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Yes / 海洋地形学の物語(Tales From Topographic Oceans)~組曲をバラバラに聴く


プログレッシブ・ロック・グループ「Yes(イエス)」の膨大な作品の中で、「Tales From Topographic Oceans(邦題:海洋地形学の物語)」は、人によっては評価が分かれるアルバムのようです。


「冗長」「水増し感アリ」など、1曲づつの長さから来る否定的な声も目立ちます。たしかに、CD2枚組・計81分で4曲という構成は特異です。LPだと1面・1曲になってしまいます。


このアルバムは、リード・ボーカルの Jon Anderson(ジョン・アンダーソン)が、東京滞在中に読んだヒンズー教の経典に触発され、制作された作品です。


そのためか、歌詞は哲学的、あるいは宗教的な内容になっていて、サウンドも壮大な印象です。まさに「太古の砂浜のような場所に岩場、遠くには階段ピラミッド」という、ジャケット・アートのイメージどおりです。


そのため、このアルバムに対しては、「難解」「壮大な目論見だが、成功したとは言い難い」「ロック、ポップというよりクラシック」などの評価も聞こえます。


僕もそうだろうとは思いますが、それでも、僕が聴いた5枚の Yes のアルバムの中で、この「海洋地形学の物語」は、もっともお気に入りの1枚です。


これを初めて聴いたのは、'80年代の後半頃でした。一人暮らしをしていた僕が、たまたま実家に帰った際、そこに兄のCDラジカセがあるのを見つけました。


中にCDが入っているのを見て、プレイボタンを押してみたのが最初です。3曲目の「THE ANCIENT / GIANTS UNDER THE SUN」が、スピーカーから流れ出しました。


曲は、シンバルの荘重な音で始まり、突然、マリンバとドラムによるシークエンスに切り替わります。それが、まるでシークエンサーなどの機材で打ち込んだかのように、細かく正確に反復されます。


ただし、1973年の作品ですから、これは実際の演奏を録音したテープを編集して作り上げたものなのでしょう。ですが、テクノ・ポップやニュー・ウェーブをすでに聴いていた当時の僕の耳にも、新鮮なサウンドに聴こえました。


そこに、エレクトリック・ギターも入ります。ノイジーな音ではなく、クラシックの弦楽器を思わせる、伸びやかで整ったサウンドです。


その後も、短く断片的なコーラスが入るのみのインストのパートが続きます。頻繁に変わるリズム・パターンに、ロック的なビートはほとんど加わりません。ドラムに混じって、仏教で使う団扇太鼓のような音も聴こえてきます。


終盤は、アコースティック・ギターのテクニカルな演奏に続いての弾き語りとなります。


曲全体を通して、プログレッシブな、高度に構成された演奏が展開しますが、ロックのような激しさはなく、耳には静かなイメージだけが残りました。


そこで、僕もこのCDが手元に欲しくなりました。自宅に戻ると、すぐに店に向かいました。


早速購入したあと、まずは4曲目の「RITUL / NOUS SOMMES DU SOLEIL」を聴いてみました。実家で聴いた3曲目の続きです。すると、こちらは一転して激しいパートの目立つ曲でした。


ベースのイントロのあと、しばらくはゆったりとしたメロディが続き、その後、躍動的なリズムが始まります。


どうやら変拍子のようですが、何拍子なのか、何度聴いてもよくわかりません。それでも、ノれるリズムにボーカルも加わり、とても高揚させられる作品です。


ボーカル・パートがしばらく続いたあと、同じリズムに導かれて、クライマックスのインスト・パートとなります。終盤は、ドラムとパーカッションの強烈な連打という展開です。


以上、3、4曲目(CD2枚目)を通し、壮大さやクラシック的なところは感じたものの、冗長だったり退屈だったりといった印象は、僕は持ちませんでした。邦題のとおりの「物語的」な構成に思わず引き込まれ、とくに後半では、高揚感からくる心地よい疲労感さえ覚えさせられました。


そんな気分のまま、次に1枚目を聴いてみました。すると、こちらはどうも冗長な印象です。気分が乗りません。そのため、僕はやがてこの1枚目を聴かなくなりました。3曲目と4曲目を収めた2枚目ばかりを聴くようになりました。


ところが、その後。CDでは手に入らない豪華なジャケット(2つ折り・計4面)に惹かれ、このアルバムのLPも買ってみると、また状況が変わってきました。


冒頭に述べたとおり、LPの場合は1面=1曲ですので、1曲だけ聴いて今日はおしまい、が普通になったのです。


すると、なぜなのか? 面白いもので、敬遠していた1曲目、2曲目が急に輝き出しました。その後は、4曲それぞれをそれぞれなりに楽しめるようになりました。


もちろん「4楽章から成る組曲」といった構成のアルバムですから、制作側の意図としては、通しで聴かせたいところでしょう。


しかし、僕としては、長い1曲それぞれを別のアルバムのように別けて聴くという、僕なりの味わい方を見つけたかたちです。


余談ですが、「海洋地形学の物語」というこのアルバムの邦題には、誤訳との指摘があります。意図した誤訳なのかもしれませんが、たしかに素直に読めば誤訳である気もします。


ですが、それでも、このタイトルは、作品にはとても合っているように思えます。



Yes / Tales From Topographic Oceans(邦題:海洋地形学の物語)(1973年)


A:THE REVEALING SCIENCE OF GOD / DANCE OF THE DAWN(邦題:神の啓示)

B:THE REMEMBERING / HIGH THE MEMORY(邦題:追憶)

C:THE AICIENT / GIANTS UNDER THE SUN(邦題:古代文明)

D:RITUL / NOUS SOMMES DU SOLEIL(邦題:儀式)

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