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SLY & THE FAMILY STONE / FRESH ~最近秘密を知りました


Sly & The Family Stone(スライ&ザ・ファミリー・ストーン)の1973年のアルバム「Fresh」を最初に聴いた時、感じたのはある種の違和感です。サウンドが暗く不鮮明で、くぐもった感じがしたのです。


「録音状態が悪かったのかな?」と、思ったくらいでした。


時期としては'80年代の後半、輸入盤のCDだったと記憶しています。僕はその当時まで、ディスコ系の音楽や、テクノ・ポップ、フュージョンをよく聴いていました。違和感の原因のひとつはそれでしょう。これらのジャンルの作品は、音質もサウンドも、クリアで明快なものが主流でした。


もうひとつの理由は、彼らのそれまでの作品とのギャップです。


僕が最初に Sly & The Family Stone を聴いたのはその数年前のこと。'70年のベスト盤「Greatest Hits」です。


ブラスのリズミックなリフと高揚したボーカルの「I Want To Take You Higher」や、強く跳ねる(元祖?)チョッパー・ベースが前面に出た「Thank You Falettinme Be Mice Elf Agin」など、明快で強烈、ポジティブなイメージの曲が並ぶアルバムでした。


そのあと、'71年の「There's a Riot Goin' On(暴動)」も聴きました。これを転機として、Sly & The Family Stone のサウンドが一変したといわれている作品です。


たしかに、同アルバムでは「Greatest Hits」に比べれば、ずっと落ち着いていてシリアスな印象の曲が並んでいます。しかし、それでも「Fresh」のような暗さや不鮮明さは感じられませんでした。


とはいえ、違和感を持ちながらも「Fresh」を聴かなくなったわけではありません。その逆です。どこか引っかかる魅力があって、僕はしょっちゅうこれを聴いていたのです。


特に気になったのが、1曲目「In Time」と、2曲目「If You Want Me to Stay」です。


「In Time」は、リズム・ボックスにシンクロしたドラムから始まります。クラビネットのリフに、細切れのオルガンやギターの和音が加わります。


突き刺さるような高音は目立ちません。その代わり、なにかくぐもった感じが、曲の初めから漂ってくるのです。


ブラスも加わりますが、前面には出ず、右チャンネルだけで小さく鳴っています。「Greatest Hits」の曲にあるような、派手で存在感のあるブラスではありません。


対して、目立っているのはベースの音です。それも派手なチョッパー・ベースではなく、やはりくぐもった感じの音なのです。


次いで、2曲目「If You Want Me to Stay」では、さらに印象の強いベースが前面に出てきます。クラブ系の4つ打ちのバス・ドラムのように、1拍ずつ弾く単純なラインです。


ただし、それでも拍ごとに微妙な強弱があったり、音を少し伸ばしたり短く切ったり、変化はつけられています。心なしかもたついている=わずかに遅れて音が出てくる感じもします。


「In Time」と同じようにブラスも加わりますが、さらに小さい音で目立ちません。そして同様にくぐもった音になっています。


つまり、僕が違和感を抱きながらも「Fresh」に惹きつけられた最大の理由は、多分、この特徴的なベース・ラインにあるのです。


それまで、ソウル系、ファンク系の音楽を語る文章で、僕は「ノリ」という言葉によく出くわしました。


「なるほど、これがそのノリなんだな」と、その時思ったものです。


3曲目以降も、同じような肌ざわりの曲が続いていきます。


6曲目(B1)の「Skin I'm In」では、前面に出てきているブラスが、終盤では執拗にループしますが、くぐもりの印象は変わりません。モノラル録音のため、さらにそれが増しています。


有名な「ケ・セラ・セラ」のカバー(9曲目、B4)も、同様に気だるく響きます。


ちなみに今回、「Fresh」のことを書くにあたって、いろいろな人の書いたブログを見ていたところ、興味深い事実を知りました。


このアルバムには、オリジナル以外に、ミックス違いのもうひとつの音源があるということ。


そのミックス違いの音源が、なぜか'91年に日本国内で初めてこのアルバムがCD化されたときに、採用されてしまったこと。


しかも、その「別音源」こそが、実は当初の音源なのだということ。


しかし、Sly は、この当初の音源を気に入らず、録音し直したものが、'73年に発売されたのだそう。


なお、僕はこの当初版('91年国内盤)を聴いたことはありませんが、聴いた方によると、1曲目「In Time」のみが、'73年版=オリジナルと同じ。ほかは違う仕上がりになっているそうです。


そして、なんと、「In Time」以外の曲では、僕が惹きつけられた音の「くぐもり」は感じられないとのこと…!


つまり、僕は、Sly が録り直しをしてまでこだわった結果に、見事魅せられたということになるようです。



SLY & THE FAMILY STONE / FRESH(1973年)


1:IN TIME

2:IF YOU WANT ME TO STAY

3:LET ME HAVE IT ALL

4:FRISKY

5:THANKFULL N'THOUGHT FUL

6:SKIN I'M IN

7:I DON'T KNOW(SATISFACTION)

8:KEEP ON DANCIN'

9:QUE SERASERA(WHATEVER WILL BE, WILL BE)

10:IF IT WERE LEFT UP TO ME

11:BABIES MAKIN' BABY


Sly & The Family Stone は、Sly=Sylvester Stewart を中心とした、黒人と白人、男女が同居したバンドです。「Fresh」では、カバー曲の9曲目以外は、すべて Sly の作詞作曲です。


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