拍にひとつ、ドン、ドンと打たれる上で、4拍子を基本に管楽器・弦楽器が鳴らされます。
最後はつんざくように管楽器が鳴り響きます。
「悪魔的」といっていい高揚感が醸し出されます。
その妖しい魅力に、僕は訳もわからないまま取り込まれてしまいました。
なお、メロディーは複雑で断片的です。口で追えるようなものではありません。しかし、気がつくと、口が勝手に口ずさもうとしています。
体もそうです。勝手に動き出します。
ただし、それは、揺れるとか、リズムに合わせてというものではなく、重たく下から突き動かされているような感覚でした。
この「春の祭典」は、初演時、音楽史上最大のスキャンダルともいわれる騒動を引き起こしています。1913年のことです。
その様子をCDの解説から引用します。
「原始的な強烈なリズムと、不協和音の連続するこの音楽は、パリの聴衆に強いショックを与えた。野蛮な足踏みと、耳をつんざくような口笛と、破れ鐘のような怒号は、しばしばオーケストラの音を消しつぶした。とうとうたまりかねた指揮者のモントゥーは、聴衆に向かって、どうかおしまいまで聴いてください、と叫んだという」
大変な騒ぎだったようです。
ちなみに、この事件は、山岸涼子の劇画「牧神の午後」の中にも印象的に描かれています。ニジンスキーの生涯を描いた作品です。
天才ダンサーにして振付師でもあるニジンスキーによる、これまた前衛的な振付とあいまっての「史上最大のスキャンダル」だったようです。
なにしろ、1980年代の音楽環境の中で聴いていても、過激に感じられた作品です。
1913年当時のパリの聴衆がどう思ったかは、想像するまでもないでしょう。
クラシックファンに、好きな曲・嫌いな曲でアンケートを募ると、「好きと嫌い、両方のTOP3に『春の祭典』が入る」
そんな話も聞きました。
僕は、もちろん好きな方のTOP3にこの曲を掲げます。
イーゴリ・ストラヴィンスキー / バレエ《春の祭典》 Igor Stravinsky / Le sacre du printemps, ballet
第1部:大地礼賛 Première partie: L'Adoration de la terre
序奏(レント) Introduction(Lento)
春のきざし―乙女たちの踊り Les Augures printaniers―Danses des adolescentes
誘拐 Jeu su rapt
春の踊り Rondes printamières
敵の都の人々の戯れ Jeux des citiés rivals
賢者の行列 Cortège du sage
大地へのくちづけ Adoration de la terre―Le sage
大地の踊り Danse de la terre
第2部:いけにえ Seconde partie:Le Sacrifice
序奏(ラルゴ) Introduction(Largo)
乙女たちの神秘なつどい Cercles mystérieux des adolescentes
いけにえの賛美 Glorification de l'Élue
祖先の呼び出し Evocation des ancêtres
祖先の儀式 Action rituelle des ancêtres
いけにえの踊り Danse sacrale. L'Élue
写真は、サー・ゲオルグ・ショルティ(Sir George Solti)指揮・シカゴ交響楽団(Chicago Symphony Orchestra)演奏の「春の祭典」が収められたCDです。ムソルグスキー作曲・ラベル編曲の「展覧会の絵」とカップリングされています。僕が最初に聴いた、いまも一番好きなバージョンです。
なお、「春の祭典」は、初演の1913年以降、マイナーチェンジを繰り返しています。このCDに収録されているのは1947年編曲版です。ただし、僕はほかにも2バージョン、年次がクレジットされていないものを聴いていますが、それらとの違いは特に感じられませんでした。