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MEN AT WORK / BUSINESS AS USUAL ~スカスカでシンプルなのが何より魅力


エレキギターのノイジーな音、シャウトする高音のボーカル、メタリックでヘビーなドラム…。僕はこれらに馴染めず、'70年代のロックはほとんど聴いていませんでした。


それでも、'80年代に入ると、こうした要素の少ないソフトな印象を与えるロックが出てくるようになりました。


オーストラリア出身のバンド、MEN AT WORK(メン・アット・ワーク)の音楽もそうです。彼らの最初のアルバムが、'81年の「BUSINESS AS USUAL」(邦題:ワーク・ソングス)です。


この「BUSINESS AS USUAL」と、収録されている「WHO CAN IT BE NOW?」(ノックは夜中に)、さらに「DOWN UNDER」の2曲は、それぞれアルバムとシングルの全米ナンバー1ヒットを記録しています。つまり三冠ということで、彼らはまさに彗星のごとくアメリカの音楽シーンに登場しました。


ちなみに、「WHO CAN IT BE NOW?」と「DOWN UNDER」は、日本でもヒットしました。ラジオをかけっぱなしにしていると、嫌でも耳に入って来る状態でした。僕もこれらに魅せられ、カセットテープに録音し、毎日のように聴いていました。


印象がソフトなほか、素朴でシンプルなところにも惹かれました。僕にとっては、ノイジー&ヘビーの'70年代を飛び越え、'60年代以前のロックにさかのぼった感じのするサウンドでもありました。


1曲目「WHO CAN IT BE NOW?」では、ドラムのイントロに続いて、サクソフォンのフレーズが繰り返されます。歌のサビの部分でも、同じフレーズをボーカルとサックスが交互に繰り返します。とても印象的なパターンで、大ヒットした一番の要因でしょう。


ベースは一拍に一音づつ、ドラムやギターのカッティングもシンプルで、テクニカルな感じはありません。それらリズム陣が、Colin Hey の怒鳴らない伸びやかなボーカルと、Greg Ham の人の声のようなサックスを引き立てています。


シンセサイザーの音もなく、エレキ・ギターもアコースティックな響きに聴こえます。隙間が多く、よい意味でスカスカな感じも特徴的です。


このアルバムが発売された'80年代初め頃といえば、シンセのエレクトリック音、派手めのエレキ・ギター、分厚いブラス・サウンドなどを使用した、空間を埋め尽くすような隙間のないサウンドが全盛でした。


僕自身、それを好んで聴いてもいました。が、それだけに、かえって MEN AT WORK のアコースティックでスカスカな印象のサウンドが、新鮮に感じられました。


3曲目、こちらも大ヒット曲「DOWN UNDER」では、別のテイストも加わります。パーカッションのイントロと、それに続くフルートのメロディーによる南米エスニック的な要素です。


僕は、アンデスの民族音楽「コンドルは飛んでいく」をこれに連想し、さらにフルートの音色にはケーナ(ペルー、ボリビアなどが発祥の縦笛)の響きを感じました。なお、リズムにはレゲエ的なアレンジも施されています。


以上のほかにも、2曲目「I CAN SEE IT IN YOUR EYES」や、4曲目「UNDERGROUND」、7曲目「BE GOOD JOHNNY」、10曲目「DOWN BY THE SEA」といった曲が僕のお気に入りで、やはりカセットテープに落としてよく聴いていました。


そのうち「BE GOOD JOHNNY」は、ギターのリフがフェード・インして始まり、そのあともギターやシンセが比較的目立つ快速な曲です。このアルバムの作品としては、当時のロックの主流に近いサウンドですが、それでも基本的にはスカスカでシンプルです。


さらに、10曲目(オリジナル・アルバムでは最終曲)の「DOWN BY THE SEA」は、ゆったりとしたバラード曲ですが、どこか気だるい感じのメロディーが魅力的です。


ともあれ、とんがっていて、ギラギラした音が目立っていた当時、彼らのサウンドが新鮮に聴こえた人は僕以外にもたくさんいたはずです。だからこその大ヒットだったにちがいありません。


なお、いまあらためてこのアルバムを聴き直してみると、「ソフト」「素朴」「シンプル」「先鋭的なところも難解なところもまったく無い」といった以前からの印象だけではない、もっと洗練され、計算しつくされた要素も感じられます。


そういった、深く作り込まれた音楽を誰にでも普通に聴かせてしまう辺りに、作品の非凡さが示されているといえるのでしょう。



MEN AT WORK / BUSINESS AS USUAL(邦題:ワーク・ソングス)


1:WHO CAN IT BE NOW? / 邦題:ノックは夜中に

2:I CAN SEE IT IN YOUR EYES / イン・ユア・アイズ

3:DOWN UNDER / ダウン・アンダー

4:UNDERGROUND / アンダーグランド

5:HELPRESS AUTOMATON / オートマトン

6:PEOPLE JUST LOVE TO PLAY WITH WORDS / 邦題:言葉あそび

7:BE GOOD JOHNNY / ビー・グッド・ジョニー

8:TOUCHING THE UNTOUCHABLES / タッチング・ザ・アンタッチャブル

9:CATCH A STAR / キャッチ・ア・スター

10:DOWN BY THE SEA / ダウン・バイ・ザ・シー


(Bonus Tracks)

11:CRAZY(NON LP B-SIDE)/ クレイジー

12:UNDERGROUND(LIVE)/ アンダー・グランド(ライブ)

13:WHO CAN IT BE NOW?(LIVE)/ 邦題:ノックは夜中に(ライブ)

14:F-19(NON LP B-SIDE)/ F-19(インストゥルメンタル)


オリジナルアルバムのリリースは、1981年=オーストラリア、1982年=アメリカとみられます。日本では、'83年3~4月にかけてのオリコン洋楽アルバムチャートで、4週連続1位を獲得しています。


LPレコードでは、1~5がA面、6~10がB面に収録されています。LPは2016年と2017年に再発売されています。


オリジナルアルバムのジャケットは、写真のようなモノクロですが、再発売されているLP、CDには、地の色が白ではなく黄色のものがあります。


2003年にリマスターされており、その際に上記の11~14がボーナス・トラックとして収録されました。これ以降、再発売されたCDには、この11~14が収録されている場合が多いようです。(従って、これらはLPには収録されていません)

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