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Yoshinori Sunahara(砂原良徳)/ Crossover ~テクノだけどビフォー・テクノを感じる


明瞭で短いメロディーの繰り返し。メカニカルな質感のドラム。正確に反復し続けるシークエンス…


いかにも「エレクトリック」といった感じのシンセサイザー、効果的に織り込まれる生楽器の音…


そんな、テクノ・ポップの特徴的な要素を砂原良徳(すなはらよしのり)のファーストアルバム「Crossover」を聴いたとき、僕は強く感じました。


もっとも、このアルバムは、ジャンルとしてはテクノ・ポップではなく、「テクノ」に位置づけられる作品です。レコード・ノイズやサンプリングも多用された'90年代以降のサウンドには違いありません。


ですが、僕は聴いていて'80年前後のYMOやDEVOの音楽を思い出し、つい懐かしい気分にさせられてしまうのです。


最初の曲からしてそうです。タイトルは「M.F.R.F.M.(MUSIC FOR ROBOT FOR MUSIC)」です。直訳すると「音楽ロボットのための音楽」でしょうか?


チリチリとしたノイズに、盆踊りのお囃子かとも思えるようなサンプリングが重なります。ドラムがフェイド・インしてきます。エコーがかかった硬質なフィル・イン。さまざまな音色のシンセのリフが交錯する中に、英語の男声によるセリフ、もしくはアナウンスが流れます。ホルンのような音(サンプリング?)や、アコースティック・ピアノも加わります。最後は、このピアノによる美しい旋律でフェイド・アウトです。


僕にとっては、YMOのファーストアルバム「Yellow Magic Orchestra」の2曲目「Firecracker」での坂本龍一のピアノを連想させられる曲です。「MUSIC FOR ROBOT FOR MUSIC」のタイトルも、とてもよく似合う作品です。


さらに、このアルバムを聴き進めていくと、テクノ・ポップとは違う要素にも気付かされます。南国音楽的なところです。


3曲目「Whirl Pool」は、女声ボーカルやスティール・ドラムの入る曲です。ボーカルは短く細切れで、全体の音はテクノ的です。しかし、なぜか僕の瞼にはハワイの風景が浮かんで来ます。


4曲目「Silver Ripples」でも、テクノ・サウンドの中、エレクトリック・ギターやパーカッションが南洋的な雰囲気を醸し出しています。冒頭から鳴るシークエンス音も、僕には美しい南国の鳥の声に聴こえます。


一方、7曲目「Muddy Water」は、海辺ではなく山の南国です。プリミティブで力強いジャングル・ビートが印象的です。


そのためか、このアルバムを聴き始めた頃、この曲が耳に入ると、僕の頭の中ではゴリラが密林を歩く姿がいつも浮かんだものです。当時、野生のゴリラに関する本をたくさん読んでいたせいもあるでしょう。


さらに、そのほか数曲でも、濃淡はありますが南国的イメージが通底します。


そこで、「テクノ・ポップ」「南国」…といえば?


僕の場合、即、出てくるのがYMOの細野晴臣です。


その名も「トロピカル3部作」と呼ばれる作品群(「TROPICAL DANDY」「泰安洋行」「はらいそ」)だけではありません。のちのテクノ・ポップ的作品「COCHIN MOON」や、さきほどのYMOのファーストアルバムにも、南国的な要素が強く感じられます。


とはいえ、砂原良徳の「Crossover」のサウンドが、具体的にこれら細野作品と共通するという訳ではありません。ですが、僕の感覚では、両者は深いところでしっかりと繋がっています。


テクノ・ポップや、南国以外のイメージを喚起させる曲もあります。


8曲目「Elegant World」がそうです。ゆったりとしたストリングス・シンセが、飛行機の窓から雲海を眺めているようなイメージを醸し出します。


12曲目「M.F.R.F.M.(ARMED)」も同様です。1曲目のリミックスですが、子どもの頃に絵本で見たような未来図、いわゆるレトロ・フューチャー的な雰囲気を感じる作品です。テクノ・ポップ以上に未来的なイメージが呼び起こされるこの曲は、ロボットを模した声で終わる機械的なサウンドが主体です。


ともあれ、繰り返しますが、聴いているだけで、


ハワイ… ジャングル… 雲海… 

ロボット… 空中鉄道… すなわち小松崎茂画伯の描くような未来的な画像…


次々と目に浮かんでくるこの「Crossover」という作品、主なその理由は、もちろん音にありそうです。視覚的なイメージを喚起するようなサウンドをつねに繰り出してきます。


そうしたわけで「Crossover」は、僕にとっては、たしかに'90年代のテクノではあるけれど、テクノ以前の時代がとても強く感じられる作品です。


僕だけでなく、レトロな未来の風景や、トロピカルな幻想、そうした世界に誘(いざな)われる人が、多分少なくない気がします。



Yoshinori Sunahara(砂原良徳)/ Crossover(1995年)


1:M.F.R.F.M.(MUSIC FOR ROBOT FOR MUSIC)

2:Stinger Stingray

3:Whirl Pool

4:Silver Ripples

5:THE LONG VOWL

6:HURALOOP

7:Muddy Water

8:Elegant World

9:Clouds Across The Moon

10:Overtime Work

11:HURALOOP(AUDIO ACTIVE REMIX)

12:M.F.R.F.M.(ARMED)


上記はCDの曲目リストです。LPもありますが、以下のとおり7曲収録です。ただし最後のElegant World は、CDより4分ほど長いバージョンです。


A1:M.F.R.F.M.(MUSIC FOR ROBOT FOR MUSIC)

A2:WHIRL POOL

A3:SILVER RIPPLES

A4:CLOUDS ACROSS THE MOON

B1:HURALOOP

B2:MUDDY WATER

B3:ELEGANT WORLD


また、下記のとおりCDの10、12を含む4曲入りのレコードもあります。


yoshinori sunahara / music for robot for music


A1:m.f.r.f.m.(lp version)

A2:m.f.r.f.m.(armed)

B1:m.f.r.f.m.(bounce 2 mix)

B2:overtime work

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