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DEODATO(デオダート) / ツァラトゥストラはかく語りき(PRELUDE)~デオダートが指揮もしている?


ブラジル的イージーリスニング・フュージョン


DEODATO(Eumir Deodato=エウミール・デオダート)の1973年のファーストアルバム「PRELUDE」のジャケットを最初に見た時、僕はスリラー映画、あるいはサスペンスドラマのようなイメージを思い浮かべたものです。


しかし、実際に聴いてみると中身は大きく異なりました。例えるなら「ブラジル的なイージーリスニング・フュージョン」といった感じです。



始まりは「2001年宇宙の旅」から


1曲目は「ツァラトゥストラはかく語りき」です。映画「2001年宇宙の旅」のオープニングとしても有名な、リヒャルト・シュトラウスによる壮大かつ荘重なクラシック作品です。それをデオダートがリメイクしています。収録時間は約9分です。LPのA面の半分以上を占めています。


幻想的なイントロです。エレクトリック・ピアノとパーカッションがノンビートで交錯します。それに続いて、いかにもフュージョンといった軽快なリズムが奏でられます。そこに、ブラスによる原曲のメロディーが乗ってきます。荘重さと軽快さが融合し、優雅さをも醸し出す展開です。


エレキギターのソロも入ります。John Tropea(ジョン・トロペイ)によるものです。デオダート自身によるエレピのソロも加わります。いずれも、曲によく溶け込んだものになっています。これ見よがしな雰囲気もなく、「これらソロの部分もあらかじめ譜面に書かれているのでは」と思ってしまうような、気分のよい演奏になっています。複数入るパーカッションも叩きまくることなどなく、淡々として軽快です。



クラシックとオリジナルの競演


2曲目は「スピリット・オブ・サマー」です。デオダートのオリジナル曲です。ロマンティックな映画のバックに流れそうな曲で、ストリングスが奏でる抒情的なメロディが印象的です。アコースティックギターとフルートのソロが、前曲同様サウンドによく溶け込んでいます。なお、マンドリンのような響きを醸し出す前者は Jay Berliner(ジェイ・バーリナー)の演奏によるものです。後者は名手 Hubert Laws(ヒューバート・ロウズ)でしょうか? あるいは、別の奏者によるものかもしれません。


3曲目「カーリーとキャロル」も、デオダートのオリジナルです。まさにイージーリスニング的な、軽快な作品です。


4曲目「輝く腕輪とビーズ玉」は、ミュージカル「キスメット」に挿入された曲とのこと。クラシックの弦楽四重奏曲の一節が原曲となっています。トランペットとフルートが奏でるメロディーもソフトで、アルバム中、3曲目と並んでもっとも聴きやすい作品に仕上がっています。


5曲目も、クラシックのリメイクです。クロード・ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」が原曲です。まず、冒頭の気だるいメロディーをエレピが奏でますが、その後は変化を見せ、カリプソ的なサウンドに変わります。アフロ・キューバン風なトランペットによるソロが、このアルバムの中でもっとも突き刺さる音を聴かせます。なお、プレイヤーは Marvin Stamm(マーヴィン・スタン)という人です。僕は、この人について知識がありません。最後は、再びトランペットが原曲のメロディーを柔らかな音色で奏でます。こちらもマーヴィン・スタンによるものでしょう。


6曲目「セプテンバー13」は、ドラマーとして参加している Billy Cobham(ビリー・コブハム)とデオダートの共作です。多数の打楽器の音が重なる曲ですが、激しさや騒々しさはなく、淡々とリズムが刻まれます。その上で、シンプルなメロディーが繰り返されます。ストリングスも入り、エンディングに向けて盛り上がりながらも、展開は静かです。



溶け込む「ソロ」が魅力の源泉


以上、このアルバムでは、6曲中3曲がクラシックを原曲にしています。ですが、それらも他の曲と同じように、しっかりとイージーリスニングのサウンドに仕上がっています。曲ごとに個性はありますが、その統一感は実に見事です。


一番の理由は、僕が思うに「ソロ」でしょう。先ほども触れた、これ見よがしな雰囲気のない各ソロパートが、このアルバムの完成度を高めるカギとなっています。


もちろん、リズムの軽快さや巧みなアレンジ、打楽器やギターなどのアタックが抑えめなことなども要因です。しかし、僕が挙げたいのは、やはりソロの使い方です。本来、音圧の高いエレキギターや、トランペットなども含め、それらソロ演奏を全体の音にうまく溶け込ませることで、このアルバムは、僕が冒頭「ブラジル的なイージーリスニング・フュージョン」と例えたような、特別な魅力を放つものとなっています。



デオダートがタクトを振るった?


ところで、このアルバムのクレジットには「編曲・指揮/エウミール・デオダート」と記載があります。どうやら、デオダート自身が指揮をしている(?)様子です。実際にタクトを振るったということでしょうか。


ともあれ、録音現場での演奏や、スタジオ作業も含めた作品全体に関するさまざまな「指揮」を彼が細かく執ることによって、統一感にあふれる完成を見たのが、このアルバム「PRELUDE」であるとはいえそうです。



曲目リストとリリース状況


DEODATO / ツァラトゥストラはかく語りき(PRELUDE)(1973年)


1:ツァラトゥストラはかく語りき(Also Sprach Zarathustra)

2:スピリット・オブ・サマー(Sprit of Summer)

3:カーリーとキャロル(Carly & Carole)

4:輝く腕輪とビーズ玉(Baubles, Bangles and Beads)

5:牧神の午後への前奏曲(Prelude to Afternoon of a Faun)

6:セプテンバー13(September 13)


アルバムタイトルと曲名の()内は原題です。LP、CD、配信があります。LPは1、2、3がA面、4、5、6がB面です。

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