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SUSUMU YOKOTA(ススム・ヨコタ)/ ZERO ~買い漁った中の珠玉の1枚



アルバム「ZERO」の作者、SUSUMU YOKOTA は、1992年にテクノの本場ドイツのレーベルからデビューした人です。日本の音楽シーンには、逆輸入のかたちで入って来ました。

生涯を通じ、おそらく35枚以上のアルバム、その他を合わせると70枚前後の作品をリリースしている多作のアーティストです。2015年に54歳で逝去しています。

SUSUMU YOKOTA は、さまざまなアーティスト・ネームを使い別けていたことでも知られています。

僕の手元にあるだけでも、EBI PRISM RINGO STEVIA ANIMA-MUNDI 246 が、ひろえます。

一時期、僕はこうした変名を音楽雑誌やレコード店、ジャケットの裏面などに探し、作品を買い漁り続けました。

結果、どれを聴いても、ひとつとして退屈させるものはありませんでした。名前だけでなく、サウンドも実に多彩でした。

その中のお気に入りのひとつが、2000年の「ZERO」です。

まずは、1曲目「Go Ahead」です。

イントロは、かすかなハウリングのような高音に、トライアングルが重なり、そこにやわらかな音色のシンセサイザー、ドラム、ベースが加わるかたちで始まります。

バス・ドラムやベースによる力強い低音、男声のサンプリング・ヴォイスもリズミカルに絡んできます。

美しく澄んだ響きに、引き込まれそうな感覚を覚える作品です。

2曲目「Fake Funk」の冒頭には、僕がよく知る音がサンプリングされていました。

George Duke の「A Brazilian Love Affair」というアルバム(記事がこちらにあります)に収められている音です。冒頭の印象的なチョッパー・ベースがサンプリングされています。

SUSUMU YOKOTA もこのアルバムを聴いているんだな、と、当時とてもうれしくなったものです。

続く3曲目は、1977年のディスコ・クラシック「Could Heaven Ever Be Like This」のカバーです。女声ヴォーカルによるものです。

「ZERO」の中では一番派手な曲ですが、浮き上がることなく、全体に溶けこんでいます。

4曲目「Hallelujah」は、短いインタルード的な作品です。

続く5曲目「Life Up」は、ヴォイス・サンプリングをはじめ、多数のミニマルなフレーズの重なりで構成されています。

さらにこのあとも、全12曲・53分にわたり、ダンサブルな曲が最後まで続きます。

テンポは、全曲BPM120台で統一されていて、曲間には空きがほとんどありません(CDの場合です)。

バス・ドラムが、重たく強いアタックでビートを刻んでいきます。

ヴォーカルなど、サンプリングされた素材も、グルーヴを加速させるように巧みに配置されています。

クラブでのDJプレイや、MIX-CDを聴いているような感覚です。

とはいえ、僕が思うに、このアルバムは、クラブ向けの踊るためのものといったくくりには決して収まりません。

聴かせる作品でもあります。

なぜなら、音の響きが魅力的です。

柔らかくアコースティックな質感を醸し出す、シンセサイザーやサンプリングの音色。

処理が独特で、深い響きを感じさせるヴォーカル。

各所に「静けさ」すら感じさせる構成。

さらに、歌が入った3曲目と11曲目以外、メロディーは短いフレーズを繰り返すミニマルな展開になっていますが、いわゆるミニマル・テクノ的な、断片的でそぎ落とされた感覚とは違います。

言うなれば、優雅、華麗、といった感じにまとまっています。

この「ZERO」より前、90年代の SUSUMU YOKOTA といえば、主に「四つ打ち」と呼ばれるビートものが中心でした。

ただし、その中身は多彩でした。

ミニマル・テクノ的なもの、「可愛い」と形容したくなるエレクトロニカ、セミの声をサンプリングして編集した曲、強いビートを繰り出すファンキーな作品など、さまざまでした。

加えて、彼は、1998年、クラブ・トラック色の強い「1998」という作品を世に送り出します。続けて「1999」をリリース。「ZERO」は、こうした路線の最後を飾るものとなっています。

一方で、同じ時期、 SUSUMU YOKOTA は、自らのレーベル「skintone」を設立(1998)し、こちらではアンビエント色の濃厚な作品を発表し続けています。

2002年には、メジャーレーベルから「Sound Of Sky」をリリース。リズムこそ四つ打ちですが、生楽器的響きが強い、やはりアンビエントな作品です。

以降、クラブ的な作品はほとんど出さなくなりました。

そうして思うと、「ZERO」は、SUSUMU YOKOTA が、ざっといえばテクノ作家からアンビエント作家へと、自身のサウンドを大きく変えようとしていた生まれ変わりの時期に作られたようにも感じられます。

そのことが、このアルバムから僕が受け取る「音」の魅力にも、つながっているのかもしれません。


SUSUMU YOKOTA / ZERO(2000年)

01:Go Ahead
02:Fake Funk
03:Could Heaven Ever Be Like This
04:Hallelujah
05:Life Up
06:Come On My World
07:Feel My Love
08:Sleepless Life
09:Music
10:Your Body So Beautiful
11:Space Zero
12:Into The Sky

CDのほかにLPがあります。LPでは、ロングバージョンが収録されていて、曲ごとの収録時間が長くなっているのが魅力です。反面、曲間が大きく取られていて、3枚組にもなっているため、MIX-CDのように聴くことはできません。

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