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JAMAALADEEN TACUMA / SHOW STOPPER ~マインドレベルでのフリー・ジャズと呼びたい


1983年の某日、Jamaaladeen Tacuma(ジャマラディーン・タクマ)のアルバム「Show Stopper」をレコード店で手に取ったあと、それを購入するまでにはかなりのためらいがありました。


まずは、ケバケバしいまでのジャケットデザインです。たじろぐものがありました。


派手な色のスーツやシャツを直線状に切り貼りしたコラージュです。横目でこちらを見据えている Tacuma の手には、ヘッドがなくボディも小さい、ほとんどネックだけのベースギターが抱えられています。このアルバムが発売された当時に流行した Steinberger(スタインバーガー)社のモデルです。


アーティスト名も奇妙です。やたらと母音の重なる綴りが奇抜に見えました。「僕には過激すぎるタイプの音楽を聴かされるのでは」と、恐れを感じる雰囲気でした。


不安はほかにもありました。


「ジャマラディーン・タクマ」の名前を知ったのは、その少し前に、ジャズ・フュージョン系の雑誌の記事を読んでのことでした。


そこには「フリージャズ系のミュージシャンが、ファンクやソウルなどに続々と転向しはじめている」と、書かれていました。


それら、ファンクやソウル等のことをこの記事では”具体音楽”と表現していたように思います。


そうした動きの中にいるひとりとして、Ornette Coleman(オーネット・コールマン)のバンドでベースを弾いていた Tacuma のことが紹介されていたわけです。


Ornette Coleman は、その名も「フリー・ジャズ」と題するアルバムも出しているフリー・ジャズの旗手的存在です。また一方で彼自身、ファンクを採り入れたさきほどの”具体音楽”を作ってもいました。Tacuma はその愛弟子といったところです。


その頃、僕の理解では、フリージャズは「和音、音階、リズムなどの一切の決まり事を排する音楽」ということで、難解かつ楽しめそうもない印象を持っていました。


なので、いくら「具体音楽に転向した」といっても、Jamaaladeen Tacuma の音楽もそういうものではないかと疑いをもっていたのです。


しかし、僕は結局レコードを買ってしまいました。理由はよくわかりません。


そして帰宅すると、身構えつつ盤面に針を落としました。


1曲目「SUNK IN THE FUNK」のイントロは「なんだ、普通のフュージョンじゃないか」といった感じでした。ほっとすると同時に、やや拍子抜けでした。


ワン・ツー、ワン・ツー、の四つ打ちのドラムに、ピューンと、エレクトリック・パーカッションが重なります。ベースとギターとサックスが、シンクロしたユニゾンで複雑なメロディーを奏でます。


メロディーが終わるとギターのソロが始まります。乾いていて歪んだ音色です。同時に Tacuma もベースでソロ的なラインを弾き始めます。そこにサックスも加わります。


ベース、ギター、サックス、3者のソロが同時進行するのですが、込み入った感じはなく、音の隙間が多い、いわばクールな印象です。最後は再びユニゾンのメロディーに戻ります。


聴き終わって、この「SUNK IN THE FUNK」はやはりフュージョンでした。ただ、最初に感じた「普通の」という形容詞は外したくなりました。


「理由ははっきりと言えないが、たしかに普通ではない、カッコいい音楽だな」と、感じさせられました。


以降も、どこか普通ではない曲が続きます。


2曲目の「Rhythm Box」では、ベースとドラムによる軽快なレゲエのリズムが繰り返されます。そこに、ギターとサックスによる、リズムに対しては相当ゆったりしたユニゾンのメロディーが重なります。


なお、1曲目と違い、こちらでは2つの楽器のラインは微妙にズレています。


このラインのずれ、さらにはリズムとメロディーにおいてのテンポとの違いが生む感覚が、パンキッシュで心地良いのがこの曲の特徴です。


まとめると、このアルバムの1曲目から4曲目は、同じ編成によるファンク的フュージョンといえるでしょう。


続く5曲目からは(LPではB面)、ベースのソロ、民族音楽風、超快速のビー・バップなど、さまざまな編成、タイプの曲が続きます。


ちなみに、どの曲を聴いても、僕がそれまでに聴いていた音楽のスタイルと比べ大きく異なる様子は無く、過激なところも感じられませんでした。


ですが、一方でそれとは矛盾しますが、やはりこのアルバムはどこかが普通ではない。刺激的で、鮮烈な印象が残ります。


すなわち、とらえどころのないそれらは、結局のところ Tacuma というアーティストの内側から生じる自由な発想に根差すもののように僕には思えます。


このアルバムは、スタイルではなく、マインドのレベルでの「フリー・ジャズ」といえるのかもしれません。


JAMAALADEEN TACUMA / SHOW STOPPER(1983年)


1:SUNK IN THE FUNK

2:RHYTHM BOX

3:FROM ME TO YOU

4:ANIMATED CREATION

5:THE BIRD OF PARADISE

6:SHOW STOPPER

7:TACUMA SONG

8:FROM THE LAND OF SAND

9:SOPHISTICATED US


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