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Mirko Loko(ミルコ・ロコ) / SEVENTYNINE ~飽きが来ないとの評価に同感


カデンツァ的作品


Mirko Loko(ミルコ・ロコ)の ファーストアルバム「SEVENTYNINE」は、もっとも「カデンツァ的」な作品だと、僕は思っています。


ここでいうカデンツァ(Cadenza)とは、レーベルの名前です(音楽用語としてではなく)。テクノのレーベルとしては、僕はこのカデンツァ・レーベルが一番好きなのです。一時期、カデンツァのCDやレコードを店で見つけると、僕は、つい条件反射的にこれを買ってしまっていたほどでした。


テクノは、四つ打ちのリズムに同じパターンの繰り返しがベースです。ダンスフロアではこれが存在感を放ちます。ですが、それ以外のシチュエーションでは、やや退屈に感じられることも少なくありません。


ですが、カデンツァの作品は違います。自宅の部屋の中でじっくりと聴いても楽しめるものばかりなのです。ミニマルなサウンドの中にもメロディー、構成がしっかりと組立てられており、展開も華やかです。


さらに、長い曲がメインなので聴き応えもあります。加えて、ジャケットデザインも素晴らしいものばかりです。



巧みなパーカッションの使い方


さて、「SEVENTYNINE」の紹介です。


1曲目「Sidonia」は、クリスタルな音色が印象的な作品です。漂うようなシンセサイザーと、数多くのパーカッションで構成されています。音が左右に揺れ、不思議な感覚が醸し出されます。ビートははっきりしていますが、重低音はかなり抑えられています。


2曲目「Around The Angel」は、テクノ的なビートで始まります。しゃくり上げるようなシンセのノイズが断続的に通り過ぎる中、女声ボーカルが加わります。これがとても魅力的です。最初に聴いたとき、僕は「歌声で船乗りを惑わした」というセイレーンの伝説を思い起こしたりもしました。


この曲でも、1曲目に続いて多くのパーカッションが飛び交います。ビートにシンクロして鳴り続ける音もあれば、装飾的に加えられるものもあります。数は多くとも、うるさい印象はまったくありません。このようなパーカッションの巧みな使い方も、このアルバム全体に共通する魅力です。


3曲目「Love Harmonic」も、四つ打ちで始まります。短いメロディが、水の流れなど、自然音を連想させる音色で繰り返されます。背景で抑え気味に漂う和音が、曲に奥行きと広がりを与えています。


4曲目「On Fire」では、ノイズ的な上昇音の繰り返しが印象的です。同じパターンを重ねるシークエンスや、時折挿入される装飾的な音とも相まって、奇妙な雰囲気を作り出しています。



長編揃いだが飽きも来ない


6曲目「Bluebook」は、淡々としたビートにさまざまな音が重なるテクノです。背後にラジオ中継のような声も加わります。このアルバムでは一番長い曲で、ほぼ9分間におよびます。


なお、この「SEVENTYNINE」には、ほかにも7分台から8分台の曲が、6曲収録されています。全11曲中7つがいわば長編となり、つまり半数以上です。冒頭に述べたように、しっかりと「カデンツァ的」なわけです。


7曲目「Shadow」では、上昇と下降を繰り返す、突き刺さるような高音が特徴的です。ザラザラとした2拍毎の打音、かすかに聴こえる人の声なども重なり、どこか病的で妖しい雰囲気すら感じさせます。


8曲目「Takhtok」のサウンドも独特です。4拍でリピートされる子どもの声を中心に、エスニックな雰囲気の女声の詠唱や、民俗楽器の笛のような音も配されています。トライバルな響きとともに、7曲目同様、妖しい雰囲気もただよう曲です。


最後の11曲目は、アルバム中もっともスタンダードなテクノといえる「You Know Where」です。明朗な印象のこの曲で幕が閉じられます。


この作品について、日本盤CDの解説にはこうあります。


「フロアが太鼓だらけといったクラブ・トラックが多くて食傷気味だが、ミルコの神聖なパーカッションはそういう飽きがこない」


食傷気味云々が多いかは別として、ミルコのパーカッションには飽きが来ないとの意見に関しては、僕もまったく同感です。


のみならず、優雅で美しく、透明感があり、しかも幻想的なこのアルバムは、テクノらしいくっきりとしたビートで魅せるだけでなく、舞い上がるような感覚も聴く者に与えてくれます。



曲目リストとリリース状況


mirko loko / SEVENTYNINE(2009年)


1:Sidonia(4:10)

2:Around The Angel(7:25)

3:Love Harmonic(8:34)

4:On Fire(8:44)

5:Astral Vacuum(2:47)

6:Bluebook(9:01)

7:Shadow(5:24)

8:Takhtok(7:52)

9:Le Monologue d’Orfeu(8:46)

10:Altrove(2:11)

11:You Know Where(7:37)


CDと配信があります。また、以下のとおり4曲を抜粋した2枚組のレコードもあります。


(タイトルとリリース年は上記11曲のものと同じ)


A:Love Harmonic

B:On Fire

C:Around The Angel

D:Takhtok


さらに、このアルバムのリミックス集もリリースされています。Cadenza レーベル主宰のルシアーノを始め、カール・クレイグ、リカルド・ヴィラロボスといった、錚々たるテクノアーティストが参加しています。ミルコ・ロコが、彼らの間で高い評価を受けていることの証明といえるでしょう。なお、このリミックス集には配信版とレコード版がありますが、レコードでは下記曲目の1がA面、2がB面を埋めています。3と4は収録されていません。


mirko loko / SEVENTYNINE remixes(2010)


1:Love Harmonic - Carl Craig “Soundscape” remix

2:Tahktok - Villalobos “Hilery’s Chant” remix (edit)

3:Tahktok - Luciano remix

4:Love Harmonic - Beatless Bonus Version

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