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Peter Gabriel(ピーター・ガブリエル)/ So ~敬遠からの印象ガラリ


チャート1位のポップな人気作品


Peter Gabriel(ピーター・ガブリエル)の1986年のアルバム「So」は、アメリカ Bill Board 誌のランキングで2位、全英アルバムチャートで1位を記録するほど人気を博したアルバムです。つまり、ポップな作品なのです。


しかし、その裏には、ピーター持ち前の先鋭的で個性的な音楽性がしっかりと垣間見えるように、僕は感じています。



ワールドミュージック的? ではない?


1曲目「Red Rain」のサウンドは壮大です。シンセサイザー、ギター、ドラムが雄渾な音を演出します。ちなみに、ドラムは「3名」が演奏しています。ただし、そのうちひとりは Linn Drum というドラムマシーンで、人ではありません。さらに、もう1人はドラマーの Jerry Marotta(ジェリー・マロッタ)です。ここまでは、当時からよくあったやり方です。そのうえで、この曲では The Police のドラマー Stewart Copeland(スチュワート・コープランド)にもシンバルのみを叩かせています。凝った手法です。高揚させられる1曲です。


3曲目「Don’t Give Up」は、当時のサッチャー政権による緊縮財政下での労働者の苦境を唄っている曲です。悲し気で切ないメロディーです。


4曲目「That Voice Again」は、ドラムとパーカッションによる複雑でありながらも軽快なリズムパターンが印象的な作品です。メロディーも、前の曲からは一転して明るく開放的です。


5曲目「In Your Eyes」は、美しいメロディとコーラス、さらに歌詞もロマンティックな1曲です。アフリカの民俗楽器 Talking Drum を Manu Katché(マヌ・カチェ)が叩いています。マヌ・カチェは、コートジボワール出身の父親を持つ人です。セネガルのスーパースター Youssou N’dour(ユッスー・ンドゥール)もバックボーカルで参加しています。とはいえ、曲全体のアフリカ色は希薄です。


なお、マヌ・カチェは、この曲を含めて5曲に参加しています。さらに、ほかにも民族系のアーティストが参加しており、そのため「『So』はロックとワールドミュージックの融合作だ」と、評されることがあります。ですが、僕が聴くところ、このアルバムにはワールドミュージック的な要素はほとんど感じられません。ロック的、かつファンク的なサウンドの中によい意味で埋没した印象の作品です。


8曲目、「We Do What We’re Told」では、ゆったりとした奇妙なパーカッションのパターンに、小音量の生のドラムが重なり、そこにノイジーなロックギターの和音がアクセントを添えています。インド出身の L.Shankar(エル・シャンカール)がバイオリンを弾いています。



きっかけになったミュージックビデオ


僕がこのアルバムを聴いたきっかけは映像でした。2曲目「Sledgehammer」と、7曲目「Big Time」のミュージックビデオ(MV)を観たことによるものです。


このうち「Sledgehammer」の映像は、受精のシーンや血管など、人間の体内映像で始まります。さらに、人の目や鼻などが大写しになったかと思うと、それがピーター・ガブリエルの顔という展開です。その後は、ピーターの唄う顔を中心としたストップモーション・アニメとなり、背景などに SL や野菜、青空、黒板などが慌ただしく映し出されます。風変りで手の込んだMVです。


曲は、尺八のような笛の音で始まります。サンプリング・シンセサイザーによるものです。次いで、リズムとブラスによるゆったりとした重厚な前奏が始まります。スネアドラムに同期してタンバリンの音が重ねられており、そちらの響きは過激です。


一方、ピーターの歌は、メロディが明快でのびやかです。背後ではブラスのリフやカッティングギターなどで構成されたファンクのサウンドが奏でられます。それらが終盤にかけて盛り上がっていく心地よさに包まれながら、ポップソングとしては長めの約5分間があっという間に過ぎ去ります。


「Big Time」のMVも、ストップモーション・アニメによるものです。クレイアートによる奇妙なクリーチャーや、ピラミッドが登場するファンタジックな作品です。


サウンドの方では、鋭いカッティングギターが印象的です。終盤のコーラスとピーターの掛け合い、さらに歌が下降し突然終わるラストがクールです。


ところで、以上のMVを観るまで、僕はピーター・ガブリエルを敬遠していました。ピーターはプログレッシブ・ロックグループ Genesis(ジェネシス)出身のアーティストですが、そのサウンドは「エキセントリックで先鋭的、そして難解なもの」――そんなイメージを持っていたのです。


ですが、2つのMVで印象はガラリと変わりました。そこで、人気の「So」をまずは聴いてみたいと思ったのです。



曲目リストとリリース状況


Peter Gabriel / So(1986年)


1:Red Rain

2:Sledgehammer

3:Don’t Give Up

4:That Voice Again

5:In Your Eyes

6:Mercy Street(for Anne Sexton)

7:Big Time

8:We Do What We’re Told(milgram’s 37)

9:This Is The Picture(excellent birds)


CD、LP、配信があります。上の曲順は1986年から2002年にかけ発売された、リマスター以前のCDの曲順です。当ページの本文は、この曲順に沿って書かれています。なお、この時期のLPには9曲目「This Is The Picture」は収録されていません。1~4がA面、5~8がB面となっています。


2002年にリマスター盤が出ており、それ以降にリリースされたCD、LP、配信では、以下のとおりの曲順となっています。LPでは1~4がA面、5~9がB面です。


1:Red Rain

2:Sledgehammer

3:Don’t Give Up

4:That Voice Again

5:Mercy Street(for Anne Sexton)

6:Big Time

7:We Do What We’re Told(milgram’s 37)

8:This Is The Picture(excellent birds)

9:In Your Eyes


最後に。曲名の()内は副題です。このうち「Mercy Street」の副題 Anne Sexton は、きわめて個人的な告白を詩にしたことで知られる女性詩人の名前です。「We Do What We’re Told」の副題「milgram’s 37」は、1963年に行われた「ミルグラム実験」から採られているものの筈です。権威を持つ者への服従をテーマとした心理学の実験で、サディスティックで過激な手法が問題ともなりました。

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