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4月, 2020の投稿を表示しています

Djavan / Luz ~魅惑のブラジル・ポピュラー音楽への誘い

「しなやかで繊細」「でありながら、力強い歌声」 DJavanの「Luz」を初めて聴いたときの印象です。 アルバムの紹介記事を見たのは、フュージョン系の雑誌「ADLIB」だったと記憶しています。 プロデューサー Ronnie Foster ドラム Harvey Mason ベース Abraham Laboriel … 多くのフュージョンプレイヤーが参加していたためでしょう。 さらに、僕にとっての決め手は Stevie Wonder でした。 「ハーモニカで参加している」とのことでした。 早速、「Luz」を購入しました。 「Luz」は、MPBのアルバムです。 MPBとは、Música Popular Brasileira ~ブラジルのポピュラーミュージックのことです。 1983年にこの「Luz」を聴くまで、僕はMPBはまったく聴いたことがありませんでした。 MPBという略称も、当時、日本ではまだ定着していなかったと思います。 ブラジル音楽のイメージと言えば、大抵は僕も含め、サンバかボサノバのどちらかが頭に浮かぶ程度だったように思います。 「Luz」を聴いてみました。 もちろん、サンバでもなく、ボサノバでもありませんでした。 まず、1曲目は「Samurai」です。 アコースティック・ギターとエレピが、ゆったりと、シャッフルするフレーズを奏で始めます。 間もなく、「ア――イ」と、Djavanが唄い出します。 ささやくのとも違う、シャウトするのでもない、伸びやかな声です。短調ですが、暗い印象は受けません。 曲の後半に、Stevie のハーモニカが加わります。それに応じて、Djavanは、スキャットで楽器のような掛け合いを展開します ドラムは、軽快でありながら、腰が座ったリズムを奏でます。 サウンドは、アドリブ誌で採り上げるのも当然と思えるほど、フュージョン的です。 それでも、ボーカルとメロディー・ラインに関しては、それまでに聴いた音楽とはやはり違う、独特なものに感じられました。 なお、僕が思うに、こうした印象の一因として、歌詞がポルトガル語であることを挙げてもいいのかもしれません。 '99年発売のCDの解説にはこうあります。 「ポルトガル語はスペイン語とフラ

Co-fusion / Co-fu ~初のクラブ体験 Maniac Love 訪問のきっかけ

僕が初めてディスコではなく「クラブ」に足を踏み入れたのは、1998年の夏のことでした。 「Maniac Love」という店です。 東京の南青山にありました。2005年に閉店しています。 僕はその頃、すでに30代後半でした。現在よりもさらに若者の多い場所だったクラブに行く勇気がなかなか持てませんでした。 それでも、ある土曜日、ほぼ同い年の友人を誘い、意を決して突入してみました。 友人は会社の同僚でした。クラブでプレイされるような曲は聴かないものの、とりあえず音楽好きの男でした。 きっかけは、Co-fusion でした。DJ WADA、Heigo Tani によるテクノ・ユニットです。 僕は、この Co-fusion の「torn open」が大好きでした。 トリッキーなドラムパターン、思わず高揚させられるシンセ、エフェクトの効いた音や全体の構成、すべてがめちゃくちゃにカッコいい曲でした。 いまもそう感じます。90年代テクノの中で、僕がもっとも好きな曲といっていいでしょう。 Maniac Love は、その Co-fusion が、当時拠点としていたクラブです。 さらに、僕が意を決してそこに向かった土曜日というのは、Co-fusion の DJ Wada が、Sublime Records 主宰の山崎マナブとともに、メインのDJをつとめるライブ「CYCLE」が行われる日でした。 初めてのクラブでは、初っ端から面食らいました。 住所を頼りに、ビルの前に着いたものの、そこには看板も何もありません。 地下へと続く階段をおそるおそる下った先の扉を開くと、そこが Maniac Love でした。 しかも、クラブを知らないわれわれの訪問は時間が早過ぎました。中では、まだ開店準備が真っ最中でした。 そこで、一旦出直しと決め、時間を潰してから再訪問。夜12時から朝の5時頃まで、たっぷりと初めてのクラブを楽しみました。 友人は「先に帰る」と言って途中で消えましたが、僕はとてもそんな気にはなれず、DJ Wada のプレイもしっかりと堪能しました。 フロアを見下ろす回廊から、鮮やかな手つきでターンテーブルやミキサーを操る様子を眺めながら、 「これがDJのプレイか。まるで楽器を演奏するようだな」 と、感心し